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「君も相当馬鹿だよね、寧ろ可哀想というべきかな。こんな病人のことなんて気にしてなければとっくの昔に嫁の貰い手もいただろうに」

かつては壬生浪と京の都で名を轟かせていた新選組の一番組長、沖田総司。
しかし死病に侵された身体は痩せ細り、一人で歩くこともままならない姿にその面影は皆無といっても過言ではなかった。
ただ瞳だけは常に濁らず、更に言えば口も以前と変わらず要らぬことばかり申すのだった。

『私の心配をしてくださるのはお心遣い痛み入りますが、沖田さんはご自分の身体のことだけ考えてください』
「嫌だよ。今のもう近藤さんの刀になれない僕には、君と話をすることぐらいしか出来ないから」

甲州鎮部隊と名を改めた近藤と土方率いる新選組は、前の戦で鳥羽伏見に続き大敗北を喫して北へ敗走を始めたと聞く。
たった一人の剣士に戦をひっくり返すことなど出来ないが、それでも尊敬して止まない近藤の為に刀を奮いたかった気持ちは痛いほど分かる。
それくらいナマエは彼等と長い時間を共に暮らしていた。
全ての始まりは、新選組がまだ会津藩より名を貰う前に浪士組と名乗っていた頃、当時浪士組の創始者といってもいい清河八郎の発案で江戸より京へ来たときのことだ。
ナマエの姓は、八木。
近藤や土方達試衛館一派が寝泊まりすることとなった壬生村の郷士・八木家当主、源之丞の長女である。
今になって思えば、両親も祖母も江戸の侍集団と聞いてたいそう嫌な顔をしていたものだ。
ナマエ自身何度も口を酸っぱくして彼等には近付くなと再三言われていたが、如何せん同じ敷地内で寝泊まりして何度か顔を合わせてしまうものだ。
だが予想とは反して、彼等は話してみれば悪い人ではないし、世間話で盛り上がることもある(当時近藤と並んで新選組局長を勤めていた芹沢鴨及び芹沢一派はお世辞にもそうだとは言えなかったが)

「君も、頼んでもいないのに男所帯だから大変だろうとか言って度々世話焼きに来てたよね」
『実際沖田さんがお作りになった味噌汁を飲んだときは、私が作り直さなくてはと使命感に囚われましたけど』
「料理は好きじゃないんだよ」
『確かに昔から食には興味がないようでしたね』

しかし隊士達とも打ち解けて彼等を訪ねるのも日課となりつつあったある日、雪村千鶴が現れたことにより事態は急変した。
最初土方は彼女の存在自体もナマエに知られぬよう、もう自分達の世話を焼きに来ないよう告げた。
鬼の副長にそう言われればナマエにもう屯所へ行くことはないと思い、皆事情が事情なだけに仕方なく思っていたが一人だけ違った。

「別に教えればいいじゃないですか、それであの子が誰かに口を滑らしたら僕が責任持って斬りますよ」

それから、以前にも増して新選組の屯所に出入りすることになり、次第に雪村千鶴とも親しくなる。
彼女は本当に良く出来た子だと感心したものだ。
どんな理不尽な環境に置かれても文句の一つも言わず、お役に立てることがあればと積極的に働き回る。
彼女は男性隊士として土方の小姓という名目でいたが、実際女性として家事その他手伝いにきていたナマエよりも気が利くし女性らしいと羨ましくも思ったものだ。

「でも僕ば君の味付けの方が好きだったな。千鶴ちゃんは土方さんの好みに合わせてるし」
『それは仕方ないですよ、千鶴も立派な一人の女性として土方を慕っているんですから』

戦が激化するにつれて幾度も千鶴が正規に離隊する機会はあった、時には土方本人から提案があったり京の古き鬼を名乗る少女が保護を申し出たこともあったが、それでも彼女は行かなかった。
同性として分かる、あれは恋する女の瞳だ。
そしてナマエ自身、屯所が西本願寺に移るときも親の反対を押しきって通いつめていたし、沖田が老咳だと知っても看病に勤しんだ。
最初は飄々として怖い印象だったけど、その裏に見え隠れする純粋な心に気付いてしまったから。

