共食い狂想曲
*おまけ
「ちょっと」
夕食を食べ、入浴も済ませ、寝るばかりだという頃に、食堂で明日の朝食の準備をしていたリンクの背中に刺々しい声がかかる。意外な人物が来た、と思いながら勇者は振り返った。
そこには未来の幼き己がパジャマ姿で立っていた。その憤怒の表情を認め、リンクは苦笑する。
「やはり――約束を破ったことにお怒りですか」
「怒んないよ。アンタは僕だもん、自己嫌悪はもう飽きた」
「では、何故?」
のんびりとした動作で食卓の椅子に腰掛け、勇者は子リンを見つめた。子リンは一瞬言葉に詰まるが、きりと過去の己を見据えて言う。
「確かに、アンタの言う通りだったよ。――皆、こんな僕でも受け入れてくれるって…」
「だから言ったでしょう?貴方は私よりも更に卑屈なのです。そこは退化したのでしょうか?」
「アンタは思慮が浅すぎる。そのうちアンタもこうなるから安心しなよ」
「ふむ…それは困った」
困った様子など微塵もないリンクは、ただ微笑を浮かべて子リンを見ている。畜生、大人ぶりやがって、と子リンは胸の内で毒吐いた。僕の方がオトナなんだぞ。分かってるのか!
「…そうだ、僕はこんなことを言いに来たんじゃない」
やや冷静になって思考を整理する。そして子リンは未来の己を見上げた。その段になって、初めてリンクの顔に怪訝そうな色が浮ぶ。
「それは…――」
「アンタは…“こんなこと”しないようにしてよね」
眼前の青年が碧い瞳を見開いて固まるのを確認し、子リンは僅かに勝ち誇った気分になった。それみたことか。僕の方が、生きてる時間は長いんだ。
しかし青年は少年の意に反し、何処か諦めたような痛々しい笑顔で首を横に振った。
「それは…無理でしょう」
子リンは眉根に皺を寄せた。
「何故?回避出来る結果でしょ?」
「結果を知っていることと、結果を変えることには、大した関係はありません」
「な、ん…――」
今度は子リンの方が顔色を失って固まった。が、その顔に明らかな敵意を表すと、子リンは近くにあったコップをリンクめがけてぶん投げた。それをリンクは首を傾けてかわす。遠くでかちゃんとガラスのコップが割れる音がした。
それでもまだ怒りが収まらないのか、子リンは肩で息をしながら怒鳴った。
「この――分からず屋!!」
これだけ吐き捨てて、少年は肩を怒らせ食堂を去る。青年は呆れたような、困ったような、どちらとも付かない顔でそれを見送った。
「なんで自分に意地悪するんだい?」
そこへ耳障りのよいテノールが、からかいを含んだ声音で問うた。青年がふと振り返ると、リビングと繋がる扉から眉目秀麗な王子が姿を現す。青年は顔をしかめてみせた。
「盗み聞きですか」
「君たちがでかい声で喋るから聞こえてきたんだ…で、さっきの質問の答えは?」
王子は頓着無さげに青年の向かいに腰を下ろした。あまりに横柄なその態度だが、しかしその射るような深海色の瞳から逃れえる方法を勇者は知らない。ただただうなだれて答えるしかなかった。
「私も彼も…分かっています。私が魔物の血を飲み、人の理から外れるのは避けられないことです」
「君がこれから気をつければいいのでは?」
「それは気休めです。私が勇者である限り、私には力が必要なのですから」
「気休めだと分かっていたなら、口先だけでも彼の厚意を受け取ってやれば良かったじゃないか。彼はその“気休め”を欲していたのだよ」
勇者は沈黙した。王子はトントンと指で机を叩く。
「…まぁ、君たちのことだからあまり僕もとやかく言えた義理じゃないが。ただ言わせてもらえば、自己嫌悪は程々にすることだ」
「私は」
「君も彼も、まだ年端もいかぬ子供だ」
お兄さんは心配なのさ、とおどけて続ける王子の言葉に、勇者は再びうなだれた。どんなに大人ぶってみても、やっぱり最後にはこれだ。
しょげ返る勇者に手を伸ばし、王子は彼の頭をテーブル越しにくしゃくしゃと撫でた。
「安心したまえ。彼のことも、君のことも、誰も拒絶したりしないよ」
最後にふわりと唇に弧を描き、王子は美麗なその顔に魅惑の笑みを浮かべる。
「勿論この僕もね」
言って王子は席を立ち、勇者を残して食堂を去る。またそれを呆然と見送る勇者は、小さく溜め息を吐くと己が割ったガラスのコップの残骸を片付ける為に腰を浮かした。
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