世界よ、愛しています

*3

王子には、いまいちここが何処なのか把握しきれていなかった。何しろ移動中に襲われた訳だし、そもそも彼は行き先すら知らなかったのだから。
しかし王子が見る限り、そこは彼の知る世界と寸分違わぬ居心地の良い世界だった。
小高い丘の上に聳える、赤屋根に白塗りの壁が映える洋風の屋敷。大きめの両開きの扉をくぐれば、来客を伝えるベルが鳴る。手入れの行き届いた赤い絨毯が敷き詰められた広間が彼を迎え、中央には豪奢な造りの階段が鎮座していた。見上げれば吹き抜けの高い天井があり、天窓からは星の瞬きが見える。
右の部屋に入れば食堂があり、左には談話室。廊下をそのまま進んで行けば、浴場がある。

「…帰ってきた?」

王子がぽつりと呟くが、隣のアイクは首を傾げるだけで何も言わない。しかし王子にとってはそんな沈黙が有り難かった。

失ったと思っていた世界が、仲間が、何一つ変わらず戻ってきた。

そう思って差し支えないだろう。王子の体は歓喜に震えた。折れた腕も、風穴の開いた腹も気になりはしなかった。

だから、王子は創造神に会ったときも素直にその再会を喜んだし、創造神がアイクに席を外すよう頼んだ時も何ら疑問を抱かなかった。
創造神は王子を終点へ招いたが、道中王子は興奮気味に喋り続けた。

「いやぁ、さすがの僕ももう駄目かと思ったよ!だってマスター、貴方がさんざん脅かすものだから、てっきり僕は世界もろとも全滅してしまったのかと思ったくらいだから。一体あの禁忌とかいう奴は何者だい?僕としたことがだいぶ手酷くやられてしまったよ。でも、結局僕らは助かったんだね。あの状況からどうやってみんなを助けたんだい?」

創造神について終点に入り、王子は後ろ手にその扉を閉める。終点も王子の記憶にある通りの姿で、王子は創造神から明るい返答が待っているものと信じて疑っていなかった。故に、創造神が低い声で「いいかい、マルス。落ち着いてよく聞いて欲しい」と言っても、彼には創造神が一体何をそんなに深刻がっているのか全く分からなかった。
王子は笑って首を傾げた。

「マスター?どうしたんだい?」
「マルス、我々は助からなかった。禁忌…あれはそう名乗ったかね?あの者の力は強大で、私の手には負えなかった」
「…何を言ってる?」

ようやく王子の表情に翳りが差した。創造神はふわふわと漂い、言葉を続けた。

「出掛けに説明した通り、前の“箱庭”は寿命を迎えて壊れてしまった。今君がいるこの世界は、私が新しく構築した別の世界だ」
「それは…勿論知っているよ。だから僕たちは方舟に乗って」
「そう、君たちをこの世界に運ぶ予定だった。そこにあれが急襲した…」

苦々しげに創造神が言った。それには王子も苦い表情で首肯する。つい今し方目覚めたばかりの王子にしてみれば、禁忌に襲われたのはほんの直前のことである。王子の表情を窺いながら、創造神は囁き声で続けた。

「君は、仲間が倒れるのを見ていたはずだ」
「それは…そうだけど」
「君も勿論損傷の具合は激しいけれど、君以外の仲間たちは“中身”の方まで粉々にされていた」

中身、との言い方に王子は眉を顰める。ああ、言い方が悪かったね、と創造神は苦笑を零した。

「中身、というのはつまり、君たちを構成する情報だ。もっと言えば、君たち自身のデータだね」
「そのデータが粉々になっていて、それが何だと言うんだ。マスター、貴方は一体何が言いたいんだ?」

王子は眉根を寄せて創造神を睨んだ。仲間の無事を喜ぶ王子の気持ちに水を差されたのだ。王子が不機嫌になるのも仕方ない。
創造神は王子の剣呑な眼差しを受け、それでも臆せずに言った。

「データとは、すなわち記憶だ。君たちが先の世界で蓄積した記憶は、ほとんど禁忌に壊されてしまった」

王子の脳裏に、最後に見た仲間たちの姿が過ぎる。立ち上がれぬ程に深い傷を追い、生死すら定かでなかった仲間たち。

「…分かるかい?先の世界が存在し、そこで暮らしていたことを覚えているのは、私やクレイジーを除いて、君だけなんだ」

創造神が諭すような口調で言うと、王子は何の反応も示さずに突っ立ったまま創造神を見上げた。
正直に言えば、その時王子は何も考えていなかった。否、考えられなかったのだ。彼らが長い年月をかけて築き上げた信頼関係や友情が忘れ去られてしまうというのは、すぐには受け入れがたいことであろう。
長い空白があり、ようやく王子が口を開いた。

「…でも、結局みんなは無事なんだろう?ネス君だって無事だって聞いたし、マリオも全然ピンピンしてた。記憶なんてまたここで作ればいい。前の世界でのことだって、僕がみんなに教えるよ」

気丈にも、王子はそう言って笑ってみせた。
が、創造神は黙して答えない。王子の笑みは次第に薄くなって消えていった。
創造神は沈痛な様子で言った。

「マルス、君以外の仲間は全員一度壊れてしまった。マリオもネスも、残ったデータを繋ぎ合わせて、なんとか再び造り直したんだ。…だが、何人かは跡形も残らずに壊されていて――」
「…マスター…嘘だろう?冗談はやめてくれ…」
「冗談じゃない。いいか、落ち着いて聞いてくれ。特に損傷の激しかった子リン、ミュウツー、ピチュー、ゼルダ、それからロイとリンクは、…」
「嘘だ!聞きたくない!」

王子は耳を塞いでうずくまった。折れた腕がじんじんと痛み、傷口がどくどくと熱を持って激痛が走ったが、全く気にならなかった。
創造神は、うなだれ、酷く沈んだ声で囁いた。

「…すまない、マルス。君の大事な仲間を救えなくて…」

王子は、むせび泣いてその場にくずおれた。


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