ほんの出来心だった


「あっちー……」

真夏の真っ昼間、照りつける太陽を睨みながら奥村燐は呟いた。
こんなに暑いなら祓魔師のコートを脱いでくれば良かった、今まで南半球の冬真っ盛りの場所に任務で出向いていたため日本の夏を舐めていた。
鍵一つで簡単に移動出来るというのも考えものだ、時差ボケや急激な温度の変化に身体を壊す祓魔師もいるだろう、いや時差ボケはともかく身体を壊すということとは無縁だが。
重苦しい黒のコートを脱いでもよいが、それはそれで今度は荷物が増える。
電車で揺られること暫く、駅から十分程歩くと昔ながらの商店街が軒を連ねる中お目当ての古く小さな商用ビルを見つけた。
嘗ては店舗も入っていたらしいが今は借り手がなく格安の賃料で借りれたとここを根城にしている同級生が言っていたのを思い出す。
階段を上り「苗字」という表札を見つけると、インターホンがないのでドアをコンコンとノックする。
やや間があって鍵が開く音がすると、数年前から変わらない同級生が顔を出した。

「あ、燐久しぶり」

今中散らかっているけど良かったら上がってと促されるのでお言葉に甘えて中に入る、土足で入っていきそうになり慌てて靴を脱いだ。
本人の言う通り中は散らかっていた、色々な資料やら書類が積み上げられたり散らばっていて神経質な雪男が見たら目を吊り上げそうだ。
着ていたコートを脱ぎソファの上に置くとその隣に座る、最近クーラーの効いていた室内にいることが多かったので扇風機にあたりながら学生時代の旧男子寮で寝泊まりしていた時を思い出しなんとなく懐かしくなった。

「独立したのはいいんだけど、中々十分に研究の予算貰えなくてさ色々切り詰めてんの」
「あー、確かなんだっけ有名な人のところだったよな」
「対悪魔用武器開発ではね。でもなーんか自分の研究したいものとは違うような気がしたし、それとあの先生なんかセクハラっぽかったし」

騎士の称号を持つ完全前衛向きの燐と違い、名前は医工騎士、それからお情け程度に詠唱騎士の称号を保持している。
本人曰く祓魔師には研究者の資格がないので大変らしい。
正十字学園を卒業し晴れて祓魔師となった名前は最初その実力を買われて有名な研究所に入ったが、結局辞めてここで細々と個人で研究を始めたと聞いたのは数ヶ月前のことだ。

「そういや中一級に昇進したんだってね、おめでと」
「雪男の奴は上一級合格したとよ、ったくやっと追いついたと思ったら引き離しやがって」
「そりゃ奥村先生は天才だって評判だし実際実力も判断力もあるじゃない」

名前がインスタントのコーヒーを二つ机に置いた、自分の方にはスティックの砂糖を何本も投入する。
度を超えた甘党振りになんだかこちらが胸焼けして何も入れずブラックのまま口に運ぶ、苦い。

「お前こそ、なんか研究の成果ってやつあんのかよ」
「うーん、今のところまだ実験出来てないから微妙なんだけど一種のタイムマシンを作ってみた」
「……それ、祓魔師関係無くね?」

どうやら悪魔の動きを止めるアイテムを作ろうとしている間に少し違うものが出来たらしい。
せっかくだから見てってよと言われ、確かにタイムマシンと言われて漫画とか映画みたいだなーなんて少し期待しながらその試作品を見せてもらう。

「電子レンジだよな、これ」

名前が嬉々として見せたのはどこからどう見ても普通の電子レンジだった。
強いて言うなら自分が持っているのよりも機能が多い、割と新しめなやつだ。

「実はこれ、過去にメールを送れる電子レンジなのよ!」
「………へ?」

研究者の性なのか自分の研究成果を発表するのに鼻息多めな名前に若干押されながら、その言葉を噛み砕く。
過去にメールを送れる、と聞こえた気がする。
それなら祓魔師関係無く普通にすごい発見じゃないか、ノーベル賞貰えるくらいの。

「マジで?」
「うん、最初は携帯で遠隔操作出来る電子レンジに改造したんだけど、なんか過去に極微量の情報を送れる機械になっちゃってたみたいで」

そんなノリで出来たというなら大した研究者泣かせだ。
思えば訓練生時代から一緒の実践任務に就くと教師顔負け(よく引率が椿先生だったせいもあるが)の戦略を立てたりととにかく頭脳派だった。
成績の悪い燐には関係のない世界だったが特進科の雪男と同じクラスでよくテストの優秀者常連だったとか。
しかしいきなり過去にメールを送れると言われても信じられない。

「それは信用してない顔ね。ならば見せてあげよう!……と言ってもメールは送っても本当に未来に変動を与えられるか確証が得られないから違う方法なんだけど」
「なんでだ?」
「もし送ったメールで未来が変動してるなら全てが変化した未来に合わせられてるの。なら私自身の記憶とかも書き換えられてるから……ってわかってる?」
「………おう」
「わかってないわね、それ。つまり過去にメールを送っても自分の記憶も変わるから確かめられないってこと」

頭の上にクエスチョンマークを浮かべたままの燐に苦笑して、棚を開けると中に入っているバナナを一房取り出し机の上に置いた。

「ここから一本取ってレンジに入れる」

そして自らの携帯でなにやら操作を始める、燐はと言えばもう説明を理解するのは諦めて実験の様子をウキウキしながら見ていた。
間もなく連動して電子レンジが動き始める、一分間の温めコースだ。
バナナを温めてどうするのかと思っていた燐は間もなくチンと音がして温め完了がわかると、開けてみてという名前の言葉に従い電子レンジの扉を開ける。
ホカホカになったバナナを予想していたのを裏切り、確かに入れた筈のバナナはそこにはなかった。

