世界よ、愛しています

*5

「入るぞ」

どこをどのように歩いたのかはよく覚えていないが、アイクはある一室の前に来て初めて口を開いた。そこは先の世界と同様の位置に存在する王子の部屋だった。アイクは、人の部屋に入るに当たり、断りを入れたらしい。
部屋に足を踏み入れ、背後で扉が閉まり、王子はようやく剣から手を離した。がらんと音を立てて神剣が落下する。アイクは神剣をそのままに王子を部屋の奥へと引っ張っていった。

「座れ」

部屋の中央に置かれたテーブルと椅子の前まで来て、アイクが命じた。王子が後込みすると、しかしアイクは表情を険しくする。

「顔、真っ青だぞ。傷が開いたんだろう」
「あ…」

言われて初めて、王子は自分がびっしょりと冷や汗をかいていることに気付く。無意識に折れた腕も使って剣を振り抜いたせいか、体中が気怠い。
しかしそんなことは大した問題ではなかった。何よりも今の王子に辛かったのは、仲間の友好的な態度を自分が拒絶し、あまつさえ傷付けたことだ。
リンクにしてもそうだ。勇者がいなくなってしまったのは禁忌のせいであって、リンクのせいではない。そう頭では分かっていても、王子には自分を止めることが出来なかった。この世界のリンクの存在を認めることで、先の世界の仲間が失われたことを認めなければならない気がしていた。

王子は崩れるように椅子に座り込んだ。

「…彼は誰だ?」

そして聞かずにはいられなかった。何か納得のいく理由が欲しかった。

「リンクのことか?誰、と言われても…ハイラルとかいう国の勇者だとしか俺は知らん」

アイクの返答はごく簡潔で、しかし王子の求めたものとは違っていた。――果たして王子の求めた答えなど存在するのかどうかも怪しいが。
アイクは短く逡巡し、それからどっかと王子の向かいの椅子に腰を下ろした。王子の顔をじっと見詰め、徐に口を開く。

「俺で良ければ話を聞くが」

王子はアイクを見返した。真摯な表情がそこにある。王子は自分の不安や苦痛を誰かに話してしまいたい衝動に駆られた。

「…話すことなんて、無い」

だが、今の王子には差し伸べられた手を取る気力すら無かった。
アイクは一瞬残念そうに眉尻を下げたが、「そうか」と呟く。王子はまたもや仲間の誠意を拒絶している自分に嫌気が差し、しかしそれをどうすることも出来ずにアイクを睨み付けた。

「一人にさせてくれないか」
「それは出来ん。自傷でもされたらかなわん」
「一人になりたいんだ」

最後は懇願だった。これ以上誰かと共にいて当たり散らしたくはなかった。特に誠実そうなこの青年には尚更。
アイクはしばらく考え込んでいる様子であった。が、「分かった」と頷き立ち上がると、王子に向かって手を差し出した。首を傾げる王子にアイクは言う。

「鞘を貸せ」
「え?」
「あの剣は俺が預かっておく。だから、鞘を貸せ」

言いながらアイクは入り口に転がっている神剣をちらと見た。自傷の心配をされているのだと気付き、これを渡さなければこの青年はてこでも動かないだろうと王子は思った。

仕方なく鞘を手渡しながら、はたと王子に一つの疑問が降って湧く。部屋を出て行こうとするアイクの背に、王子は高圧的な調子で話しかけた。

「何故僕が自傷などすると思うんだい?」

アイクが振り返る。王子は冷笑を浮かべた。

「僕が自分のしたことに耐えきれず、罪悪感からそんなことをすると?」
「その通りだが」

対するアイクは無愛想にそう頷いた。そうして去り際に続ける。

「気付いてないみたいだから言うが、酷い顔をしてる。今にも泣きそうだ」
「え」
「俺は外にいるからな。何かあれば呼んでくれ」

それだけ言って、アイクは扉を閉めた。部屋に取り残された王子は中途半端に手を伸ばした状態で固まる。そのままゆるゆると頬に手を当てるが、怪我の為にあてがわれたガーゼに触っただけだった。

***

リンクの傷の具合は、致命傷ではないものの、決して浅いものではなかった。つい昨日まで王子に付きっきりで治療に当たっていたマリオからしてみれば、またもや現れた重傷人に胃が痛くなりそうだった。
リンクの傷口を消毒しながら、マリオはぼやく。

「ったく、これだから喧嘩っ早いチンピラ勇者は困るね。どうせお前がガンとばして威嚇したんだろ。相手は王族だぞ?」
「違うっつの…向こうが先に喧嘩売ってきたんだよ」

リンクは傷口に滲みる消毒液に顔をしかめた。それから少し思案顔になり、肩越しにマリオを見やる。

「あいつは俺を“リンク”じゃないと言ってたが、俺以外にリンクがいたか?」

マリオも同様に思案する風に唸ったが、しかし首を横に振った。

「さぁ、知らないな。トゥーンのことじゃないか」
「違うだろ…」

はぁ、と呆れたように溜め息を落としてリンクはうなだれた。突然新入りに斬りかかられたことは勿論ショックだったし、困惑もしたが、それよりも同じ剣士として手も足も出なかったことが屈辱でならなかった。不意打ちだったとはいえ、向こうは手負いで、利き腕まで折れていたらしい。
リンクはぎりと歯を噛み締めた。

「何にせよ、人のことバカにしやがって」
「そう怒るなよ。向こうも反省してるだろうし」
「どうだかな」

そう言いつつ、リンクはしかしそこまで腹を立ててはいなかった。剣士として負けたのが悔しいのであって、そのこと自体を根に持つ気はない。
ただ、何を憤っているのか、非は自分にあるのか(いや、あるはずもない。今し方会ったばかりなのだから)、それを問い質したかった。

「“亡国の王子マルス”…か」

いい響きじゃないなと呟けば、マリオは苦笑して肩を竦めた。


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