忘却の彼方に

*22

「朝食の後は東塔の一室で小休憩。そのあと中央館の書斎で公務を行う。仕事の目処が立ったら中庭を通って西塔のバルコニーで昼食をとる」

「はい」

「姫に触れることは緊急の時以外は厳禁だ。もし見付かればハイラル王に殺されるからな」

「うふふ、お父様ったら親バカなのよ」

ガノンドロフから一日のスケジュールの説明を受けながら中央館から中庭への道を歩く。ゼルダがほんわかと笑ってみせるが、ガノンドロフは「洒落にならんぞ」と肩をすくめた。
…そういえばさっきゼルダは私の腕を握ったような…いかん、ハイラル王に殺される。
私の命の心配など露ほどもせず、ガノンドロフは続けた。

「本来中央館は帯刀して入場することを許可されていない。だが、王女護衛隊とハイラル騎士団長、副団長のみは帯刀を許されている」

「それはつまり、仲間以外で帯刀してる奴は問答無用で斬っていいってことですね」

「そんなところだ」

拡大解釈過ぎやしないかというツッコミはない。王女護衛隊だというのに非常にアバウトでいい加減だ。
しかし唐突にゼルダが歩みを止める。首を傾げて彼女を見つめると、不安げに私を見つめ返す彼女の群青の瞳が私を碧を射抜いた。

「やはり…リンク殿は…人をお斬りになられたことがあるのですか」

「――え」

思わず固まる。予期しなかった問いに、しばらく声を失った。
ない、と言えば嘘になる。ただの一度だけ、私は目の前にいるこの男――ガノンドロフを未来の世界で斬った。
強大過ぎる魔力故に死には至らなかったが、私があの時魔王を殺す気でいたのは間違いない。
しかしそれ以外には、後にも先にも殺意を持って人に剣を向けたことはない。やむを得ず魔物を斬ることはあっても、人だけはとても恐ろしくて斬れなかった。――せいぜいメガトンハンマーで「これぐらいされるならいっそ死んだ方がマシ」ってぐらい殴った程度だ。

しかし私は悩んだ末に、きっぱりと言い切った。

「あります。人も魔物も…たくさん」

「――え…」

綺麗事など言って、ゼルダ相手に虚栄を張っても仕方ない。魔物であろうと人であろうと、私は他の命を奪った。恐らく彼女はそういった私の汚れた過去を知らない――というよりも、七年前に何故か忘れてしまったのだ。種々の私にまつわる記憶と共に、忘却の彼方へ消え去ってしまった。
だから私は知ってもらいたかった。良い部分も悪い部分も含めて、“リンク”という存在を、改めて彼女の心に残したかった。
ガノンドロフは何も言わずに私とゼルダを見つめている。ゼルダはしばらく黙ったまま、私と向かい合って立っていた。

「おや、これはこれはゼルダ姫にガノンドロフ殿…それと…どなたですかな、その若い殿方は」

どこか重苦しい雰囲気を物ともせずに、中庭の反対側から老年の男とその息子らしき男が並んで歩み寄ってきた。ゼルダははっとしたように私から視線を外し、その二人に向き直った。

「ナオフォード公爵に、ご子息のアイベン殿。ご機嫌麗しゅうございます」

恭しくゼルダが挨拶する。どうにもその様子に緊張の色が読み取れて、私は内心そわそわしないではいられなかった。
一方でガノンドロフがナオフォード公爵親子とゼルダの間に立つようにして、凄みのある声で言った。

「これは姫の新しい衛兵だ。ところで貴殿はここで何をなさっている」

「離宮にあります書類を取りに行こうかと思いまして…その時偶然ゼルダ姫のお姿を拝見しましたので、ご挨拶をと」

ガノンドロフの私の手短な説明には何のコメントもなさず、ナオフォード公爵ははんなりと笑んだまま答える。私個人に対する興味はないらしい。アイベンとかいう息子の方は、終始ゼルダを眺め回していた――いっけない、殺意が沸いてきちゃった。

私が笑顔の下に青筋を浮かべながら睨んでいることに気付いたのか、はたまた別の理由でか、アイベンは「父上、参りましょう」と公爵に切り出した。ナオフォード公爵はゼルダの方を物足りなさげに一瞥したが、ガノンドロフの「そうされるが良かろう。姫君も今は貴殿と話をするような時間がない」という割りとストレートな言葉に愛想笑いを浮かべて頷いた。
しかしその去り際に公爵は振り返ってゼルダを見つめると、にんまりと笑んだ。

「時にゼルダ姫。かの縁談の話の方は、いつ頃お返事頂けるでしょうか」

目に見えてゼルダの顔から血の気が失せた。何度か返答しようかと口を開くが声にならない。ガノンドロフも困ったようにゼルダを見つめている。何と言うべきか答えあぐねているようだ。どちらかと言うと、ガノンドロフは口が回る方ではない。
――仕方あるまい。
出過ぎた真似とは思うが、ここは私が答えよう。

「ナオフォード公爵」

私の低い声に公爵は飛び上がる。息子も今私に気が付いたというように私をまじまじと見た。私は毛ほども表情を変えずに続けた。

「一介の兵がご意見することをお許し下さい。ただ…女性に返事を催促するのは、紳士としての道に背くと思われませんか?」

ゼルダが顔を上げて私を見る。ガノンドロフは小さく肩を揺らして笑った。ナオフォード公爵は呆けたように立ち尽くしていたが、やがて大声で笑い出した。

「はっはっは!その通りだな、若き衛兵よ!私としたことが、急ぐあまりに大事なことを忘れていた」

愉快そうに笑う公爵は私にそう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。私はしばらく去り行くその背を油断なく眺めていたが、背後からか細い声を聞いて振り返った。
ゼルダがうつ向きながら物言いたげに私の様子を窺っている。

「どうなさいました、ゼルダ様」

先とは違う穏やかな調子で尋ねたが、そういえばさっきまで気まずい雰囲気だったな、ということが思い出されて思わず口ごもった。

しかし次に私の耳に届いた言葉は、半ば信じられないような言葉だった。

「…ありがとうございました…」

顔を真っ赤にして、逃げるように中庭を突っ切っていくゼルダ。そんな彼女の行動に思わず私の頬は緩んだ。

ゼルダの後を追う際、いまだに笑い続けるガノンドロフの足をしたたか踏んでおいた。

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