忘却の彼方に

*27

「姫君に何用か!」

私は怒号と共に剣を抜き放ち、体勢を低くして目前の浪藉者へと斬り掛る。相手は完全に不意を突かれた体で、慌てふためいて各々の武器を手に向かってくるもそんな輩は私の相手ではない。そんな私を、気配は薄いが、後ろの方でゼルダがハラハラと見守っているのが分かった。
やはり相手方は石コロのお面にまんまと騙され、ゼルダの存在に気付く者はなかった。

「な…何だコイツ!?こんな強い奴が騎士団にいるなんて聞いてないぞ!」

相手の一人が悲鳴にも近い声で叫ぶのを聞き、私は鼻で笑った。――貴方たちは運が悪い。魔王と並び称される“時の勇者”と戦わなければならないのだから!

結局、ものの数分としないうちに、辺りに響いていた剣戟はぱったりと止んでしまっていた。

「終わりましたよ」

ぱっと後ろを振り返り、ゼルダに言う。終始息を詰まらせて私を見守っていた彼女は、深く息を吐き出して疲れたように笑った。
そんな彼女の笑顔が儚くて、愛しくて、私はきつく胸が締め付けられるような思いがした。

しかし私の安堵も長くは続かなかった。

これと言った前兆はなかった。
音もない。空気の動く気配さえない。それでも私に向けられた直線的な殺気に気付き、私は身を翻して受け身の体勢を取った。瞬間、私の体は強大な力でその場から吹き飛ばされる。――魔法だ、と認識したのと同時に、ゼルダの短い悲鳴が聞こえた。

「ざ…ざまぁ見ろ!」

私が当て身を食らわせた男のうちの一人が、ふらふらとしながら立ち上がった。もう少し強く殴るべきだったか、と頭の片隅で毒付く。
特に魔導に精通している様子のない男であったが、その手に収まる人の頭大の赤橙色の水晶玉は私が見た如何なる魔道具よりも甚大な魔力を秘めていた。所有者たる男ですら、その力に半ば畏怖していることは明白である。何処でそんな物を手に入れたのか、と疑問が沸き上がったが、ひとまず私は吹き飛ばされた先で立ち上がると短く舌打ちした。

「貴方にその魔道具は使いこなせませんよ」

「負け惜しみだ!」

男は再び叫んで何かを念じるように水晶を強く握った。するとそれに呼応するが如く、水晶は一際明るく輝き、気が付けば私は数メートル後方の岩壁に叩き付けられていた。後頭部にガンと強い衝撃が加わり、首を生温い赤の液体が伝った。

「リンク…!!」

ゼルダが私の名を呼ぶ。その悲鳴に気付いた男が――いかに石コロのお面と言えども、完全に気配を消し去ることは出来ない――標的を彼女に変えようと体を動かした。勿論男が彼女をゼルダと認識している訳はないが、それでも状況に変わりはない。

呼んでるんだ。
貴女は、他でもない私を。

私は貴女の騎士。
私は貴女だけの勇者。

貴女を守ることが私の存在意義!

刹那、男が何事かを念じるより早く、風のように払われる一閃は私の剣。白銀の切っ先が切り裂いたのは男の持つ水晶だ。
従来の石に当たったときにするような固い感触はなく、チーズか何かのようにぱっくりと切断された水晶は、一瞬で霧のように掻き消え、その細かな一つ一つは四方八方へと飛散して行った。
しかし私の関心はそんな物になかった。彼女に手をかけようと思い付いたこの男はそれだけで重罪なのであって、出来うる限りの苦痛にさいなまれながら死ぬべきなのだと信じて疑わなかった。
第一撃で既にバランスを崩していた男の肩を思い切り踏み付け、地面に押し倒して動きを封じてから剣を逆手に持ち替える。そして無感動に男の顔を見下ろすと、その切っ先を躊躇うことなく男の首元めがけて突き刺した。

――否、刺そうとした。

「…やめて、お願い、殺さないで、リンク!!」

そんな私を止めたのはゼルダの叫び声だった。絶叫にも近いその哀願は、理性が吹き飛びかけていた私に平常心を取り戻させるのに十分な役割を担ったのだ。
剣を降ろし、しばし沈黙する。平静さを取り戻した一方、私は己のやろうとしていた事柄を顧みて冷水を浴びせられた気分だった。

「ゼルダ…様…」

「――馬鹿っ!」

哀願の次は罵倒を浴びせられ、私は困惑した。と、次の瞬間には私は更に狼狽する。見つめた先のゼルダは、目に一杯の涙を浮かべていたのだった。

「どっ…どどど…どういたしましたか…」

しどろもどろしてしまって、ろれつが上手く回らない。ゼルダはきっと私を睨んだ。

「あんなにも簡単に人を殺そうとなさるなんて…!」

「…え」

ゼルダに指摘されて、私自身初めて気が付いた。もしあの時ゼルダが私を止めていなければ、私は初めて人に手をかけたことになってしまっていたのだ。
しかしそんな綺麗事ばかりも言っていられないのが実情だ。仮にも私は兵士なのだから、有事の際には幾つもの命を奪わねばなるまい。
だが実際のゼルダの言い分は、そんなことではなかった。ゼルダはうつ向きながら、ぽつりと呟いた。

「私…貴方が人殺しになる瞬間を見たくなかったの…」

長い睫毛を透明な雫が濡らす。大きな瞳がその透明な液でうるんで、いつも以上に彼女を儚く見せている。
それにしても兵士の私に「人殺しになる瞬間を見たくなかった」と言うとは…ゼルダの優しさには思わず苦笑が漏れる。七年ぶりに会う彼女は、やはり私の知っているばかりの彼女ではない。

――いや、本当にそうだろうか?これが彼女の優しさからのみ来る言動であると、本当にそう断言出来るのか?

もし…もし彼女が、その言葉を私にだけに言ってくれたのだとしたら。
もし彼女にとって、私はかけがえのない存在になり得ているのだとしたら。

うつ向く彼女の真意は理解出来ない。
私はただ彼女の前に膝を付き、頭を垂れたのだった。

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