表裏一体

*23

ただただ暗く何もない空間に、その男は佇んでいた。無限に広がる暗闇は、常人ならば数刻その中に身を置くだけで気が触れてしまうだろう。
しかし生憎と――または幸いというべきか――男はただの人ではなかった。この空間に既に半日は居ようかという時間が経つが、魔王ガノンドロフの心は平常そのものだった。

「さすが闇の貴公子と謳われるだけのことはあるわ…ここに居て、まるで心を乱さないなんて」

低い声と共に、何もないはずの空間がぐにゃりと歪む。その歪みから唐突に姿を現したのは、長い金の髪を揺らし、銀の双眸には残酷な光を湛えた破壊神――クレイジーであった。

「退屈な世界ではあるがな」

ガノンドロフが短く唸る。クレイジーはカラカラと乾いた笑いを漏らした。
ひとしきり笑い終えると、頓着無さげに細く白い腕を何もない空間に向かって振り下ろす。すると、闇の世界はぱっくりと割け、暗闇を二分するように白亜の世界が現れた。

「アタシに言わせてみれば、アンタらが住んでた“物”に溢れるあっちの世界の方が、ごちゃごちゃしててよっぽどつまんないわ」

遠い世界を眺めるような口ぶりで破壊神は言う。

「だから“壊して”いくのか?」

「…まぁ…そんなトコロかしら」

ガノンドロフが確認するように問い返すが、対するクレイジーの返答は曖昧だった。クレイジーはしばらく物思いに耽るように黙っていたが、やがて美麗な顔に残酷な色を宿して微笑むと、重力を無視した動きでふわりと飛び上がってガノンドロフを見下ろした。
そもそも上も下もないこの空間に、重力などというものが存在するのかどうかは定かでないが、それでも彼女は人ならざる力によって宙に浮いてみせたのだった。

「アタシは破壊神だもの。創造神の創る世界を壊すのがアタシの存在意義。だからアタシはその為だけに、アタシの全てを注ぐ。今回は邪魔が入って果たせなかったけど、アンタが協力してくれるならマスターの手駒も怖くはないわ」

クレイジーは両手を広げて雄弁に語る。まるで理想を語るような厳かな雰囲気さえするが、一方でガノンドロフは不審そうに眉をひそめた。その様子を察したクレイジーは小さく首を傾げる。

「…何よ?今更文句でもあるわけ?」

「何でもない。ただ…妙に思っただけだ」

「何を?」

本当に予想がつかないようで、クレイジーはきょとんとしてガノンドロフを見つめた。その姿はひどく愛らしく、しばしば彼女が残忍な破壊欲の塊であることを忘れさせる。ガノンドロフはしばらく言葉を選ぶように沈黙を保っていた。それでもクレイジーが再度答えを促すと、低くゆっくりと言葉を紡いだ。

「創造神と対になる存在である貴様が…ただの“ヒト”を恐れるのかと思うと、不釣り合いに感じてな」

クレイジーは何も言わなかった。ガノンドロフを見据えている。見てはいるが、しかしその銀の瞳は魔王を映してはいなかった。

「昔…痛い目にあったのよ」

ぽつりと呟く。苦渋に満ちた声音は、一方で過去を懐かしむようでもあった。

「土壇場になった時、“ヒト”ほど恐ろしい生き物はいないのよ…それをアタシは、身をもって知ってる。だから、奴等を相手にするときは輪をかけて慎重に動くの」

ゆるゆると右手を持ち上げて、クレイジーは己の左肩を抱いた。半日前、マスターに撃ち抜かれた傷が痛むのか、それとも別な理由によるものか。
魔王といえどもそこまでは読み切れない。しかしクレイジーはそれ以上を語る気はないらしく、頭の隅に小さな引っかかりを残したままの状態でガノンドロフはクレイジーの次の言葉を聞いた。

「それでもさっきは雑魚に気を取られ過ぎてマスターに手痛い一撃を貰ったわ。マスターもあれだけアタシの攻撃を受けているからいたみわけでしょうけど…次はこうはいかせない。アンタを仲間にしたのもこの為よ。アイツらの個別の戦闘能力を教えて欲しいわ」

クレイジーの言葉にガノンドロフは笑みを深める。待っていた――と言わんばかりのその形相に、クレイジーもはやすように口笛を吹いた。

「いいわぁ、その顔。流石は大魔王だわ」

「舐められては困る…時に破壊神、創造神とその手勢と戦う時分には頼みがあるのだが」

「…え?」

クレイジーは不審そうに顔をしかめた。ガノンドロフはそんな彼女の様子に苦笑しながら言葉を続けた。

「なに、大したことではない。ただ創造神の手勢の中の“リンク”という小僧の相手を俺に任せて欲しいというだけのことだ」

「…リンク?…って、確かあの王子の側で泣きそうになってたボウヤよね」

「そうだ」

クレイジーは考え込む風に腕を組む。それから軽くガノンドロフを見下ろすと、「理由を聞いてもいいかしら」と言った。

「…俺とリンクは、元居た世界で魔王と勇者の関係だった。以前は腹立たしいことに小僧にしてやられたが、それでは大魔王の俺の名が廃る――それだけの理由だ」

「ふぅん…お取り込みな用事のようね。まぁ…別にアタシは構わないわ」

自分で聞いておきながら、クレイジーは興味なさそうに相槌を打つ。それから再び身を乗り出して、悪戯っ子のような笑みを貼り付けてガノンドロフの顔を覗き込んだ。

「で?マスターの手駒はどんな力を持っているわけ?」

「創造神の手勢は数は多いが個々は大した力を持っていない。攻撃パターンさえ分かっていれば神たるお前なら一人で十分こと足りるだろう。…まぁ、王子と勇者だけは一筋縄ではいかんかもしれんが…」

「へぇ、魔王サマでもあの王子には一目置いてるんだ。意外だわ」

「やはり神速を誇るだけのことはある。…が、力はない。動きさえ封じれば容易く倒せる」

ガノンドロフが指摘すると、それを見ていたクレイジーははんなりと笑んだ。その残酷な色濃い表情には思わず魔王も内心舌を巻いたほどだ。ガノンドロフは短く尋ねた。

「どうした」

破壊神は尚口の端を吊り上げる。形の良い、しかし血色の悪い唇は女性にしては低い音を奏でながら笑い声を上げた。魔王は困惑したように立ち尽くす。クレイジーは銀の双眸に魔王を映した。

「アタシ、内心アンタを疑ってたのよ。本当にアイツらを裏切れるのかしら…ってね。でも、それもアタシの杞憂だったみたい。やっぱりアンタは、闇の貴公子、大魔王なのね!」

その声音は、心底今の状況を楽しんでいるようだった。マスターが裏切られるのが面白くてならないとでも言いたげなクレイジーを、ガノンドロフは何も答えずに黙って見上げていた。

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