忘却の彼方に
*9
「ゼルダ」
私が窓辺に腰掛け、満月を見上げていると、肌の黒い大男――ガノンドロフが心配そうに声をかけてきた。私が居住まいを正して彼と向き直ると、ガノンドロフは曖昧に笑んで続けた。
「そろそろ休まねば、身体に障る。もう日付も変わっているというのに」
「はい、分かっております…」
小さく頷き、窓から離れる。しかし、何か忘れているような気がして再び窓辺を見つめた。そこにあるのは紺の夜空にぽっかりと浮かぶ丸い月だけだ。
「…何か悩み事でも?」
そんな私の物憂げな表情を察してか、ガノンドロフはすかさず問う。紅の瞳がまっすぐ私を捉えるが、そこにあるのは他人を気遣う優しい光だ。私は首を横に振りかけて、しかし最終的にガノンドロフを見上げてうつ向いた。
「どうしても…気になる方がいるのです」
「え…恋!?」
「違います」
異常にガノンドロフがテンションを上げて問い返すので、呆れたように溜め息をついて答えた。私が即座に否定した可能性に期待していたのか、ガノンドロフは「なんだ…」と言って肩を落とした。
これ以上勘違いされては困るので、さらに言葉を続ける。
「この間、私を訪ねてきた方がいたのですが…どうやら私はその方を傷付けたようで」
「ほう?それはまたどうして」
「彼は私のことを知っているのに、私は彼のことを全く覚えていないのです」
懐かしくは思う。
金の髪に、碧の双眸。親しく私を名指しで呼ぶあの声も。
しかし、どうしても思い出せないのだ。どんなに記憶を辿っても、彼に出会った覚えがない。
私がそう答えると、しかし、ガノンドロフは不思議そうに私を見つめた。何度か口を開こうとしては、考え直すように首を振ってそれを止めている。
最後に意を決したように、ガノンドロフはある名を口にした。
「…リンク」
「はい?」
「お前が言っているのは、リンクのことではないのか?」
「リンク…?それがあの方の名前なのですか?」
聞いたことのない名だ。それがあの不思議な少年の名前なのだろうか。
ガノンドロフはしばらく黙り込んでいたが、やがて曖昧に笑んで答えた。
「いや…俺の知り合いの子供の名だ。そっくりな特徴だったのでな。多分人違いだろう」
それだけ言うと、ガノンドロフは私に寝室へ行くように言い、さっさと中庭の方へと歩いていってしまった。彼も後に騎士団を束ねることとなる男だ。色々と忙しいに違いない。
私はガノンドロフの挙動にさしたる疑問も覚えず、あの不思議な少年の顔を思い浮かべてながらベッドに潜り込んだ。
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