※苗字は固定です




奥村燐の朝は結構早い。
今時小学校もびっくりな時間に寝ているせいもあるが、朝早くから生徒会の仕事で登校しなくてはならない弟に合わせて朝食を作るからだ。
味噌汁の美味しそうな匂いがキッチンを包んだ頃合いに雪男が眠そうに目を擦りながら起きてきたのを、顔洗って着替えてこいと洗面所に送り出してその間にも炊きたてのご飯をよそっておく。
雪男を学校に送り出したところで養父や修道士達も起き出してくる。

「おー、今朝は炊き込みご飯か」
「昨日の特売でキノコ類が安かったんだよ」
「にしても暗いなー」
「あれだろ?この前隣に出来た綺麗なマンション、そのせいでお天道様も遮られてんだよ」

それを聞いて燐は先程洗面所の壁の隅に見つけたカビを思い出して顔をしかめた。
いつも気をつけて丹念に水気を拭っていたのに、つい先週も丸一日かけて家中の水回り掃除をしたばかりなのに。
元々若干ボロく(これを言うと養父の藤本にどつかれる)換気能力が低いというのに、日差しも去年修道院の南の窓からほんの数メートルという距離に地上十階建て豪華マンションが建設されたのだ。
それによって洗濯物は乾きにくいし、カビは生えるし結露も酷い、勘弁してくれと言いたくもなる。
しかしどうにもならないのが現実。

「今日から新学期だったなそういや」
「新入生の歓迎会の準備とかで、雪男も忙しいんだとよ」

そう、今日から新学期。
クラス替えという行事が待ち受けている。
クラスメイトという人間関係がリセットされる日。

「……折角打ち解けたばっかりなんだけどな」

燐は生まれつき短気な上に力が人並み外れて強い、つまりちょっとキレて喧嘩をしてしまった相手を病院送りにしてしまうなんてことも小学生や中学生の頃は確かにあった。
だがこのままではいけない、と高校に入ってからはどうにか抑えて抑えて今のところ全く問題は起こしていない。
嘗ての悪行から悪魔だの何だの評判は最悪だが、元々燐自身は人懐っこい性格なので一年も普通に同じクラスで付き合えば大抵そんな評判も無くなる。
しかしそれにかかる一年という時間は決して短いものではない、特に高校生活は三年しかなく既にそのうちの三分の一が終わってしまったのだ。
今日からまた新たに人間関係作り直しか……いやクラス替えは全く悪くない、寧ろ同じクラスになりたいと思ってる相手もいる。
そんなこんなで朝食の片付けは修道士の人達に任せて桜が綺麗に咲き誇る中を歩いていく。
徒歩であまり時間がかからない位置にある学校に辿り着き、靴を履き替えて廊下を歩いていると、背後からかけられた声に気づき振り返った。

「兄さん、おはよう」
「おう、雪男おはよう」

実はこのやり取りは今朝二回目なのだが低血圧の弟は覚えていなかったらしい。
生徒会の仕事、新入生歓迎会の準備を終えたらしい雪男は嬉しそうに言った。

「兄さん、僕ら今年も同じクラスだよ」

それには少し驚いた。
常識的に考えて双子が同じクラスになるなんてことはクラスが一つしかないとかでもない限り、有り得ない。
しかし燐と雪男はどういうわけか一年で同じクラスだった上に、たった今二年も同様だと告げられた。
以前なんでだろうなと溢せば輝かんばかりの笑顔で「僕が学校にお願いしたんだ」と言っていた、それが現実になるあたり末恐ろしい弟である。
昔は可愛くて気が弱くて泣き虫で、苛められていていつも燐の後ろに隠れていたというのに逞しくなったものだ……ちょっと、いやかなり変な方向に進んでいる気もするが。
そのまま二人で歩いていき新しい二年の教室に入っていく、燐が入ってきたことに気づいたクラスメイト達はその存在を遠巻きに見ていた。
うわ、奥村兄と同じクラスかよ……ちょっと怖いよな、ほら中学の時年上の不良を病院送りにしたとかいう噂で……

「相変わらず兄さんのことを悪く誤解してる連中がいるみたいだね。大丈夫、去年同じクラスだった人もいるしそのうち良くなるよ」
「いや別に、気にしてねーよ」

実際燐は新しいクラスメイトからのよそよそしい態度を大して気にもしていなかった、寧ろそんなことはどうでもいいと思えるくらいに嬉しいことがあるのだから。

「あ、雪ちゃん!今年は同じクラスなんだね!」
「本当だ、しえみさんも一組だったんですね」
「もう、気づいてなかったの?お兄さんとまた同じクラスだから舞い上がってたんじゃない?」
「あはは、否定はしません」

