共食い狂想曲
*32
ころりと少女の手からリンゴが落ちる。思わず後退るポポたちと入れ違いに、少年――マーティンが部屋に駆け込んで来た。
少年は倒れた少女を見、継母を見、いやいやというように首を振りながら壁際まで後退する。それを継母が物凄い剣幕で叱り飛ばしながら追う――が、生憎音声は流れてこないので何を言っているかは分からない。説明を求めるようにナナが幽霊少女を見上げると、彼女は抑揚のない声で囁いた。
「お義母さんは…私を殺したのは、マーティンだと言い募ったのよ」
「え!?でも…こんなの…」
「マーティンは気の弱い男の子だった…だから、あんまりに怒鳴られてパニックになって、自分がやったのだと思い込んでしまった…」
事実、継母に言い募られた少年はとうとう泣き出し、大声で(音声は認識出来ないが)喚き始めた。どうやら口の動きからして「ごめんなさい」と叫んでいるようだ。
やがて、少年が継母に何かを言う。すると継母はまず少女の頭の入った木箱に南京錠をかけ、次に死体を持ち上げてさっさと部屋から出ていってしまった。少年は泣きながらその後ろを付いていく。
「…これから」
何するの、とまで言葉を紡ぐことが出来ず、ポポは沈黙する。エミリーはただ何処か楽しげに「見てれば分かるわ」と答えた。同時に周りの景色がさっと溶けて、厨房へと変わっていた。
そうして彼らが“これから何をする”のかを見たポポとナナは、再びお互いの悲鳴を抑え込まねばならなかった。継母が少女の体に包丁を入れ、こまぎれにして鍋に放り込んでいるのだ。少年は泣きながら鍋を見下ろしている。
「マーティンが、何処か死体を隠す場所はないかって聞かれた時に、食べちゃえば何も残らないって言ったのよ」
そのまま鍋に水を入れ、調味料を入れ、火をかける継母。見た目だけは普通のスープがぐつぐつと沸き上がっているだけだが、アイスクライマーの二人はすぐにでも悲鳴を上げてこの幻影から逃れたかった。それが出来ないのは、ひとえに彼らにも幼いながらに英雄たる自負があるからだ。
二人はぎゅっとお互いの手を握り、エミリーを睨んだ。
「それで、どうなったの」
幽霊少女ははんなりと笑む。
「食べられちゃった。お父さんとお義母さんに」
「それから?」
「マーティンが骨を集めて、庭の木の下に埋めてくれたのよ」
再びさぁと景色が溶ける。今度は薄暗い裏庭である。そこには泣きながら何かに砂を被せる少年の小さな背中があった。
彼は何もしていないのに、と一瞬今まで彼にされてきたことを忘れて同情するポポとナナ。そんな二人の心情を知ってか知らずか、エミリーは事も無げにこう言い放った。
「私は、このまま成仏するはずだったのに、マーティンがこうして悲しんでくれたことで、現世に引き止められちゃったの」
三度景色が溶ける。今度は深い闇に包まれた屋敷内部の何処かの部屋だ。
「そして更に、マーティンは私を生き返らせようとして、禁忌を犯した」
暗闇の中からぼうと三人の人影が浮かび上がる。マーティンと、その使用人らしい老人と若い女である。部屋に窓はなく、おぼろな蝋燭だけが足下を照らしていた。
その床に描かれた、いかにも禍々しい魔法陣。
「マーティンはね、どこで知ったのか闇魔法で私を蘇らせようとしたのよ」
そしてその中心に浮かぶ、妙な薄紫色の発光体が小刻みに震え、しまいには立ち尽くす三人を吹き飛ばした。それきり動かなくなる三人の体だったが、その代わりに三人とまったく同じ姿をした幽霊がむくりとその体から抜け出して、呆然とした様子でお互いを見ている。
「執事のエイトとユリウスも一緒に、悪魔を召喚して“ある取引”をした」
――活きのいい人間の魂を66個集めろ。幽霊になったお前らなら人間を食べるだけでいい…そうしたらお前らも、お前の姉貴も、オレが生き返らせてやるよ――
「ぁ、ああ悪魔!?」
ひぃぃ、と情けない声を上げて抱き合うポポとナナ。エミリーはうふふと笑ってそれを見下ろしている。そうこうしているうちに景色が再び揺らいで、三人は元いた廊下に戻っていた。
アイスクライマー二人の息は荒い。それこそ何キロも走ってきた後のようでもある。勿論今しがた見せ付けられたこの屋敷の波乱万丈な成り立ちを知ったためでもあるが、それ以外にも彼らはこの屋敷の恐れるべき点に気付いていた。
「…それじゃ、マーティン君たちはエミリーちゃんを生き返らせる為にこんなことを…」
「そうよ」
「…お父さんやお母さんも、もしかしてその後食べちゃった、とか?」
「そうよ。だって最初にお父さんとお義母さんが私のことを食べたんだもん」
「まさかとは思うけど、ネスはその“66人目”?」
「当たり」
「マーティン君の誤解はもう解けてるの?エミリーちゃんを殺しちゃったって…」
「もうマーティンは知ってるわ」
「…じゃあ」
ポポ、ナナは血の気の失せた顔で、しかしきりとエミリーを見据えて問う。相変わらず少女は意味のない笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。二人は既に質問を繰り出す前に確信していた。
「君の狙いは、何?」
無意味な笑いが、邪気を帯びた嘲笑に変わる。
「貴方たちの魂を食べて、マーティンの取引の成就を手伝うわ」
嗚呼、やっぱり――ポポとナナは悄然とうなだれる。
そりゃそうだよね、生き返られるかもしれないんだし。というか、そもそもエミリーすら始めからマーティンとグルだったのか。もしもの時の為に、相手の戦力を分散させる役割を担うのが彼女の仕事だとしたら?
「念のため聞くけど、あの箱に閉じ籠ってたのは、わざと?」
「うん。貴方たちみたいな強い人たちが来たときの保険よ」
会話ばかりは穏やかに流れるが、既にエミリーは今にも二人に飛びかからんと身構えている。二人は再度溜め息を吐いて、弱々しくハイタッチをした。
「気が進まないけど…やろうか、ナナ」
「そうね、ポポ」
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