手乗りタイガーこと大河ナマエと杜山しえみは大親友である。
そんな衝撃の事実が判明した(というか雪男から聞いた)のは新学期から数日後のことである。
先日のあの時点でかなり仲良さげにしていたが。
となると燐がしえみと親しくなるために乗り越えなくてはならない大きな問題が生じる。
しえみの傍らにはかなりの高確率で大河ナマエが一緒にいるのだ。
親友だから仕方ないのだが、始業式の日の一件以降関わらないようにしていた大河を避けるとどうしても必然的にしえみにも近づけない。
だが同じクラスではあるのでしえみ単体とでもいくらでも話す機会はある、そんなことを思っていたある日、事件は起きた。

「………へ?」

放課後、生徒会の仕事が長引きそうだから先に帰っていてくれという雪男の言葉に甘えてスーパーにでも寄って帰ろうと思いながら教室のドアを開けた瞬間、中の惨状に絶句して立ち尽くした。
椅子が二、三個宙を舞っていた。
時間帯としては放課後の授業終了からはそれなりに時間が経っていて、部活の生徒以外は残っていかない。
普通に考えれば教室に生徒がいる可能性は低いが確かに今、見てしまった。
女子の制服に身を包んだ何者か―――普通に考えて女子生徒、が一人燐の姿を見るや否やロッカーの陰に飛び込んで姿を隠している。
残念ながら向かい側に鏡があるためにその姿は映っている、頭隠して尻隠さずどころではなく全身丸見えだ。
取り敢えず相手が相手なので燐は何も見なかったことにした。
よりによって大河だから仕方ない、俺が言うのもなんだが激しくこいつアホなんじゃないかと思うが。
とにかくさっさと中に入って鞄を取りに行く。
夕暮れのオレンジ色に染まった教室は外の部活の音と異なり妙に静かで気まずい、大丈夫、大河は俺に自分が隠れていることをバレていないと思っている。
あくまで自然に………。

「あーっ!」

突然間抜けな悲鳴が聞こえてきたかと思えば、目の前にゴロンと大河ナマエが転がり出てきた。

「「…………」」

流石に無視は出来ない距離関係で見上げる大河と見下ろす燐。
無言で気まずい時間を過ごして数秒後、おずおずと燐が口を開いた。

「だ、大丈夫か?」

親切心からのそんな声かけを華麗にスルーして、大河はよたよたと立ち上がると顔を伏せたままスカートをパンパン叩き、燐から距離をとった……何をしたいのかさっぱり理解出来ない。
どうやらこのまま教室に居座るらしいので、となると必然的に出ていくのは燐ということになり慌てて鞄、鞄と呟き自分の席に向かう。
だが手を伸ばすのはその一つ前の雪男の席、帰り際に話をした時に雪男の机の上に置いていたのだ。
そして鞄へと手を伸ばしたその時。

「あっ!」

大河が飛び上がった。
何かしでかしたのだろうかと振り返り見る。

「何か……?」
「あ、あんた……何を、して……」

驚いた、先日あれだけ人を殺せそうな目で睨んできた手乗りタイガーが激しく動揺している。

「えっと、鞄を取りに来ただけだけど……大河?様子がおかしくないか?」

正しくは最初からで、現在進行形で滅茶苦茶おかしい。
魚みたいに口をパクパクさせて、足は奇妙なステップを踏んでいる。
明らかに挙動不審だ。

「あ、あああ、あんたの鞄なの?だってあんたの席はそこじゃないのに、なんで」
「そりゃ、雪男と話している間に途中で教師に呼ばれたから……って、うお!?」

突然数メートル先で悶えていた大河が間合いを詰めてきた、小さな身体のどこにそんな機動力があるのやら、感心するところだ。
そして燐が胸に抱えていた鞄を引っつかみ、奪おうとする、それもとんでもない力で。

「お、おい!ちょっと大河!?」
「か、貸して……というか寄越せ!」

至近距離で見る大河の顔は真っ赤な上に鬼気迫る恐ろしい表情を見せている、正直怖い。
互いに全力の力が拮抗している(悪魔とまで呼ばれた怪力の燐と拮抗しているとか恐ろしい奴だ、大河ナマエ)のか引っ張り合っている、端から見たら非常に奇妙な絵面だ。
だが拮抗しているが故に離せない、下手に離せば衝撃で大河は反対側へと鞄もろとも吹っ飛ばされるだろう。
そんな風にせっかく気を使ってやっているというのに、大河と言えば全身全霊で引っ張って燐との力比べに勝とうとしている……しかもジリジリと踏ん張っている足ごと引き摺られて正直負けそう、恐るべし大河ナマエ。

「あ、あぶねーって、よせ!」

もう限界だと思った瞬間、不意に大河が突然その小さな手を鞄からパッと離し―――は、離しただと!?

