世界よ、愛しています

*4

王子が終点から出てくると、その扉の横にアイクが立っていた。慌てて王子は俯き、目元を擦った。泣き腫らした顔を見せる訳にはいかなかった。
アイクはそんな王子の様子に気付かなかったのか、相変わらずの仏頂面で言った。

「長かったな」

王子はようやく顔を上げた。どこからどう見ても完璧な微笑を作り上げ、声が震えぬように腹に力を込める。傷口が再びじくじくと痛んだ。

「待っててくれたのかい。悪いね」
「あんたは怪我人だからな。ほっとけない」
「付き合ってくれてありがとう。もう帰るよ」
「送っていこう」

アイクは徐に王子に歩み寄ると、その肩に腕を回した。内心王子はほっと息を吐く。精神的にも肉体的にもボロボロだった。正直立っているのさえ辛い。額にはじっとりと脂汗が滲んでいた。
アイクはそんな王子の様子に気付いていたに違いない。しかし彼はやはりそれを口には出さなかった。王子はそんな沈黙を有り難く享受した。

その日の夜、王子は医務室のベッドで横になっていたが、一睡もすることは出来なかった。

***

次の日の朝、医務室で身支度を整えそわそわと歩き回っていた王子を、天使が訪ねた。
焦げ茶のふわふわな髪に月桂樹の冠を戴き、背中からは一対の純白の翼が生える。一瞬夢でも見ているのかと瞠目した王子だったが、天使は溌剌と自己紹介してみせた。

「初めまして!僕はピット、女神パルテナ様にお仕えする天使です。お見知りおきを」
「や…やぁ、僕はマルス。よろしく…」
「あなたがマルスさんですか。ふーん、人間の割に整った容姿をしてますね!気に入りました!」
「あ、ありがとう」

ピットは満面の笑みで慇懃無礼な言葉を吐く。これが天使故の常識の無さなのだと王子が理解するのは、またしばらく後のことである。
ピットは飛ぶように王子の前に歩み寄り、困惑気味の王子の折れていない方の手を取った。

「朝食の準備が出来てます。それに皆さんがあなたに会いたがってますよ!僕が食堂まで案内しましょう」
「あぁ、うん。ありがとう…あの、でも僕は」
「さぁ、行きましょう!」

ピットは構わず王子の手を引き、医務室を出た。
王子は、まだ心の整理が付いていなかった。失った仲間のことは諦めきれないし、共に過ごした記憶を失った仲間に会って平静でいられる自信もない。或いはそんな彼らに何があったかを説明するなんて気力も湧いてこなかった。
結局、王子は何の心積もりも出来ないままに、食堂の扉の前に立たされていた。
そんな王子の心情を知らず、ピットの手は既にドアノブにかけられている。扉越しにも食堂には大勢の人間が(或いは人間以外も)ひしめき合っているのが分かる。

「さぁ、マルスさんの歓迎会と快気祝いを兼ねて!」

ピットは至極楽しそうに叫び、勢いよく扉を開けた。

「おめでとう!」

クラッカーの爆音が響き、王子の頭から色とりどりのテープが降り注いだ。子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、大人たちの控えめな拍手が鳴る。
王子は食堂を見渡した。見知った顔と見知らぬ顔が混在している。しかしそのどれもが歓迎の笑みを浮かべていた。――王子を“新たな仲間”として受け入れようとしているのだ。

それは至極当然のことで、ただ単に仲間として自分を歓迎してくれていることを喜ばねばならない、と王子は自身に言い聞かせた。そうでなければ彼らは酷く悲しむだろう。王子は微笑んだ。
知らず涙が溢れた。泣くほど喜んでくれたのか、と見当違いなことを誰かが言ったが、そうだよ、と頷いた。次々と知った顔が初対面らしく自己紹介していくのを聞き流した。
しかし、一人だけ聞き流せないものがいた。王子は名前だけを言って去ろうとする男の腕を掴んだ。獣のような鋭い目が王子を見据える。深い緑の衣が既視感を煽った。

「…リンク…?」

呼び止められた男は、面倒そうに眉間に皺を寄せた。

「そうだが。何か用か」
「違う」
「は…?」

王子の目の前に立つリンクは、確かにとても“勇者”に似通っていた。服装も、金の髪も、尖った耳も、名前も、それこそ全て。
だが、違っていた。王子の知る勇者とは何もかもが。他の仲間たちが記憶を失ってしまったのとは、訳が違う。
別人なのだ。

「君は誰だ…」
「だから、リンクだって――」
「違う、君は“リンク”じゃない。“リンク”はもういない!」
「さっきから何訳の分かんねーこと言ってやがる。俺に文句があるならはっきり言いやがれ」

ついにリンクが表情を険しくし、背負った剣の柄に手を伸ばした。やめろ、と悲鳴じみた制止が飛ぶが、誰かが動くよりも早く王子が抜刀した。
和やかな雰囲気が一転、食堂は騒然とした。
血飛沫が飛ぶ。袈裟懸けに斬り付けられたリンクのものである。仰け反って何とか直撃は免れたものの、王子の研ぎ澄まされた真剣はリンクの鎖帷子を易々と貫通した。体勢を整える隙も与えず王子の突きが襲い、リンクはそれもかわしきれず、彼の脇腹が裂けた。
とどめを刺さんと剣を振り上げる王子を、後ろからアイクが羽交い締めにする。リンクはその場で膝を付いてうずくまった。
王子は歯噛みした。

「やり過ぎだ。殺す気か?」

アイクが低い声で凄む。次いでリンクと王子の間にカービィが飛び出してきて、短い手を懸命に振った。

「やめて!リンクを殺さないで!」

王子はカービィを見下ろした。その後自分を取り巻く仲間たちの顔を見る。誰もが恐怖と困惑、怒りを露わにしている。
そんな顔をさせたい訳では勿論なかった。それでも親愛と友好の表情をされるよりはいくらかマシなように感じた。
呼吸をする度、喉まで吐き気が込み上げる。じんわりと腹の傷口が熱を持つ。どろりと血が溢れるのが分かった。傷が開いたらしい。
マリオがリンクに駆け寄って、容態を確認する。そのままアイクに視線を移し、食堂から出て行くように指差した。

「アイク、そのままマルスを部屋に連れてけ。その方が落ち着くだろ」
「…分かった」

短く頷き、アイクは王子の剣を握る腕を掴んで歩き出した。
その力が強いのと、今更になって自分が何をしたのかが分かり始め、王子は大人しくそれに従った。


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