忘却の彼方に
*33
「まったく、あれほど気をつけろと言っただろう」
「…すみません」
「今回は何も無かったから良かったものを…ゼルダ様に何かあったらどうなっていたことやら」
「…反省しています」
「お前は昔から行動が軽々しいのだ。立場をわきまえろ!」
「おっしゃる通りで…」
インパの罵声を浴び、萎縮したように通り一辺倒な返答しか出せない勇者を見守りながら、俺は遅めの夕食を取っていた。ツインローバは面白そうにリンクとインパの様子を眺めている。すなわち俺たちの二人ともが、リンクを助ける気はなかったということだ。
「――ったく、ガノンドロフ!何をニヤニヤしている、お前からも何か言ってくれ」
しかしふとインパの罵倒の矛先が俺に向いた。丁度その時、俺はインパが口にした言葉に思わず微笑を漏らしていたのだった。“昔から”行動が軽々しい、か。一見とんでもないような罵倒に思えるが、この言葉はリンクにとって特別な意味を持つ。
そう、つい先程まではかの勇者の“昔”を知る者が俺とツインローバしか居なかった。が、今や不特定多数の者が勇者の存在を思い出し始めている。その中でも勇者の過去に特に詳しかったインパが記憶を取り戻したのだ。
今までは吹けば掻き消えるような弱々しい存在であったリンクは、唐突に輪郭を取り戻し、確固たる足場を得た。それは上司である俺にとっても、元宿敵である俺にとっても喜ばしいことだ。元よりそんな程度で潰れるような奴ではないと信じていたが、この状態に至るまでを見守るだけというのは正直もどかしい限りだった。
恐らくそれはインパも同じだ。今は怒ってはいるが、それはリンクが城で通用している“常識”を破ったからであって、彼本人を否定している訳ではない。
「まぁ、姫に手を出さん程度に守ってやることだな」
「ガノンドロフ!」
そうリンクを茶化したところ、インパの投げた短刀が俺の頭上すれすれを通過していった。リンクはといえば口を真一文字に引き結んであらぬ方向を見ている。「若いねぇ」とツインローバがからからと笑った。
ふぅ、と呆れたように肩を落とし、インパはまた続ける。
「――ゼルダ様は初めて城下に下りられたのだ。大変疲れたご様子で、夕げの席では食事をしたまま眠りそうな始末だった」
リンクがばつの悪そうな顔をした。――少なくともそう見える。昔から表情の変化が薄い勇者は、表情からその内情を読み取ることが難しい。しかしインパは幾分口調を和らげた。
「…ゼルダ様があのように楽しげなお顔を見せたのは久しぶりだ」
「…え?」
リンクはきょとんとしていた。突然インパの口調が変わったのもそうだが、その内容にも呆然としているようだ。説教は終わったのだ、とは気付く余裕はないらしい。そんな様子の勇者にインパは目を細めて微笑した。
「我が主の笑顔が絶えぬこと――それが乳母たる私の願い。その点においては感謝する、リンク」
卑屈になる訳でもなく、真摯な感謝の念をもってインパがリンクに頭を下げた。途端、リンクが我に返ったように「そんなことは…」と勢いよく首を横に振る。心なしか照れているようにも見えた。
そんなリンクに小さく苦笑し、それからインパは「あ、そうだ」と声を上げた。不思議そうに首を傾げるリンクを見つめ、僅かに眼を細めてインパは続ける。
「ゼルダ様からの伝言だ――“おやすみなさい。明日もまたお会いしましょう”…だそうだ」
ツインローバが愉しげに笑う。インパもやれやれといった風に肩をすくめ、俺たちに背を向けると部屋から出ていった。一方勇者は呆然とその場に突っ立っている。やがてこちらを振り向いた勇者は今日一番の情けない顔をしていた。
「…ゼルダ様が…私に…“またお会いしましょう”…と」
感極まって泣き出しそうなリンク。俺は曖昧に頷いた。
「良かったな」
「えぇ」
そんな俺の相槌に、勇者は上の空で答える。――前々から変わった奴だとは思っていたが、ここまでとは。今さらながらこの男の勇者としての資質を疑った。
「…じゃあ、私もそろそろお暇いたします」
どうにかいつもの調子を取り戻したリンクは、きりっと頭を下げると部屋から出て行こうとした。確かに今日一日フルに活動していたから疲れも溜っているのだろう。出来ることならそのまま帰してやりたかったが、ツインローバと眼が合うと、彼女はリンクを顎でしゃくった。一つ溜め息を落とし、意に反して俺は勇者を呼び止めていた。
「リンク」
「はい?」
振り返るリンクをじっと見つめる。リンクは僅かに後退った。
「一つ聞くが、怪我はどうした」
勇者はぽかんとしている。俺が言っているのは先程浪籍者とやりあった時に負った傷のことだ。ツインローバに聞いたところ、その時は少なくない出血をしていたそうだが、今はそんな気色もない。ややあって、勇者は「あぁ」と頷く。
「さっきのやつですか。もう治りました」
怪我をしたとおぼしき後頭部を指差してケロリと笑うリンク。些か傷の治りが早すぎる気がしたが、それならそれで都合がいい。
「あの後、お前が仕留めた輩はツインローバが地下牢に送った。お前が仕留めたということは伏せ、ツインローバが浪籍者を捕まえた…という筋書きになっている。以後きちんと口裏を合わせろ」
「了解です」
「それともう一つ」
俺は僅かに声を落とした。リンクは怪訝そうな顔をする。
「まだ何か」
「その浪籍者たちだが、すぐさま全員極刑となった」
微かながらリンクが眉根を寄せた。何故と問うてくるが、分からないと答えるしかなかった。
「姫の命を狙ったんだ。極刑もないことはないと思うけど…少々決断が早すぎる」
ツインローバが言う。その通りだ。あまりに早いその処断。
「…地下牢の最高責任者は、ナオフォード公爵だ」
俺は含みを持たせて呟いた。ツインローバが低く喉を鳴らして笑う。リンクは一層蒼白な顔となって俺たちを見返した。
「まさか…口封じ…!?」
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