秘密の花園
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奥村雪男がその存在に気づいたのは中学二年の春、最年少で祓魔師の資格を取得して暫くした頃のことだ。
夜中に目を覚ましてトイレに行こうと二段ベッドを降りると、いつも爆睡しているはずの兄の姿がなく焦った。
自分と同じく便所に行ったのだ、もしそこにもいなくて家にいる気配がなかったら養父に相談しようと廊下を歩いていて、養父が寝ている部屋からほんの少しだが明かりが漏れていることに気づく。
小さな修道院の神父と祓魔師の中でも最高位の聖騎士、二つの顔を持つ養父藤本獅郎が多忙で夜中に起きていることは別段珍しいことではない。
とにかく今は兄の行方だ、とそのまま養父の部屋を素通りしようとして中から話し声が聞こえてきた。

「………か、燐は……」
「今のところは………、でも……」

修道士の誰かと会話しているのか小声で話しているが、片方の声に引っ掛かった。
トーンが男性にしては高すぎる、しかしここは男子修道院であり昼間礼拝に訪れる人ならまだしもこんな時間に女性ががいる筈ないのだ。
一体養父は誰と会話しているのだろう、そんな思いからこっそりと部屋の中を覗く。
そこにいたのは雪男が知らない恐らく同年代の少女だった。
こちらに背を向けていて長い黒髪しか見えないが記憶の中にあんな人は見たことがない。
今日は誰か子供が泊まる予定で眠れずに養父の元を訪れたのだろうか、だがそんな予定は聞いていなかったと思っていると不意に雪男の視線を感じたのか少女がこちらを振り返った。

「……!兄、さん?」

その顔に雪男は唖然とした。
兄の燐と瓜二つ、いや全く同じものがそこにあったのだ。
その日雪男は、同じく雪男の存在に気づいた養父から燐の中にいる"悪魔としての人格"というものを初めて聞くことになる。





「今すぐ兄の身体から出ていってください」
「残念だけどこの身体は燐のであると同時に私のでもあるの。無理な相談よ」

深夜、二人きりの旧男子寮六○二号室にて兄と同じ顔をしている悪魔に雪男は銃口を向けたが全く動じることなく悠然と微笑んだ。
昼間は突然講師として登場した弟に唖然としていた燐と口論になり、挙げ句ミスで小鬼を引き寄せてしまい面倒なことになった。
その際どういうことだと詰め寄ってきた兄に、「神父さんは兄さんのせいで死んだ」だの「いっそ死んでくれ」だの酷いことを言ったが、それは全て兄に己の置かれている現実を理解し、覚悟を持ってもらうためだ。
本当に死んでほしいなんて欠片も思ってはいない、そもそも雪男が祓魔師を志したのは兄を守るためだ。
そのために訓練を積んできた、知識を詰め込んだ。

「貴女が居なくなれば兄は人間として生きられる」
「本気でそう思っているの?」
「悪いですか」

雪男は苛立っていた。
この悪魔も兄と同じ年数しか生きていない筈なのにまるで年上のように振る舞う。
自分が年相応でないことは十二分に理解しているがそれよりも更に上の、まるで大人のような。

「残念だけど奥村燐のこの身体そのものがサタンの青い炎を受け継いだものだから、その考えは間違いよ」
「そうですか、それは残念です」

今すぐ貴女を撃ち殺せば、兄が忌まわしき力から解放されて人間に戻れるかと思ったんですけどと言えば少しだけ困ったように肩を竦めた。

「言っておくけど燐は最初から半分悪魔だから、戻るという表現は正しくないよ」

嗚呼、僕はこの人が大嫌いだ。



□■□



どうしてこうなった、と燐は己の手についた糞尿(あくまで堆肥だ)にうげっと顔をしかめた。
フツマヤという祓魔師御用達の店に行くという雪男に、休日で暇していた(課題はわからなすぎて放棄した)燐は連れてけ!と半ば強引に同伴してきたのだが結局店先で待たされる。
まるで母親が落ち着きのない子供に注意しているような口振りの弟に、兄としてこれいかにと思いつつ待っていると店の脇に綺麗な庭園が見えた。
試しに入ろうとしたところでどうやら魔除けをしていた門に悪魔の血が流れている自分が反応してしまったらしく、中にいた大人しそうな少女に怯えられてしまった。
少しばかり過剰とも思える怯えぶりにイラッときた燐はそもそも俺は悪魔ではない!(人間とも言い難いが)と中に踏み込む。
悪魔が侵入してきて更に自分に近づいてきたことにパニックを起こした少女は逃げようとするが、そこで燐は彼女の違和感に気づいた。
少女は立って歩くことが出来なかったのだ。

「ありがとう、助かりました」

少女―――しえみが歩けないことを知った燐が手伝うと、仲直りしようと笑顔で手を差し出してくる。
それまでの人生、悪魔だの鬼子だの罵られ友達など出来たことのない燐にとって同年代のしかも女子に笑顔で話しかけられるなんて初めてで緊張しながらその手を握り返した。
直後彼女の手に堆肥が付着していて、当然ながらそれが自分の手にも移ってしまい軽く後悔したのだが。

「兄さん!」
「おー、雪男」

しばらくしえみと雑談していると店の方から驚いた様子の雪男と、恰幅のいい和服の女性が歩いてきた。
服装といい髪の色からしてしえみの母親かもしれない。
しえみに燐が双子の兄だということを雪男が紹介すると、雪ちゃんがお兄さんみたい……!と大変不愉快なコメントをされてしまった。
更に雪男まで形ばかりの兄だとか馬鹿にする始末。

≪プッ……兄の威厳形無しね≫

遂にはそれまで沈黙だったミレイまで笑い出す、どうやらここに燐の味方はいないようだ。

「これは魔障です、悪魔の仕業に間違いない」

しえみが歩けない原因は悪魔によるものらしく、雪男が診察するために着物から覗かせたその細い足には根のようなものが張り巡らされていた。
憑依まではされていないが、歩けないレベルとなると下級の悪魔にしえみが応えたのだろうと雪男が説明する。
誰よりも大好きな祖母が遺した大切な庭、それを必死で守ろうとするしえみと彼女を心配するが故に厳しい言葉をかける母親との口論に、燐は違和感を感じた。

(しえみは、一体何に縛られているんだ……?)

