忘却の彼方に

*30

中途半端に開いた窓を蹴り飛ばして室内に侵入し、ふわりと着地してみせる。その際ゼルダには最小限の衝撃で済むように気を使うことも忘れなかった。

「着きました」

言ってゼルダから手を放す。今更ながらあんなに密着していたのかと思うと、我ながら大胆な行動に出たものだと呆れた気持もした。
しかしゼルダの方は特にそれを気にしている様子もなく、ただ私を見上げて「ありがとう」と微笑むのみだった。

か…かわいい…。

今まで散々見てきたはずのゼルダの笑顔が、ここに来て突然威力を増した。
少々乱れた髪のせいかも。
あるいは彼女の部屋にいるという状況に私が動揺しているのか。

その理由は分からないが、このまま彼女を直視していることが出来なかった私は逃げるように部屋の中に視線をさまよわせた。ゼルダらしい、きちんと整えられた綺麗な部屋が見える。――ところがそんな中に一ヶ所だけ異質な空間が存在していた。

どこもかしこも整理整頓され尽した彼女の部屋にあって、唯一煩雑に積み重ねられた文献の山が、僅かながらではあるもののゼルダの机の端を占領していた。どれも古そうな文献である。なんとはなしにその背表紙の題を確認する。

――ハイラルの伝承。
――黄金の三大神。
――聖なる力について。
――時の勇者伝説。



“時の勇者”!

「すみませんね、片付けていなくて…貴方も伝承に興味がおありですの?」

私の視線に気付いたゼルダがその文献を取り上げながら私に尋ねた。大事そうにその分厚い本を抱える彼女に、何と答えるべきか迷った私は曖昧に頷く。そんな私の行動を困惑と捉えたのか、ゼルダは自嘲気味な笑いを漏らした。

「…おかしいですよね。“時の勇者”だとか“聖なる力”だとか…こんなおとぎ話に興味を持つなんて、子供っぽいでしょう?」

「…おとぎ話だなんて、思いませんよ」

妙に言葉に力が入る。しかしここだけは彼女の言葉を(本心であるにせよ、そうでないにせよ)否定しておきたかった――否定せずにはいられなかった。

「…確かにこの国には三大神の与えたもう聖なる力が存在し、またこの国の危急の際にはそれを救う神に選ばれし“時の勇者”が現れる…少なくとも私は、そう信じています…」

何も考えずに喋り出した自分だが、どうにも上手く言葉がまとまらず尻切れとんぼとなって語尾が自信無さげに消失した。いっそのこと自分こそがその“時の勇者”なのだと彼女に暴露してしまいたかったが、そんなことをしてもゼルダを混乱の極地に陥れるだけだと私は理解している。
そう、今の彼女は過去に私が何をし、彼女自身が何をしたのかを“知らない”のだ。
それでも私は、私と彼女が共に過ごした記憶を、思い出を、確かな証を、“おとぎ話”などと片付けられてしまうことに耐えられなかった。
だが、対するゼルダの反応は予想だにしないものだった。

「っ…リンクもそう思いますか!?」

「…え?あ、えぇ…」

急き込んで問い返すゼルダの表情は、期待に輝いていた。一方あっさりと自分の言を肯定された私は、肩透かしを食らった気分でどもりながら頷く。
ゼルダは、しかし私の挙動には疑問を抱かず嬉しげに続けた。

「今まで誰に話しても信じてもらえなかったんですもの…」

ばっと顔を上げ、私の眼を見つめる。笑顔が眩しい。

「時の勇者は、私にとってきっと大事な人になると思うんです!…昔から、そういう予感は当たるんですよ、私」

――驚いた。見たこともない(実際には目の前にいる私がその時の勇者なのだが)勇者にそこまで言えるとは。しかし私としては複雑な心境だ。
時の勇者としての私は万々歳だが、騎士としての私は大失恋な訳だ。うん…嬉しいけど、凹む。

「…ゼルダ様…そろそろ夕食へ行かなければなりませんよ」

とりあえず傷付いた心に鞭打ち、話題を変える。ゼルダは話題をそらされたことに別段不快感を抱くこともなく、壁掛け時計を見やると小さな悲鳴を上げて「本当ですわ」と驚いたように呟いた。
ちなみに私もゼルダもまだ城下へ行ったままの服装であったので、慌てて着替えてから連れ立って国王の待つ王家の食堂まで歩いて行った。その間ゼルダは終始楽しそうに自分の調べたハイラルの伝承について私に語って聞かせた。
彼女の語る伝承は、私の体験してきたものとは細かな点で異なり、また彼女自身もあまり納得していない部分が多いようだった。――今度時間がある時にでもゆっくり私なりのハイラルの歴史を教えておこう。
そう密かに決意した頃、ようやく夕げの席に着いた。一介の騎士である私が王族の食卓に同伴することなど許されないし、その広間は私以外に多くの衛士がいる。ゼルダには「お部屋にお戻りになる時はお供させて頂きます」と告げてその場を下がると、ひとまず自分も兵士の使う食堂へ向かう。そこで軽くパンやらスープやらを飲み込み――上の空だったようで、実際何を口にしたのかは定かでない――最後に忘れずロンロン牛乳を飲むと、ようやく生き返った心地がした。

というのも、朝から全力で突っ走ってきた一日が終わるのだと、唐突に理解されたからである。

体力的なものもそうだが、精神的にもだいぶ気疲れした今日という日を、しっかりと振り返る余裕がようやくここで生まれたのだ。ふぅ、と一つ溜め息をつき、食堂の壁掛け時計を確認する。ゼルダと別れてからまだ十分と経っていない。それでもさらに食事を続ける気にはなれず、かといってとりとめのない話の出来る友人もいない私はゼルダの夕食が終わるのを広間の前で待つことに決めて席を立った。

そうして一人暗い廊下を歩く。勿論壁には等間隔に並んだろうそくが僅かな光を供給するが、それでも見渡す景色は寒々しく、全体的に薄暗い。

先程食堂に向かう時にも通ったはずの廊下が、まるで別の道であるかのようだ。

そう思っていた矢先、暗がりの中からぼうと人影が浮かび上がる。思わず身構えた私は、ろうそくの明かりに照らされた顔を確認してさらに警戒の色を深めた。それでも社交辞令は忘れず、挨拶を述べる。

「こんばんは…ナオフォード公爵」

どこか信用のならない男――いつのことだったか、ゼルダに無理な求婚を勧めた憎むべき男が、愛想笑いを浮かべながらこちらに近寄ってきた。

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