世界よ、愛しています

*7

はっと王子は目を覚ました。懐かしい記憶が――とはいえ、それはほんの最近の出来事だが――夢の中を過ぎり、しかし自身の体をじくじくと蝕む怪我の痛みが王子を現実世界へと引き戻した。白い天井が見え、嗚呼と王子は嘆息した。
すると胸の上で温かい物がもぞもぞと動き、黄色い鼠が王子を覗き込んだ。

鼠は王子の胸の上で稲妻形の尻尾を嬉しげに揺らした。

『おはよう、マルス。よく眠れた?』
「……」
『ああ、僕はピカチュウ。昨日は大変だったね』

王子の返答がないままに、ピカチュウは喋り続ける。が、王子としては喋るのも億劫で、ともすれば再びかつての仲間に斬りかかってしまいそうなほどに心の整理が付いていなかった。
忘れられてしまったことを恨んでいる訳ではない。彼らとて失いたくて記憶を失った訳ではないし、王子もそれは不幸な事故として納得している。
しかし、頭では納得していても、心までは制御しきれない。王子はこの世界の仲間の存在を認められなかった。
この世界の何かを肯定してしまえば、仲間を失った事実を受け入れなければならなくなる――

ピカチュウは小さな手で労るように王子の折れた腕に触った。王子の腕はギプスで完全に固定されていた。

『ネスとリュカがヒーリングをかけてくれたけど、まだ骨が完全にはくっついてないんだって』
「……」
『だからムリしちゃダメだよ』

言ってピカチュウは王子の体から降り、ベッドの傍らにある椅子に飛び移った。そして首を傾げ、耳を垂れさせた。

『えーと…もしかして、僕、邪魔?』
「そうだね」

素っ気なく王子は頷く。ピカチュウは目に見えてしゅんとうなだれた。それを極力見ないように窓の外に目を向けながら、王子は言った。

「一人にして欲しい。消えてくれ」
『あ…うん、その…ごめん』

沈痛な声音でピカチュウが謝る。彼は何も悪くないのに、と王子は心中で己を罵った。救いたいのに、守りたいのに、何故このような態度しか取れない。
とことこと軽い足音が遠ざかっていき、医務室の扉を開けた。それを耳だけで王子は追う。はたと思い出したようにピカチュウが扉から顔を覗かせた。

『マルスの剣だけど、アイクがまだ預かってるって。…じゃあ、またあとで来るね』

極力明るくそう言って、ピカチュウは医務室から去っていった。残された王子は、ピカチュウの気配が完全に無くなってから深く深く溜め息を吐く。
つくづく自分が嫌いになった。これでは駄々をこねる子供だ。差し伸べられた手を払いのけ、向けられた厚意に噛み付いている。

ピカチュウが去った今、医務室にいるのは王子一人である。王子は点滴の管をむしり取り、ふらふらとベッドから降りると、壁伝いに部屋から出て行った。

***

向かったのは、屋敷の屋根の上だった。傾斜の緩いそこは、屋根裏から簡単に上がれることもあり、先の世界ではメンバーの憩いの場の一つであった。
階段を上り、短い梯子を上り、と普段では何でもないことも、しかし重傷患者の王子には激しく体力を消耗する重労働だ。目的の場所に辿り着いたとき、王子は汗だくとなってぜぇぜぇと肩で息をしていた。

天気は麗らかで、心地良い風が王子の額に滲んだ冷や汗を浚っていく。見渡す景色は先の世界と変わらず、美しく、光に満ちていた。

「何故上手くいかない…?」

波打つ丘の緑を見下ろし、王子はうなだれた。

「僕はどこで間違えたんだ?」

無性に悲しくなって、王子は膝を抱えてしくしくと泣いた。

どのくらいそうしていたのか、ふと気配を感じて王子は顔を上げた。数瞬遅れて、屋根裏から続く跳ね戸が開き、そこから赤い野球帽が覗く。
ネスが王子を認めて声を上げた。

「あ、いた」
「……」
「アンタ、怪我人なんでしょ。大人しくしてなよ」
「……」
「…はァ、みんながアンタを探してる。降りてきて」

ネスは面倒臭そうに顎で降りてくるよう示す。が、王子が一向に動く気配のないのを察し、表情を険しくした。

「…あのさぁ、アンタの治療は誰がしたと思ってるの?僕やリュカ、マリオがほとんど寝ないでやった訳。それをアンタは、自分で傷口つつくような真似をして、また僕らに迷惑をかけたんだ」
「だったら」

王子が口を開く。言葉を選ぶというような気遣いは既に王子の中には無かった。

「放っておけばいいだろう?僕は君に助けて欲しいなんて頼んだ覚えはないよ」
「…ハァ?!」

ネスが危険な角度に眉を吊り上げる。さもありなんと王子は思う。ネスの怒りも最もだ。
ネスは怒りで顔を赤くしながら早口にまくし立てた。

「僕だってアンタみたいな天の邪鬼の面倒見るのはごめんだよ!別に褒められたくてアンタの治療をした訳じゃない。怪我人をほっとくのは寝覚めが悪いからだ!…もういいっ、アンタがいくら怪我したって、もう二度と治療なんかしてやるもんか!」

最後はほとんど叫ぶように言い切って、ネスは王子に背を向ける。その小さな背が懐かしいやら、悲しいやらで、王子は自嘲の笑みをこぼしながら問うた。

「僕のこと、嫌いになったかい?」

ぎっと振り返り、ネスは王子を睨んで口を開いた。しかし待ち構えたソプラノボイスは出て来ずに、ネスは二、三度ぱくぱくと酸素を求めるように口を動かす。
しまいには酷く不安げな表情で王子を見上げ、先までの威勢はどこへやら、ぽつぽつと囁くように言った。

「…勘違いしないでよ。アンタなんか最初っから大キライだ」
「…え?」
「今更何したって、これ以上アンタを嫌いにはならないって言ったんだ!泣きそうな顔して変なこと聞くな馬鹿!」

最後はほとんど金切り声で叫び、ネスは跳ね戸を下ろして屋敷の中へと消えた。どたばたと慌ただしく足音が遠ざかっていく。

王子はぽかんとそれを見送り、暫く経ってから再び深く溜め息を落とした。

「嗚呼、僕は馬鹿だ」

体の気怠さが数倍増した気がした。

「君にまた同じことを言わせてしまった」

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