世界よ、愛しています

*1

「やめてくれ…彼らは…彼らだけは――」

王子は恥も外聞もかなぐり捨てて懇願する。地に這いつくばり、込み上げる吐き気を堪え、それでも目だけは大きく見開いて相手を見据えた。
相手は人に非ず、物に非ず。名称はない。ただ、それは自らを禁忌と名乗った。

崩れ去る箱庭をあとにし、新天地を目指して方舟に乗った彼らには、しかし希望こそあれ絶望など微塵もなかった。少し遠出をするくらいの心持でいた彼らを、禁忌は急襲した。

「ロイ、リンク…」

王子は仲間の名を呼ぶ。彼にはもっと大勢の仲間がいる。だがその多くは禁忌の前に為す術もなく倒れた。
呻き声にも似た息遣いだけが、王子に仲間の無事を知らせた。

「愚かしいな」

機械的な冷たい声音が王子の頭上から降り注いだ。王子は歯を食いしばって方舟の無機質な床を見つめる。

「はじめの威勢はどこに行った?理から外れた出来損ないに、負けるはずなどないのではなかったのか」
「…そこは謝ろう。僕は君を測り損ねたらしい」
「そうだな。そしてそれは貴様の命運を分ける」

刹那、禁忌の背中から生えた虹色の翼が光り輝いた。僅かな空白の時間の後に、禁忌を中心として同心円状に強大な衝撃波が放たれる。既にその力を目の当たりにしていた王子は、これに当たれば致命傷にいたることを知っている。
軋む身体に鞭打ち、大きく飛び退って第一波をかわす。続く第二波を転がって避け、第三波はかわしきれず、王子の身体を突き抜けるような衝撃が襲う。吹き飛ばされて壁に叩き付けられ、王子はずるずると壁伝いに座り込んだ。

「なんとか避けたか…」

そんな王子に止めを刺さんと、禁忌は悠々と歩を進める。辺りに禁忌の脅威となるものはなかった。あるのは死体と区別の付かぬ傷ついた英雄だけだ。王子はぼけた視界に近付く禁忌の姿を認めて苦笑した。禁忌はこれを諦めの意だと思った。
しかし、彼らは英雄である。いかなる困難な状況でも希望を見失わずに戦ってきたからこそ、彼らは奇跡を起こし得たのだ。英雄と呼ばれたのだ。
勝利を確信して無防備に近寄ってくる禁忌に、王子は最後の気力を振り絞って飛びかかった。それを鼻で笑い、禁忌は一蹴する。禁忌は王子の首を片手で絞めて、宙吊りにしてみせた。

「哀れだな、まだ諦めぬか」
「…ふ、はは…!窮鼠猫を咬む、ってね…!」

禁忌の指が王子の喉に食い込んでいく。それでも王子は笑ってみせる。
瞬間、音もなく禁忌の後ろに現れたのは、緑衣を纏う勇者である。王子と同様に満身創痍でありながら、勇者は平素と変わらぬ太刀筋で狙い違わず禁忌の首を狙う。
辛くも、その一撃は禁忌の翼に弾かれて、僅かにそのひとかけを削るにとどまった。しかしそれは禁忌にとって非常な屈辱であり、禁忌は王子を投げ捨て勇者を渾身の力で殴り飛ばす。王子はその場に蹲り、勇者は激しくもんどりうって転がり、禁忌の標的が勇者に変わったところで、今度は物陰から飛び出した赤毛の公子の大剣が、劫火を纏って禁忌に襲来する。

「ぬ…っ」

公子の剣に直撃し、禁忌はぐらりと膝を付いた。が、死力を尽くして攻撃を仕掛けた公子も無様に地に倒れ込む。またとない好機に、しかし追撃に動くものはいない。彼らにとってはこれが最期の悪あがきだった。もはや誰もが動ける状況に無い。
突然、そんな彼らの背後からまばゆい光が差した。なにもない空間に切れ目が現れ、それを引き裂いて巨大な手袋が姿を現す。創造神だ。

「来い!」

短く叫んで、創造神は王子たちに手を広げた。禁忌が舌打ちする。公子の攻撃が響いて、まだ動けないのだ。それでも英雄たちを逃がすまいと翼を広げて力をためる。王子は勇者と公子を指して創造神に叫んだ。

「彼らを助けてくれ!!僕は――」
「マルスを!!」

王子が叫ぶのを遮って公子が言った。続けて勇者が血を吐きながら言う。

「我々はまだいけます。マルスを、どうか…」
「何を…僕は、」

言い差したマルスを飛来した創造神が攫う。事態は一刻を争う。創造神から一番近かったこともあり、王子を真っ先に救出したのは無難な判断とも言える。しかし王子にとってはそうではない。ここで創造神に救われるということは、すなわち救われなかった二人が危険に晒されるということだ。

「マスター!やめてくれ!お願いだ!僕はいいから、二人を――」
「マルス、すまん…」

創造神の手により、冷たくもあり、温かくもあり、羽毛で包まれるような不可思議な感覚の待つ異次元空間に放り込まれた王子は己が安全地帯に入ったことを知る。王子が空間の切れ目に放り込まれると同時に、禁忌が翼にためた力を解放した。創造神は弾き飛ばされ、勇者と公子の姿も光に呑まれる。しかしそれは王子を襲いはしなかった。それでもその時王子の心に満ちたのは安堵では決してない。
絶望が、後悔が、恐怖が、その一瞬に去来した。

「やめろぉぉぉ!!!」

王子の絶叫が、辺りに響き渡った。

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