ただ草花が大好きで祖母の庭を大切にしたいというだけではない、大切にしなければならないという強迫観念に駆られているように感じた。
それはどこか既視感とも言うべきか、他人事とは思えないような気がして動き出す。
雪男が再びしえみの母と一緒にフツマヤの中に戻って行くのとは反対に再び庭へと向かうと、彼女が寝泊まりしている蔵の入り口から声をかけた。
母親が心配していたぞと言うと、酷いのはお母さんだ、私はこの庭を守るって決めたんだ!と声を張り上げる。
ああ、やっぱりだ。
そう判断した燐は蔵から出ると肩から提げていた降魔剣で、一番近くにあった植物を荒らした。
植物に罪はない、それでもしえみの目を覚まさせるにはこれ以外の手段が思いつかなかった。

「な、何するの!?やめて!」

燐にしがみつき制止を懇願するしえみに一喝する、お前は何に縛られているんだと。
その言葉にしえみはようやく本心を、懺悔を口にした。

「おばあちゃんは私が早く帰って来なかったから、私のせいで死んだの!だから私はおばあちゃんの庭を守る!」

それを聞いた瞬間、燐の脳裏に自分のせいで死んだ養父の姿がよぎった。
やはりしえみは自分と同じなのだ、自分を責めて後悔して。
燐は誓った、養父が自分を育ててくれたことは間違いでなかったのだと証明するために聖騎士になると。
所詮それは自己満足なのかもしれない、そうすることで自分の罪が赦されると思って、本当に養父が望んでいるかもわからないのに。
だが燐は進むと決めたのだ。
対してしえみはどうだろう、彼女の祖母を燐は知らないが悪魔に憑かれそうになってまで、母親に心配をかけてまでこの庭に固執しろなんて言うとは思えなかった。

「私、バカだ……もう足が動かないよ……!」

しえみが泣きじゃくりしがみつく。
燐ももう目の前で誰かが傷つくのは耐えられなかった。

「俺が……ぶった切ってやる!」



□■□



「……どうして貴女になっているんですか」
「燐よりは頭使って動ける自信あるけど」

逆上して暴れ出した悪魔を退治するために、一緒に戦おうと燐が降魔剣を抜いた瞬間その姿は燐ではなく女……ミレイへと変わっていた。
半ば強制的にチェンジさせられたらしい。
露骨に顔をしかめた雪男に、ミレイは首を竦めた。

「あの直情馬鹿じゃ、作戦もやりづらいでしょ?」
「兄が聞いたら怒りますよ」
「大丈夫、聞こえてないから」

そう言って抜いていた降魔剣を鞘に戻す。
身体を纏っていた青い炎はすぐに収束した。
確かにフツマヤの方にいるしえみの母に青い炎を見られるのは非常にまずい。

「でもどうするつもりですか、唯一の攻撃の術を」
「ご心配なく、なんとかするから」
「……しえみさんごと調伏すると見せかけて、栄養剤を発砲します。彼女の身体から離れたところを祓ってください」
「了解」
≪ちょっと、あたし達を無視して二人で話進めてんじゃないわよ!≫

業を煮やしたのか襲いかかってくる山魅を難なくかわすと、雪男は銃口を向ける。
しえみを盾に取っていたため雪男が発砲するわけないとたかをくくっていた山魅は戦慄した。

≪ハッタリね、騙されないわ!≫
「そうかもしれないな、さて」

どっちでしょう?
にこりよりもニヤリの度合いが高い笑みを浮かべると引き金に指をかける雪男は、聖なる祓魔師というよりも性悪なそれに見えた。
しえみの胸部に聖銀弾……ではなく栄養剤を撃ち込むと、慌てて彼女の身体から逃げ出す山魅。

「離れたっ!」

同時に動き出したミレイは一瞬のうちに山魅との距離を詰めると。

「―――、……」

なにやら小さく呟き、山魅の本体が真っ二つに裂かれる。
雪男は一瞬まさか致死節を唱えたのか?悪魔なのに、と思ったがすぐにその考えを打ち消した。
致死節によって悪魔が調伏される場合、まるで聖なる言葉の羅列に存在を根底から否定されるように内側から消えていく。
しかし今のは完全に切り裂いていた。
刀を抜いていないのに。
悪魔特有の爪を瞬発的に伸ばして武器としたのだろうか、と考える雪男の前で空中に投げ出されたしえみはミレイによって受け止められた。

(誰だろう……すごく、暖かい……燐?)

しえみの意識が覚醒してくると同時に、ミレイだったものが燐へと戻り、いつの間にかしえみをお姫様抱っこしていた状態になっていた燐は焦った。
自分の知らないうちにしえみの足に憑いていた悪魔がいなくなっている。
良かった、と同時に心の中でミレイにお礼を言った。





その翌日、教壇に立ち新しい塾生として雪男に紹介され緊張しつつも自己紹介するしえみの姿があった。






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