「あれ、無くなった?」
「そっち見て」

言われて残りのバナナが置かれていた場所を見る。
そこには確かに取ってレンジに入れた筈のバナナが元の房に戻っており、尚且つ気持ち悪い緑色のゲル状の物質に変化していた。

「て、テレポート?」
「んなわけないでしょう……といっても似たようなものか。このバナナは過去に戻ったのよ、元の房についていた状態にね」
「す、すげー」

でもなんでこんな気持ち悪ぃ物体になってんだと試しに緑色のそれに指を突っ込めばぶにゅりと嫌な感触がして顔をしかめた。

「でもなんでこんなんになってんだ?」
「言ったでしょ、極微量のものしか送れないって。バナナじゃ容量が大きすぎてご覧の通りスカスカになっちゃったの」
「ふーん」

やはりイマイチよくわからない。
指についた緑色のゼリーを食べようとは思わなかった、机の上に置かれていたティッシュペーパーを拝借して指を丁寧に拭く。

「今考えてるのはこれを利用して現在の記憶を過去の自分に送る、つまりタイムリープが出来るようになる。そうすればもし悪魔による深刻な事件が発生しても過去に遡って先手を打つなり出来るでしょ?」
「へー、成る程」

それが実現すれば純粋にすごいと思った。

「タイムリープって時をかける少女みてーな?」
「あれは現在の人間がそのまま過去に行っちゃうからちょっと違うんだけど、っていうか燐が時をかける少女知ってるの意外」
「この前しえみの家行ったら金曜ロードショーでやってた」
「杜山さん元気?」
「ああ、全然変わんねーよあいつも」

相変わらず全く料理の腕が上がっていない。
本当は用品店の方に買い足しに行くだけだったというのに、良かったら食べてってと食卓に並べられた夕御飯に絶句した。
その日はしえみの母親が所用で出かけていたとかで彼女が作ったのだが見た目や臭いの時点で既に酷い。
非常に勿体無いが作り直させてもらった。
その過程を話してやれば「本人自覚してないから言いづらいしね」と名前は笑った。

「やっぱり実験するのに課題が多すぎるのよね」

ハァ、と息をつきながら目頭を押さえる名前にふとある考えが頭を掠めた。

(いやいや駄目だ、そんな都合のいい……)

すぐに打ち消して頭を振るうが、ちょっと試すだけならと好奇心と期待に負けた。

「なあ、その実験……俺がしていいか?」

遠慮がちに口に出せば驚いたように目を見開いた、どう答えたものかと悩んでいるようだ。

「過去にメール送りたいの?一体なんて」

過去は振り返らない主義だと思っていたので意外だと名前は思った。

「えっと、昔の俺にもっと牛乳飲めって」
「何それ、奥村先生より身長低いのまだ気にしてるの?」
「うっせー、兄貴の面子的に嫌なんだよ!」
「まあそれくらいなら過去に大きな影響を与えることはないだろうし、いいか」

本当は牛乳云々は嘘だ。
燐は自分の人生が大きく変わったあの日の前日、自分が悪魔として覚醒した前の日の自分の携帯にメールを送ることにした。
翌日の午前中覚醒した自分を友人であるメフィスト・フェレスが保護してくれると、携帯と降魔剣を父から手渡された。
つまりその前には携帯は父である藤本獅郎の手にあったということになる。

「メール打ち終わった?」
「おう、いつでもいいぜ」
「こっちの準備も完了、送信ボタン押して」

嘘をついていることに後ろめたさを感じていないわけがない。
だがそれと同時にもしあの日義父が悪魔に乗っ取られるようなことがなければ、雪男が父親を失うことは無かったし、何より自分自身救われる。

(まあ、本当に過去になんてメールが遅れるか確かじゃねーし)

もし成功したらいいな、なんて軽い気持ちだった。
そのメールによって未来をどうねじ曲げてしまうかなんて予想もしていなかったのだ。
ゆっくりと深呼吸して使い慣れた自分の携帯電話のメール送信ボタンを押す、間もなく送信完了画面が表示された、呆気ないものだ。

「……!」

その瞬間、ユラリと視界が歪んだ。
同時に乗り物酔いに似たような(実際燐は乗り物酔いなんてしたことはないのだが)気持ち悪さ、吐き気に襲われてしゃがみこむ。

「大丈夫?」
「実験は、どうなったんだ?」
「実験?」

心配そうに燐を覗き込んだ名前が怪訝そうに眉をひそめた。

「過去にメール送っただろ!」
「え、送ってないけど……」

名前によると燐がここに来て色々雑誌しているうちに突然具合悪そうに俯いたので焦ったらしい。
未来が、変わっている。
あの電子レンジマジだったのか……名前のすごさに感嘆していると不意に手に持っていた携帯が着信を告げた。
誰だろうと思い画面をみればそこには「ジジイ」の文字が。
ジジイ、と燐が携帯に登録するような人物はこの世に一人しか存在しない。
画面を見て硬直してしまった燐に大丈夫かと声をかけてきて、ハッと我に返り通話ボタンを押す。

≪おい燐、お前どこほっつき歩いてんだ!この前の任務の報告書まだ出してねーだろうが≫
「ジ、ジジイ……?」
≪なに変な声出してんだ?さっさと帰ってこないと俺が雪男に小言を言われるんだからな≫

早く帰ってこいよ、そう言うと電話は切れた。
ツーツーと通話口から音が聞こえて来る中、しばらく時間が止まったように動けなかった。

「嘘、だろ……」

死んだ筈の人間が、生きていた。






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