「くっしゅん!」

どうやらくしゃみで手が緩んだらしい、必然的に後ろに吹っ飛び後頭部を教卓に強打した、痛いってものじゃない。
危ないだろうが!と文句の一つでも言おうと思って立ち上がったが、どうにも大河の様子がおかしい、フラフラしている。

「お、おい大河……大丈夫か?」

体調が悪いのだろうか?それなら保健室で休むべきだ。
しかしそんな燐には目もくれず、もう鞄には用事はないのかどこかへ行こうとする。
それを追いかけようとすると。

「―――来るなバカ!」

鋭く睨まれて叩きつけるように叫ばれてしまう。
……まあ、叫ぶ元気があるなら大丈夫なのだろうが、多分。

「な、なんなんだあいつ……」

今の行動全てが理解不能なまま、一人教室に残される。
燐がこの出来事の意味を理解するには、あと数時間必要だった。








―――奥村雪男様へ。大河ナマエより。

「こ、これのためだったのか……」

修道院の面々は養父を筆頭として用事で誰もいない、雪男も予備校に通っていて夕食は外で済ませるということで時折ある一人の夕食を終えたところで、燐は漸く放課後の不可解な出来事を思い出した。
ちなみに養父の飼い猫で燐にもよくなついているクロは夕食をあげると満足してもう寝てしまった。
雪男に口を酸っぱくして宿題はちゃんとやるんだよ兄さんと言われていたので、どうせわからないんだろうけどなと思いつつも一応教科書とノートを出そうと鞄を開いた。
そして、見つけてしまった。
普通の女子というか、大抵燐に雪男へのラブレターを頼む女子のとは違う、ファンシーというよりも上品な和紙の封筒。
大河から、雪男へのラブレターである。

「や、やばいな……」

雪男はとにかくモテる、兄である燐が羨ましいと思うくらいには。
必然的に双子の兄である燐にラブレターを渡していただけませんか?と頼んでくる強者(一応燐は周りに不良だの悪魔だの恐れられている)もいて、女子がこういう雰囲気の手紙=ラブレターだということは分かるようになった。
要するに手乗りタイガーは鞄を間違えたのだ。
雪男の鞄だと勘違いして、この鞄にこいつを忍ばせてしまった。
だからあれほど鞄を奪おうと必死になったのだ。

「どうすっかなこれ……」

いつものパターンで行けば同じ家に住んでいるんだし、差出人である雪男に燐から渡してしまうのが順当だと思う。
しかし燐から受け取ったラブレターを雪男はマトモに読みもしない。
もう少し誠意のある対応をしろよ!と燐が注意するが、ちゃんと面と向かって断っているんだからいいでしょと言う。
相手が勇気を振り絞って雪男への想いを綴った手紙を読んであげればいいのに。
ともかく燐から雪男に渡すのはあまり良くない、だからといって鞄に入っていたラブレターをちゃんと読んでくれる保証もないのだが。
とにかく渡し方云々は本人に任せるとして、大河にこれは返そう、それが一番穏便にことを済ます最善の方法だ。
燐は一人無理矢理に納得すると、改めてそのラブレターを上に持ち上げてみる。

「……あ、あれ?」

奥村雪男様という宛名を下にして照明に透かすような形になってあることに気づいた、中身が入っていない。
普通ならば封筒の中に雪男への想いを綴ったものが入っている筈なのに、それがなくて差出人の大河ナマエという文字が透けて見えている、空っぽなのだ。
気が抜けて、燐は思わず床に倒れ込んだ。
大河ナマエ、あいつ馬鹿だ。
まあ中身がないならだいぶ気楽にこの封筒を本人に返せる、肩の荷が下りた感じだ。







―――午前二時。
不意に目が覚めて、燐はハァと生欠伸をした。
おかしい、いつもは雪男や養父達も呆れるくらい朝までぐっすりなのに、何故こんな半端な時間に目が覚めたのだろう。
ちなみに雪男は燐が寝る直前に帰ってきて、ちゃんとお風呂に入って隣の部屋で寝たようだし、養父と修道士達も下の階で寝ているだろう。
薄着で寝ていたせいか、肌はひんやりと冷えきっている。
四月も未だ半ばだというのに、無用心にも窓を開けたまま寝てしまっていたらしい。
どうせ窓の向こうは金持ちマンションの塀だからとは思うが、取り敢えず腕を伸ばして窓を閉め、しっかり鍵をロックした。
……それにしても何だか変な感じがする、誰かに見られているかのような。

「気のせいか?」

一人ごちながら再び振り返ってベッドに向かおうと思った瞬間、突然背筋にぞっとするような気配がした。
反射的に振り向こうとし、床に落ちていたノート(結局宿題は殆んど進まなかった)を踏んで見事に滑って尻餅をつく。
不味いな、下のジジイ達起こしちまったかもと思ったとき。

「――っ!」

凄まじい勢いで、燐の頭があるはずだった空中で何かが振られた。
燐がが滑って尻餅がついたおかげで空振りしたが、そうでなかったらとんでもないことになっていた。
―――闇討ち。
燐の頭にそんなワードが浮かんでくる。
それから不覚にも中学の頃喧嘩慣れしてしまっていた身体は勝手に動いた、すぐさま振り返ると今度は降り下ろされてきた凶器に対して頭の上で受け止めた。
これぞまさに真剣白羽取り、手の感触的に間違いなく真剣ではないが凄まじい衝撃に手がビリビリと痺れた。

「……く……っ」

凶器を掴まれて犯人は力で押しきろうとする、勿論燐も渾身の力で押し返す。
暗がりの中で揺れる影の身長は小さく、紙は長い―――お前かよ、と思うと同時にこんなことをしそうな奴はこいつぐらいしかいないだろうと妙に納得する。
いつまでそんな攻防戦を繰り広げていたか、いい加減手首が痛くなってきたところで唐突に均衡が破られた。

「っくしゅん!」

くしゃみと共に襲っていた重みが消え、押し返していた燐の力に負けて相手はそのまま盛大によろける。
燐は相手が何をしているのかわかると壁際の電気スイッチを押した。

「大河っ!!ティッシュを使え!」

こちらに倒れ込んだと同時にさりげなく燐の上着に鼻を擦り付ける手乗りタイガーこと大河ナマエに箱ティッシュを投げつけた。