「だからってこんなところまでついてくるなんて、思っても見なかったけどね」

鳥羽伏見の戦いで破れた旧幕府軍及び新選組は、大阪城を本拠地に陣営の建て直しを図ろうとした。
しかしそんな時突如将軍が江戸に向かったと聞いた。
何故将軍がしっぽを撒いて逃げるような行動に出たかわからないが、追うしかない。
新選組も大阪から船で江戸に向かうこととなり本格的に京から離れる時、ナマエは決断した。
彼等、沖田についていくと。
両親とは大喧嘩の末、勘当同然で家を飛び出してきたがそれでも構わないと思う。
幕軍医師の松本良順ゆかりの植木屋で一人療養することになった沖田の世話を始めた。
沖田には幾度も冒頭のような言葉を言われていたが、一片の後悔もない。






いつものように替えた布団を干していたとき、不意に庭の植木がガサリと揺れた。
最近では官軍もこの辺りに幕府関係の者がいないか嗅ぎ回っていると聞く。
新選組一番隊組長がいるなどと知られてみれば、たとえ本人が病床に伏していようとも斬首に処せられるのは間違いない。

(――知らせなきゃ!)

最悪の事態を想定し背筋が寒くなる。
音を立てないように細心の注意を払いながら駆け出す、だが今の沖田にはもう戦う力など残っていないのだ、とにかくどこかに隠れてもらうしかない。

「どうしたの、ナマエちゃん。まるで化け物でも見たような顔になってるけど」
『お、沖田さん!私のことはどうでもいいです、早く隠れてください!』
「……何かあったの?」

ナマエの慌てふためき様に怪訝そうな表情の沖田だったが、何かを察したのか僕の刀は、と問う。

『それなら先程植木屋のお爺さんがひびの入っている鞘を直してくれると持っていって』
「まったく、間が悪いにも程があるよね」

植木屋の親切な行為が今は恨めしい、時は一刻を争う事態だというのに。
戦う牙を持っていないので、仕方なくナマエの言葉に従い前もって決めていた隠れるための納戸へと彼女に支えられながら向かおうとしたその時。

『沖田さん、危ない!』
「ナマエちゃ……」

気配に気付く間もなく、突然刀を抜いた男が踏み込んできて、一目で沖田に差し向けられた刺客だと分かる。
いつの間にか身体は彼女に突き飛ばされて、畳に勢いよく打ち付けるが今はそれどころではなかった。
男の凶刃が襲いかかるのをナマエが沖田を庇うように立ちふさがり、その刀身は彼女を貫く。
伸ばした手は彼女に届くことなく空を掻いた。

「沖田さん、刀を!」

不意に声がしてその方向を見やれば、植木屋の爺が重い刀を手に木の上に上っている。
そして沖田が自分の存在に気付いたことを確認すると、沖田に向けて刀を投げた。
受け取った瞬間、自分でもそんな体力が残っていたのかと驚く程素早く刀を抜くと、真一文字を描くように刺客の男を切り伏せる。

「まさか、まだ僕に刀を振るう力が残っていたなんて、ね……」

するりと刀が手から抜け落ち、糸が切れた人形のように自らの身体も畳に倒れた。
手を伸ばせば、虫の息のナマエの手に触れた。
――もしかしたら、このまま死ぬのかもしれない。
それでもいいと思った。
尊敬してやまない人の為に戦うことも出来ず、唯一愛した女、想いも告げることさえ出来ず死なせることになるのだから。

『おき、た……さん』
「…………なに?」
『わたし、沖田さんのこと、が大好きです』

本当に狡い女だ。
死に際にそんなことを言って、僕の心に深く爪を食い込ませる。
先にあの世に逝くのなら、三途の川の前で精々待っているといい。
間もなく自分も逝くのだから。
ゴホッと咳き込み、赤い血が畳を汚した。



それから数週間して、沖田総司はその短い生涯に幕を下ろすことになる。




≫薄桜鬼というよりも、大河ドラマを参考にしました。
確かこの時近藤さん贔屓の(というか愛人?)の芸妓の生き別れの妹が世話してて、刺客に殺された気がします。
なんせ何年も昔の記憶ですので。