悪魔が目を覚ます
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幼い頃から一人言の多い子供だった。
望まずして暴力的だったため、友達が出来なかったことも理由の一つかもしれない。
いつも自分と話してくれる姿のない存在に、燐は純粋に喜んで話しかけていた。
と同時に感じる暖かさになんとなく思っていたのだ―――これがお母さんってやつなのかもしれない、と。
だが時が経ち、成長するにつれてその存在を忘れていくようになり。
小学校高学年の頃にはもう"彼女"と話すことはなくなっていた。




■□




―――お前は魔神の落胤だ。

養父である藤本獅郎が告げた言葉に、燐は驚きを通り越して言葉を失った。
幼い頃から悪魔だの罵られてきたがそれはあくまでも"悪魔のような子供"という意味でこの世に悪魔なんて存在しないと思っていた。
突然何を言い出すのだと燐の手を掴み走る父を見上げる。
今日は本当なら父の知り合いの料亭に見習い面接に向かっていた筈だ。
途中昨晩鳩殺しをしていた連中にホイホイついていったのが間違いだったのだと後悔する。
それこそ悪魔のような所業を施そうとした鳩殺し達に心底恐怖を抱いた瞬間、燐の身体から青い炎が溢れだし燐を守るかの如く身体にまとわりつく。
何が起きたのか理解出来ず呆然とする燐に鳩殺しの首謀者である少年は恭しく燐の前に立ち上がると、恍惚とした表情で燐に手を差し出した――父上《サタン》様がお待ちです、と。

間一髪その場に現れた父によって助け出され、直ぐ様幼少から育った修道院に帰り父に告げられたのは「とにかくこの修道院を出ろ」わけもわからず出ていけと言われて納得出来る筈もなく、渡された降魔剣や友人が保護してくれるなどどうでもいいと投げ捨てた。
と、そこで違和感が燐を襲う。

俺の腕はこんなに細かっただろうか。
炎を出してから立て続けに有り得ないことばかりで気づかなかったが、朝サイズがぴったりだったスーツも何処と無くぶかぶかな気がするし何だか胸が物理的に苦しい。

「な、なんだよこれ……!」

窓ガラスに映る自分の姿に絶句した。
そこにいるのは間違いなく奥村燐であるのに、見知らぬ女だった。
漆黒の髪は胸部まで伸びている。

「……おそらく、それがお前の悪魔としての姿だ」
「はぁ!?」

戸惑いを隠せずにいる燐に藤本が説明をする。
悪魔とは本来雌雄が曖昧であり、魔神の炎を許容するためにはより丈夫な女性の姿でなくてはならないこと。
初めて炎が溢れたため暫く女の姿だがそのうち元に戻る、しかし降魔剣を抜いて完全に悪魔として覚醒した場合二度と人間としては生きれなくなると。
あまりに突然のことで混乱していたのかもしれない、とにかくここを出ていけ友人が保護してくれるからと言う父に裏切られたと思った。
なら言えばいいじゃないか、こんな問題児もういらないと。
どうせ他人だからと、そう言ってやった。
パンッ!と乾いた音が響き遅れて走る左頬の痛みに嗚呼殴られたのだとわかる。
他人を殴ることも喧嘩して怪我することも日常茶飯事なのに、少しだけ腫れた頬が焼けるように熱く痛かった。
それでも父の言う通り出ていこうと背を向け歩き出そうとしたところで、突然藤本が苦しげに胸を押さえ呻き声を上げ始める。

「ジジイ……?」
「早く、俺から離れろ!」

切羽詰まった様子に大丈夫かと声をかけようとして、異変に気づいた。
姿形は間違いなく養父だ、だかこいつは一体誰だ?
養父の姿をしたそいつは下劣な笑い声をあげ、サタンだと燐の実の父親だと名乗った。

「生臭坊主に感謝しねぇとなァ……小便くせぇガキをここまで育ててくれたもんだ」
「な……」

本能的に恐怖が駆け巡り、座り込んだ体勢のまま後ずさるがすぐに壁に背中があたり退路を断たれる。
驚愕と恐怖の入り交じる表情で見上げた燐にサタンはフフンと笑った。
暇潰しで孕ませた女祓魔師もまさか魔神が現れるとは思っていなかったのか、今の燐と似たような表情をしていたものだ。
人間の女など興味はなかったが、他のサタンの子は誰一人として青い炎を受け継がなかったことを考えると悪くなかったと思う。

「さあ来いよ、虚無界へ」
「い、嫌だ来るな……!」

俺は人間だと叫ぶが魔神がそれを嘲笑う。
この炎が何よりも確かな証拠だ、物質界虚無界でも魔神の炎を受け継ぐ存在はいない、まさに無二の存在。

恐怖と絶望に支配され、なす術もなくサタンの産み出した虚無界の門へと吸い寄せられようとしていたところで、不意にサタン、正確にはサタンに憑依されていた義父がガクッと苦しげに倒れ込んだ。
その手元にはいつも義父が首から提げていたハートに近い形をしたブローチが握られていて、己の胸に突き刺していた。