雪男と楽しげに会話をした眩い色素の薄い髪の少女は隣に一緒にいた燐にも、輝くばかりの笑顔を向けた。

「燐くん……だよね?私のこと知ってる?」
「お……おう。杜山しえみだろ」
「良かった、フルネーム覚えてくれていたんだ!嬉しい」

ニコリと柔らかな笑顔を向けると、しえみはそろそろ予鈴が鳴る時間だから私は席につくねと言うと小さく手を降って前の席へと歩いていく。
燐と雪男は当然ながら同じ名字なので必然的に名簿順で前後の席になる。
雪男と一緒に席へと向かいながらも燐の頭の中は一杯になっていた。

(嬉しいって言ってた、嬉しいって言ってた、嬉しいって……)

「兄さん?」
「……おうっ」

突然振り返った雪男に至近距離で迫られ仰け反った。

「どうしたの?ニヤニヤして」
「い、いや別に……」

まずいまずい、顔に出ていたようだ。
そもそも燐がクラスが違った杜山しえみを知ったのは雪男と彼女が知り合いだったからだ。
しえみの実家が薬局で、幼い頃から身体が弱かった雪男が養父に連れられて薬をもらいに行って顔見知りになったらしい。
そしてそんな二人の会話を間近で見ていて、杜山しえみさんとお近づきになりたいと燐が思うようになっていたのだ。
誰もが恐れる自分の前でもしえみは一切態度を変えず、笑顔で接してくれた。

「それにしてもお前モテモテだよなー、彼女とか作んねーの?」

高校に入ってからというものの雪男はとにかくモテる、確かに顔よし頭よし運動神経よしオマケに高身長と来れば世の中の女の子は放ってはおかないだろう。

「何言ってるの。女子は苦手だよ」
「……モテない男子が聞いたら腹立つぞそれ」

勿体ない、ハァと溜息をつきながら一度ついた席から立ち上がる。
どうしたの?と聞いてくる雪男に便所、と簡潔に告げて通路に出る。
そこで、ぽふんと腹部に軽い衝撃があった。

「………ん?」

何かにぶつかったような気がしたが目の前には何もない。
不思議に思いながらキョロキョロと辺りを見渡すと、新しいクラスメイト達が顔を合わせながらヒソヒソと言葉を交わしていた。

「まさかいきなり頂上決戦かよ……この二人が一緒のクラスになって予感はしてたけどな」
「……まさに、真の正十字番長決定戦だな」

訳のわからない単語が飛び交い、首を傾げる。
ゲームか漫画の話だろうかと思い、再び歩き出そうとしたその時。

「……人にぶつかっておいて、謝りもしないの?」

静かな声がした。
それも爆発寸前の何かを押し殺しているような、極端に感情を抑えた喋り方だ。
しかし左右前後、更には上を見上げても誰の姿もない。
ということは。
目線をかなり下げるとそこにいたのは一人の女子生徒だった。
あまりに小さくて見えなかった。

「……手乗り、タイガー」

誰かが呟いたのをなんだそりゃという風に燐は復唱する。
手乗りタイガー?
対して目の前のそれは目をキッとつり上げた。

「――――!」

固まった。
その視線の中に孕む怒気と、それから殺気に圧倒された。
まるで金縛りに遭ったかのように瞠目したままピクリとも動かないでいる燐を剣呑とした目で流すと、少女はフンッと鼻で笑って燐の横を通り過ぎた。
―――可愛いな、オイ。
漸く金縛りから解けた燐が最初に思ったのは、視線の肉食獣の如き恐ろしさに反して少女の容姿が可憐だったことだ。
しかしそのイメージは、まさに虎。
タイガー。
誰が考えたのかわからないがネーミングセンスがある。
廊下と教室の中は驚くほどに静まりかえっていた。
そんな中をスタスタと歩いていくのは先程燐と短いながらも言葉を交わした杜山しえみその人だった。
その上しえみはあろうことか周りに完全に恐ろしいイメージを焼きつけた手乗りタイガーに親しげな言葉をかけたのだ。

「ナマエちゃん、始業式来なかったけどどうしたの?」
「ごめん寝坊しちゃってさ、それより今年もしえみと同じクラスでよかった」
「うん、私も嬉しい!」

え、もしかして仲良し?
呆然として眺める燐の耳にクラスメイトの囁きが入る。

「いやー、手乗りタイガーこと大河ナマエマジ強いな」
「っていうか奥村兄って意外と怖くなさそうじゃね?誰だよ昔地元のヤンキー病院送りにしたとか言った奴」
「奥村兄大丈夫か?新学期早々大河に噛みつかれるとか災難だったな」
「お、おう」

同情的に突然話しかけてきたクラスメイトに驚きながら返事をする。
虎みたいな迫力だからタイガーじゃなくて、名字にかけたのかと妙に感心しつつ。
ちなみにその噂は一応真実だったりする、襲われたから身を守ろうとしたら過剰防衛というレベルを軽く越えてしまったのだが。
そういう意味では自分よりも数十倍ヤバそうな大河ナマエのおかげで意外と早くクラスに馴染めることになる燐だった。



しえみのキャラが違う

竜児=燐
大河=夢主
実乃梨=しえみ
北村=雪男
亜美=出雲  ……の、予定