表裏一体

*13

それは、ピカチュウの偽者出現から二日経った日のことだった。

「…ない」

冷蔵庫を開けたリンクが蒼白な表情となって呟く。その手には、勇者の証たる聖剣――ではなく、白銀のおたまが握られている。今となっては珍しくもない、屋敷住人の夕食を仕込む勇者の図である。

「どうしたんだよ、リンク」

冷蔵庫の前で立ち尽くすリンクを不審に思い、ロイがキッチンと繋がっている食堂から顔を覗かせる。リンクは顔だけ振り向いて短く答えた。

「卵」

「は?」

「卵がないんです…今日はオムレツなのに」

頭を抱えて落胆の色を見せるリンク。そのあまりに悲惨な様子に、卵がないのにオムレツなんて果敢なメニュー選択すんなよ、というツッコミも忘れたロイは、「た…卵ぐらいなら俺が買ってくるよ」と言ってしまった。
その言葉を聞くや否や、待ってましたと言わんばかりにリンクは顔を上げた。さっきまでの落胆ぶりが嘘のように爽やかな笑顔を見せて、ロイの手に買い物用のエコバッグを握らせる。ピンクのかわいいうさちゃん柄だ。

「うわぁ、ありがとうございます!ロイならきっとそう言ってくれると信じてました!ついでに砂糖とケチャップを買ってきてくれると有難いんですが」

「え?ちょっ…まさかリンク、最初からそのつもりで…!?」

「何のことでしょう?あ、お釣りでおやつでも買ってきたらどうですか。300円までですよ」

晴れやかに笑う勇者はロイの話など微塵も聞いていない。というか聞く気がない。ロイにはそんな勇者に何処かの王子の姿が激しく重なって見えた。しかし、リンクの笑顔が微かに曇る。不思議そうにロイが首を傾げると、リンクは未だ開けっぱなしだった冷蔵庫を閉めながらロイに言った。

「こんなこと言うのも何ですが…今、一人で外出するのは危ないでしょう。どなたか一緒に行ってくれる方を探した方がいいですよ」

「ぬ…」

赤髪の青年は僅かに眉根を寄せる。リンクの言葉はクレイジーの存在を示唆してのことだが、今屋敷にいる者は少なく(ちょうど皆は大乱闘をしに仮想空間へ出払っている)、そうなると必然的にロイと共に買い出しに行ける者は限られてくる。

「…マルスか…」

重々しいため息と共にかの名を呟くロイ。リンクはそんなロイを苦笑しながら眺めた。と、その時コンロに乗ったヤカンから湯が吹き出した。リンクが慌てて火を止めに行く。そうして一息ついてからロイを振り返った勇者は、完全にお使いを頼む母の心境だったとかそうでないとか。

「じゃあ、死なない程度に気を付けて行ってらっしゃい、ロイ」

さりげなく不安を煽るようなことを言ってみせるのは、この勇者の悪い癖だ。そう脳内でぼやいてから、ロイはマルスを探して食堂を後にした。



「何故王族たる僕が、愉快な仲間たちの為に買い出しなぞ行かねばならんのかね。理解に苦しむよ」

屋敷の立つ丘を、30分ほど下ったところにある街に辿り着いた時に、マルスは立ち並ぶ店々を見渡して毒付いた。立っているだけで道行く人々の視線を釘付けにするその容姿淡麗な王子は、後ろで困ったように立ち尽くす童顔ながらも整った顔立ちの青年を振り返る。青年は、そんな王子に呆れたように返した。

「買い出しくらいどうってことないだろ…文句言うなよ」

「どうってことあるともさ!あまりに僕が美し過ぎて凡庸なデパートに不釣り合い過ぎる」

「そこ!?不満の原因はそこ!?」

通りの真ん中で一通りの漫才を終えると、ロイはマルスを引っ張り人々の視線を避けながら食品売り場に駆け込んだ。やはりすれ違う全ての人がマルスとロイを振り返るので、ロイはかなり肩身の狭い思いをしなければならなかった。が、蒼い王子は微塵もそんな様子を見せず、普段と変わらず振る舞っていた。

そうして二人は目的の物を買い終え、屋敷への帰途につく。勿論300円分のおやつを買うことも忘れなかった。

「ふむ、こんな安い買い物をしたのは初めてかもしれない」

マルスは手の中でキャラメルの箱をもて遊びながら呟く。おまけ付き、と大きく書かれたそれを色んな角度から眺めて楽しんでいるようだった。

「おやつ300円までなんて言われたのは俺も初めてだな」

最初こそ乗り気でなかったマルスも、帰途の道では和気あいあいとおつかいの感想を述べ、ロイも同様にエコバッグを覗き込みながら答えた。
時刻は夕方を過ぎようかというところだ。早く帰らなければ、オムレツの完成を待ち切れない屋敷の住人に半殺しにされてしまう。そういった焦燥感から二人の歩調が先を急ぐものであったのも当然と言える。
しかし並んで歩いていた二人のうち、ふとロイが足を止める。マルスが怪訝そうに「ロイ?」と尋ねると、ロイは辺りをきょろきょろと見渡して問い返した。

「今、なんか聞こえなかったか?」

「…いや、僕には何も…」

「気のせいかな?」

不思議そうな表情を浮かべつつ、ロイも足を踏み出したその時、微かな声が二人の耳に届いた。

「――…けて――…誰か―――」

声は道から外れた路地裏から聞こえる。その痛切な響きにロイとマルスは顔を見合わせると、声を辿って駆け出していった。



「誰かァ―――ッ!助けてぇ!」

ある路地の角を曲がると、より鮮明な悲鳴が聞こえ、マルスとロイは滑り込むように声の元へ駆け寄った。

「どうした!?」

ロイが叫ぶ。緊迫した面持ちであるが、手に提げたうさちゃん柄のエコバッグがいかにもミスマッチだ。

二人が声の主を探して狭い路地を見渡すと、そこには分かりやすく不良二人に絡まれている少女が、今にも泣きそうな顔でマルスとロイを見つめていた。

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