ただでさえ眠い世界史の授業中、先程までこくりこくりと槽を漕いでいた頭がパタリと机に突っ伏した。
しかし周囲の生徒はそれを気に留めることもなく、教師も注意をしない。
もう慣れた光景であって、彼にしては今日は頑張った方なのだ。
……ああ申し遅れましたが私は彼こと奥村燐の斜め後ろの席に座る女生徒Aです、名前?モブ子とでもお呼びください、名乗る程の者ではありませんよ。
そんな私が何故ただのクラスメートである奥村燐の観察、と言いますか彼を注意して見るようになったのかと言えば事の発端は中学時代に戻る。
中学二年の春、親の転勤で南正十字学園町に引っ越してきた私は奥村燐と同じ中学校、しかも同じクラスに転校した。
新学期でクラス替えの直後だったせいか女子のグループが出来上がる前に気の合う友人も見つけて順風満帆な毎日を送っていたわけだが、ある日昼ごはんを食べようとしていたところでクラスメートの男子が弁当箱を持ち上げたり鞄の中をがさごそと探ったりと変な動きをしているのが目に入った。
ああ、もしかしてお箸忘れちゃったのか。
偶然にも割り箸を持っていた(コンビニでプリンを買ったら何故かレジのお姉さんがスプーンの他に割り箸も入れてきた)私は、特に何を思うこともなく立ち上がるとその男子の机まで歩き割り箸を差し出した。

「箸忘れたのなら、良かったらこれ使って」
「え?お、おうありがとうな!」

一瞬物凄く驚いたように目を見開いていたが、素直に受け取りお礼を言う。
そこまでは特に何もなかったのだが、自分の座席に戻ったところで一緒にごはんを食べていた友人がちょっと!と焦った様子で手を引くと声を潜めた。

「なんで普通に奥村君と話してんの!?っていうか何もされなかった!?」
「割り箸あげただけだよ?」

というかあの男子奥村君っていうんだ。
まだこっちに来て日が浅いため、特に男子の顔と名前は全員一致していないし、それにあの奥村君とやらはあんまり学校でも見かけていない気がする。
そう言えば友人は「そういや転校生だったわね……」と息を吐いてからチラリと奥村君の方を見て口を開いた。

「奥村燐、この辺でも評判の不良で学校はサボるし喧嘩ばっかりしてるらしいよ?この前は高校生を病院送りにしたって」
「へえー、そうなんだ」

見た感じそういう風には見えなかったけどな、箸あげたらお礼も言ってくれたし。
しかし奥村君の話は本当らしく、他にもいろいろな話を聞いた。
隣のクラスに秀才で見た目も性格も全く違う双子の弟がいること(実物を見たら物腰柔かなイケメンで驚きましたとも!)、昔からキレたら誰にも止められなくて悪魔と呼ばれていたこと。
悪魔って、いくらちょっと怖くてもそれはあんまりじゃないか。
そんなこんなで箸の一件以降特に接触することもなく月日が過ぎていったある日のこと、雨がしとしと降る中傘をさしながら下校していたら道端でしゃがみこむ奥村君を発見した。
何してんだろ?と立ち止まって見ていると、彼の手元で動く何か。

「お前こんなところで雨に打たれてると風引くぞ?なんだ、お腹すいたのか?」

そこにいたのは小さな猫だった。
どうやら彼は雨に打たれていた猫に自分の傘をかけてやっているようだ、背中に雨があたってしまっている。
すると奥村君は鞄の中を探って食パンを取り出し、ちぎってやると猫に食べさせてあげていた。
……やっぱり怖い人には思えないんだよなあ。
すると猫の首輪についていたプレートに気づいたようだ。

「お前この辺に住んでるのか。連れてってやりたいけど俺が行ったら怖がられそうだし……」

学校だけでなくご近所にも奥村燐の悪名というか、良くない評判は広がっているようでどうしようかと悩んでいる。
流石に黙って見ているだけというのもどうなんだ自分、困っているんなら尚更と声をかけることにした。

「それなら私が届けようか?」
「え?あ、ああ……お前この前の箸の」

残念ながら名前を覚えてくれていなかったようなので名乗ると、わりー俺頭悪いからと申し訳なさそうに謝った。

「お前俺のこと怖くねーの?」
「怖い?」
「ほら、俺って悪魔とか言われてるし……」
「私が見てるのが奥村君のいい側面ばっかりだからかな」
「いい側面?」
「そう、例えば奥村君が誰かをボッコボコにしてるとことか見たら怖いかもしれないけど、猫に雨が当たらないよう傘をさしてあげてるとこだけみたら優しい人でしょ?」
「や、優しい?」