「こいつは俺の息子だ、返してもらおうか……!」

その言葉に燐は目を見開いた。
どうして俺があんなに酷いことを言ったのに、自分の命を断ってまで俺を守ってくれようとするのか。
倒れ込んだ藤本の身体を抱きどうにか抜け出そうとするも、このままでは間違いなく虚無界の門に飲み込まれ義父の行いが全くの無駄になる。
どうすれば、すがるような気持ちで辺りを見渡した燐の視界に入ったのは降魔剣と呼ばれる刀。
ふと義父とサタンの台詞が蘇る。

"抜けばお前は悪魔の身体に戻る"
"早く悪魔としての本性(ちから)を取り戻せ"

この刀を抜けば義父を助けられるかもしれない、その一心で刀の柄に手を伸ばした時、突然脳に直接響くような声が聞こえてきた。

《それを抜けば君はもう人間には戻れない、それでもいいの?》
―――そんなことはどうでもいい、早くしないとジジイを助けられない。
《そう、君がそう決めたなら私は何も言わない。でも進む道に希望はない》
―――上等だ、俺はジジイに何も見せてねーんだよ!

力一杯刀を鞘から抜き取ると、その瞬間溢れるような力と共に視界が青く染まった。
そして目前に迫る虚無界の門に降り下ろせば気味の悪い叫び声のような音を響かせて門は消滅する。
助かった……!安堵しつつ傍らに倒れる義父を見て言葉を失った、もう生きていない。
思えば迷惑をかけてばかりいた十五年間だった、誤って骨折させてしまったこともあった。
けれどいつも「気にするな、大したことねえよ」と笑っていて。

「とう、さん………」

どんなに後悔しても、泣き叫んでも義父は帰ってこない。
頬を温かいものが流れ落ちていくような感触がする。

《―――せい、……》

どこかで懐かしい誰かが泣いているような気がした。




■□





《初めまして、奥村燐》

父を失ったその夜、翌日葬儀が執り行われるということで燐は毎日寝泊まりしている部屋でベッドに横になっていた。
幼い頃から自分を知る修道院の人達は「ちゃんと眠っておけ」と言ったが、眠れる筈もない。
瞼を閉じれば青い炎と、血を流す義父の姿がフラッシュバックした。

「雪男になんて説明すりゃいいんだよ……」

トイレ行こうと部屋を出る、用をたして洗面台で手を洗っていると鏡に映る自分の姿。
あの時に見た女の姿ではなく、完全に元の自分に戻っている、いや厳密には耳が尖っていて尻尾も生えているのでもう元の自分とは違うのだが。
あれからすぐ降魔剣を鞘に戻すと、炎も収束して身体に感じていた違和感も消えた。

「本当に悪魔になっちまった、のか」
《何を今更、その青い炎は紛れもなくサタンの証でしょう》
「!誰だ」

突然声が聞こえて弾かれたように周りを見渡すが人の気配はない。
と同時に思い出す、この声は降魔剣を抜く前に聞こえた女の声だ。

「お前は、一体誰だ……」

初めまして、と挨拶した声は自分は奥村燐の悪魔としての人格だと言った。

《人間と悪魔の間に宿った君は言わば両方の特性を備えている、けれど残念なことにそれは一つの身体で二つに分かれてしまった》
「じゃあ初めて青い炎を出した後、女の身体になってたのは」
《ああ、あれは初めてのことで君の人間の身体が驚いてしまったのでしょうね。普通だったら身体が私のになったら精神も私に支配権が移る筈なんだけど》
「し、支配権?」
《そう、この身体は私達共用のもの。今まで悪魔たる私は封印されてきたから出てこれなかったけど》

これからは遠慮無く出てこさせてもらうから、という声に冗談じゃないと思う。

「ふざけんな、この身体は俺のだ!」
《その認識が間違い。大体私は君の意思なんて無視して表に出れるけど、色々面倒だから親切に説明してあげてるの》
「な……!」

あまりに身勝手な言葉に絶句すると、それじゃ私寝るからと言ってそれきり声は聞こえなくなった。
突然のしかかってきた色々なことにぐるぐると頭が混乱する。

「一体どうなってんだよ、俺は……」

ベッドに戻っても相変わらずわけがわからないままで、ぎゅっとシーツを強く握り締める。
明日は義父の葬儀だ。
いつも悪魔だなんだと罵られて少なからず傷ついていた幼い自分に父、藤本獅郎は繰り返し言った――お前は悪魔なんかじゃない人間だと。
人並み外れた力だって優しいことに使えばいつか皆認めてくれる、そう諭していたが蓋を開けてみれば本当に悪魔の落胤だなんて笑えない冗談だ、いや冗談だったらどれほど良かっただろう。
オマケに意味がわからない自分の悪魔としての人格を名乗る女が出てきて、立て続けのことにパンクしてしまいそうだ。

「……でもあの声、どっかで聞いたことあんだよな」

けして不快な感じはしない、寧ろ話したくて仕方なかったような。
そんな記憶が脳裏を掠めて思い出そうとする。

《りんは、おとうさんのことすきなの?》
――おう、でっかくなったらジジイみたいにかっこよくなるんだ!

「もしかして―――?」

それは幼い頃、いつも話し相手になってくれていた自分にしか聞こえない声と同じだった。







>>見かけたことのない設定でやろうと思ったら、若干燐女体化臭くなったけどそれは後にも先にもこれだけです、たぶん。二話以降はちゃんと外も中身も変わります。




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