忘却の彼方に

*3

ゼルダは呆れたような驚いたような顔で僕の瞳を見据えた。僕はバツが悪い気がして彼女の澄んだ群青の瞳から目をそらした。

「何処からって…いつもの水門のところからだけど…」

「水門!?」

いつも以上に大袈裟に驚いて見せるゼルダに僕は少なからず不安を覚える。なんだかサリアやミドのときとシチュエーションが同じだ。僕は勇気を出してゼルダの群青を見つめた。

「ねぇ、ゼルダ。僕が誰だか…分かる?」

ゼルダは呆気に取られたように僕を見つめ返した。だが何も喋らない。
僕は少し自分の勘の良さに腹が立ってきた。ゼルダの瞳や表情を見ていればだいたいこのあとに起こるであろう展開が予想できてしまったのだ。

例によってゼルダは申し訳なさそうに僕を見上げながら口を開いた。

「ごめんなさい。私、貴方と会った覚えがないの」

「――……」

そんな馬鹿な。
嘘だと言って。
僕が何をしたって言うんだ。

言いたいことはたくさんあったけど、ショックで頭がぼんやりとしてしまって言葉が上手くまとまらない。ただ僕はゼルダと向かい合って、その場に立ち尽くしていた。
そのとき僕は混乱し過ぎてむしろ冷静になった。次に僕が口を開いたとき、そこから紡ぎ出される声音はまるで僕のものではないみたいに落ち着き払っていて、且つひどく感情のこもらない、冷たい声だった。「…そうか」

僕の冷たい声に驚いたようにゼルダの瞳が見開かれる。怯えさせてしまったなぁ、と後悔する一方、もう何もかもがどうでもよくなっていた。ゼルダでさえ僕のことを覚えていないのではもう八方塞がりだ。

諦めよう。

僕はゼルダに無言で背を向け中庭から出て行こうとした。それをゼルダが遠慮がちに止めようとする。でも僕は再び振り返ることなくハイラル城下町に続く坂道を駆け降りて行った。

どうしようか。

帰るべき森[イエ]もない。

頼るべき友[ヒト]もいない。

多分僕と関わった全ての人がどういう訳か僕のことを忘れてしまっているようだ。

このままハイラルにいて皆が僕についての記憶を取り戻してくれるのを待つか。

でももう僕にはそんな気力は残っていない。
ただでさえ皆を僕の過酷な戦いから遠ざけて暮らしていくのは僕にとって大きな負担であった。

それを自らも傷つけられながら生活していけというのか。

耐えられない。

だって僕はもう【勇者】じゃない。

【勇者】の僕なら。

何かの使命を帯びた僕なら。

きっと皆の記憶を取り戻そうとするだろう。

でも。

僕は今ただの子供でしかない。


忘れられたのならそれでもいい。

半ば投げやりな気持ちで僕はこう結論づける。

その方が楽だから。
痛くないから。


僕はハイラルから旅立つことにした。知り合いのいるハイラルで暮らすのは僕にとって苦痛でしかないからだ。

旅なら慣れている。
自分にはもともと一人の方が向いている。

でも今回の旅は僕が想像していたものとは大きくかけ離れていた。
ただひたすらに沈黙の続く平原を一人で歩くということの意味を僕はそのとき初めて知った。

毎日魔物と斬り結んでいた僕なのに、何故か一人で明かす夜が怖い。
太陽の燦然と輝く昼間でも突然寒くてたまらないような気がしてくる。

こんなにも一人でいることが『寂しい』なんて。

僕は自分の運命を呪った。
失望したし、悲しくもあった。
怒りすら覚えたものだ。

でも僕はハイラルに戻ろうとは思わなかった。
今でもそれなりに辛いが、また誰かと関わるともっと苦しいことが待っているはずだ。

だから僕は旅立ちとほぼ同時にこう心に誓った。

もう誰とも関わらない。
二度とこんな思いはしない。

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