優しいという言葉を言われ慣れていなかったらしい奥村君は赤面してわたわたし出した、なんか可愛いな。
だがそれ以降少し言葉をかわすことはあったものの大きな接点はなく中学を卒業して私は、正十字学園に進学することになった。
聞いた話だと奥村君の双子の弟、奥村雪男君(結局同じクラスになることもなく接点はゼロ)は見事奨学金の権利を得て特進科に進学するらしい、どんだけ頭いいんだ。
弟の方はともかく、燐君の方はもうしばらく会うこともないのだろう……と思いながら無事入学式を終えて、これから自分の学ぶ場となる教室に踏み入れてふと目が合った人物に口があんぐりと開いてしまった。
奥村君がここにいたのだ。
え?奥村君ってここ入れたの?(すごく失礼だがかつて英語と数学での彼の点数一桁のテストを見てしまったから仕方ない)
しかしどうやらあっちは私の存在に気づいてないようだ、というかもっと大切なものがあるから学校にはさほど重きを置いていないみたいなそんな感じ。
大抵は授業中寝ていて、終わって少ししてから起き出して慌ててどこかに行ってしまう。
……なんか腹立たしい、一応顔見知り程度ではあるんだから気づいてくれてもいいじゃないか。
ちょっとした嫌がらせで授業が終わっても一向に起きない奥村君をわざと起こさなかった、子供っぽいとか言わないで自分が一番わかってるから。
彼を少し見ているといろいろと妙なことがわかってきた。
その一、どういう繋がりかわからない友達がいる。

「奥村くーん、英和辞典貸してくれへん?」
「構わねえけど、子猫丸とか勝呂はだめだったのか」
「二人とも移動教室とかで教室にはいなかったんです」

いかにもチャラいですオーラ満開の頭をピンクブラウンに染めた(染髪は校則で特に規制されていないらしいが、それにしても明るすぎる)男子生徒が親しげに奥村君に話しかけていた、しかもものを借りていた。
話し方というか方言から考えて京都の人なんだろうけど、中学の京都への修学旅行は奥村君欠席していたし接点がわからなすぎる。
しかも弟君の方のファン(いつも女子に囲まれていてご苦労なことだ)である子の話によると、着物を着た可愛らしい女の子と仲良さげに歩いているのを見たとか。

「今だに私の存在気づいてないだろうし……」

なんかちょっと寂しい気持ちになるが自分から話しかけには行かない。
意地になっている部分もあるかもしれないが、一番はもしあっちが綺麗さっぱり覚えていなかった場合が怖くて。
だって対して話してないし、きちんと会話したのなんて多分二回くらいしかないし。
そんなこんなで毎日彼を見ているだけなのだ。



―――だがそんなある日のこと、事件が起きた。
それは祝日の関係で四連休となり、それならと実家(といっても正十字学園からあまり遠くない)に帰っていた日のことだ。
夜の住宅街、一人で歩いていたところを私は変質者に襲われた。
しかもこの変質者、普通じゃないというか……まあ変質者の時点で普通ではないのだが、それにしてもおかしなことばかり口走っていて君が悪く、私はただ恐怖に震えるしかない。
そうしている間にも変質者のゴツい手が首に添えられ、絞められて殺される!と思ったその瞬間青色が視界を埋め尽くした。

「大丈夫か?」

男の手に解放されてへなへなと地面に倒れ込むと(情けない話だが本当に怖かったのだ)目の前に別の手が差し伸べられた。

「おく、むらくん?」
「災難だったな、悪魔に憑かれた人間に襲われるなんて―――」

奥村君の形の良い唇が私の名前を紡ぐ。
悪魔とか憑くとかいう言葉の前に奥村君が名前を覚えてくれていたことが嬉しくて仕方なかった。
気づけば安心したのと嬉しいのとで、目から涙が溢れ出す。

「もう大丈夫だ、俺が助けにきたから」

後に聞いた話では、奥村君は悪魔に憑かれた人間をその青い炎で悪魔だけ祓うなんていう器用なことをやってのけたらしい。
何故私がそんなことをしっているかと言えば、この一件で魔障を負った私は奥村君と同じ祓魔師になるための塾、祓魔塾に通い始めたからだ。

ついでに言えば、絶賛片想い中だ。