忘却の彼方に
*20
とても女とは思えない力で圧してくるインパを、こちらも負けじと圧し返す。鍔迫り合いの最中、ふとインパの顔を窺うと、同様にこちらを窺っていたインパと目が合った。
「…いい天気ですね」
「そうだな」
天気のことなど微塵も念頭にはない。だがその時の私には、気の利いた言葉が思い付く程の余裕がなかった。
「…止めだ」
「へっ…だぁ!?」
唐突にインパが均衡を崩す。今まで釣り合っていた力に身を任せていた私は突然の変化に対応出来ず、盛大に前につんのめった。
しかしインパはそんな私を見下ろし、侮蔑するでも叱咤するでもなく告げた。
「よくやった。お前は私の信用に足る男のようだ」
「…はい…?」
話が読めない。唐突に斬りかかってきたかと思えば、次の瞬間“よくやった”と誉められた。インパは何がしたいんだろう。
もしかしたら、天気の話が効いた?
「お前の剣には重みがある…人を殺めることの重さを知り、それを背負うだけの覚悟がある」
「はぁ…」
難しいことを言われる。何が言いたいのかほとんど理解出来なかったが、とにかく敵意はなくしてくれたようだ。それだけでもよしとしよう。
「付いて来い」
唖然としていると、インパが私に背を向けて歩き出した。付いて来いって言ったのか?何故?…やはりインパの行動は読めない。
「あの…王城の警備が…」
「そんなもの私がどうとでもしてやる」
言葉を制され、抵抗の余地がないことを悟る。仕方なしに黙ってその背に従う。先輩の近衛兵には申し訳ないが、一人で仕事を全うしてもらおう。
そうして連れて来られたのは、白い壁に囲まれた円形の空間。いわゆる中庭というものだろうか…いや、中庭と呼ばれていたはずだ。私はそれを知っている。
何故なら私は何度もこの場所を訪れている。
七年前のあの日、初めて彼女を見たこの場所は、私にとって忘れ難い場所。
苦しくもそこは、別れの場所ともなってしまったが、それでも印象深いことにはかわりない。
その時もここには、彼女が私に背を向けて不安げに佇んでいたのだ。
丁度今と同じように。
「姫様」
インパが彼女に声をかける。え?ちょ…ちょっと、予想はしてたけどいくらなんでも心の準備が…というか何で?!何で今インパは私を彼女の元に連れて来たんだ?ど、どうすれば…だって彼女が私に会うのは初めてなのに、私はまだ、彼女にどんな顔をして会えばいいか…――。
激しく動悸がするのを感じ、混乱の極地にある私の思考を全く意に介せず、彼女は金糸のようなその長く美しい髪を揺らして振り返った。その金によく映える真白の肌に、潤った唇が酷く赤い。大きく開いた群青の瞳は、憂いを帯びて私を見下ろしていた。
私はと言えば、馬鹿みたいに彼女を見上げて呆然と立ち尽くし、その威厳と美しさを湛えた流麗な姫君にただただ見惚れるばかりであった。
「どうしました、インパ。…それと、貴方は…リンク殿?」
彼女は不思議そうに目を細めて私を見つめ、小さく呟いた。一方私は、名を呼ばれてびくりと震える。
「…確かに私は…リンクにございます…」
何で?何で彼女は私の名を?その疑問はインパの一言で解決された。
「姫様が武闘会の時からずっとお前のことを気にしていたのだ。あのような美しい剣技は見たことがない、とな」
あまり剣など使っていない、という突っ込みはこの際忘れよう。その時の私はあまりの事態の急展開に付いて行けず、言葉を忘れた者のように口をパクパクさせていた。
彼女はインパの言葉を聞くと、気恥ずかしそうに肩をすくめ、口に軽く手を当てて笑った。
「だって事実ですもの。ガノンドロフも素晴らしい剣の使い手でしょうけど、美しさでいえばリンク殿には敵いませんわ」
「…そんな…姫様…」
謙遜の言葉を紡ぐつもりが、彼女に見つめられた途端にそれらの単語は脳内で溶けて消えてしまう。そんな私の様子に呆れるでもなく、ただ優しい笑みを見せると、彼女は今の状況を説明してくれた。
「今回貴方を呼んだのは、私の護衛をして頂きたく思ってのことなんです」
なるほど…ってえぇぇ?!いきなり新入りの私にそれを頼むか!?いや嬉しいけど!!
「本当はインパとガノンドロフのどちらかがいつも私の護衛をして下さるんですけど、今度の休日だけは二人とも外せない用事がありますの」
あれ?いつもその二人が?じゃあ他の兵士たちは一体何を…。
「…ハイラルの兵を信用してない訳じゃありませんが…どうも彼らは平和に慣れすぎていて、急襲にはとても対応出来そうにない…とインパが言うんですよ。私は全然そんな心配してないんですけどね」
「一つしかない姫様のお体です。心配に心配を重ねるのは姫様の乳母として当然のこと」
彼女は困ったとでもいうようにクスクスと笑ったが、インパは真剣な表情で答えた。
大体の事情は掴めた。
何故インパが私に襲いかかってきたのかも分かった。要するに、インパは自分の代わりにとなる護衛兵を探していたのだ。その際彼女が名を上げた私を選び――恐らくガノンドロフも一枚噛んでるとみていいだろう――、私はその期待に応えたということだ。
「本当に…私なんかでよいのでしょうか」
かすれた声で問う。断る気など微塵もないが、それでも恐れ多いという気概は消し切れなかった。
「突然のことで戸惑うことも多いでしょうが…インパもガノンドロフも貴方が適任だと言っていましたし――私も貴方に頼みたく思っています」
ふわり、と彼女が微笑んだ。いつか見たあの日の彼女と同じ、いや、暗く厳しい時代を生き抜く必要のなかった分、より眩しい笑顔が私を見つめている。
嗚呼、なんと美しくおなりになったことか!
貴方が望むのなら、私は何なりといたしましょう。だからどうか、その笑顔が翳ることのないように、ただ私は、それだけを祈って。
「…喜んでお引き受けいたします――…ゼルダ様」
誰よりも貴方の幸せを願う者として、在り続けよう。
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