先日手騎士の適正を試す授業があった。
大きめのコンパスを持った教師が地面に奇妙な図形を描き、これまたよくわからない呪文を唱えるとそこから可愛いとはお世話にも形容し難い悪魔がにょきっと現れる。
その様子を見せてから試しに陣を描き心に浮かんだ呪文を唱えてみろと急に言われても困る、無茶振りだ。
周りの生徒が即席に考えた適当な図形と若干中二病臭い呪文を唱え、結局玉砕しているのを心の中で御愁傷様と思いながら自分の使い魔になる悪魔を召喚するのだから、色々文献とか調べて丁寧に考えようと心に誓った。
それから寮に戻って、相部屋の子は祓魔とは関係のない普通のクラスの子なので悪魔全学とか本持ってたらひかれるだろうなと不安になったが生憎部活だとかで部屋にいないのに胸を撫で下ろすと、他にも色々借りてきた本を床に広げる。
まあ内容は正直殆んどわからないので、主に呪文のための語彙不足を補うためなのだが。
なんとなく語呂が良さそうなものを組み合わせたりなんかして、陣の方は私には結局デザイン的な才能は皆無なのだとしっかり自覚したあと前に友人から借りた某錬金術漫画の錬成陣をパクっ、オマージュさせてもらいどうにか完成にこじつけた。
これだけ準備して才能ありませんでしたじゃ笑えるな、と思いながら(やっぱり少し中二仕様になった)呪文を唱える。
しかし残念ながら反応はない。
やっぱり駄目だったかあと溜息をつきながら、借りてきた本を取り敢えず片付けようと手を伸ばす。

「痛……っ」

閉じようとした本の紙で指を切ってしまった。
深くはないもののスッと赤い線が入り、そこから真っ赤な血が一滴ポトリと落ちる。
その下には偶然にも某錬成陣を書いた紙があって、あっと思っているうちに吸い込まれるように血が消えていき紙が光り出す。
威圧的な気配が身体を襲うと同時に青い炎が広がり、咄嗟に数歩下がった。
青い炎、それが示すものに思い当たり顔色が蒼白になる。
これが、この炎が本物なら自分は何てものを呼び出してしまったのだと。
祓魔史の教科書に書いてあった約百年前、息子によって滅された存在―――サタン。
どうしよう、早く陣を書いた紙を破り捨てて契約を解除しないととんでもないことになる。
あたふたしているうちに不意に真っ青な炎がぱたりと止んで、そこに立っていたのは自分と同じくらいの歳の青い瞳の少年だった。
多少着崩しているものの正十字学園の制服に身を包んでいて、有り得ないものを見るような目でこちらを見ている。

「………お前が、呼んだのか俺を?」

開口一番そう問われて、コクリと頷いた。
悪魔の少年の目が悲しげに細められる、その青い瞳を綺麗だと思った。

「あ、あの……お名前は」
「名前?んー、忘れた」
「わ、忘れたって」
「百年以上も生きてたら名前なんて忘れちまうだろ」
「そういうものなんですか」
「そーゆーもんだ」

悪魔相手にいきなり名前から聞く自分もどうかと思うが、返してきた悪魔の少しおどけた表情は悪魔というよりも人間の、年頃の少年のそれだと思った。
しかし何百年、下手すると何千年も生きている某ピエロみたいな理事長はしっかり名前をもって名乗っていることを考えると、純粋に生きた長さよりも環境が関係しているのだろう。
そういえば、と部屋の中を観察するが先程あれだけ明るい炎が広がったというのに何一つ燃えるどころか焦げていない。
視線を少年の方に戻すと、バッチリ目が合ってしまった。

「さっきの青い炎って貴方のですよね……?」
「ああ、俺のだ」
「つかぬことをお聞きしますが、サタンの血縁者、とか」
「…………」

沈黙は肯定を意味する、と言うが彼の様子はまさしくそうだった。
しばらく沈黙が続いてから彼が口を開く。

「悪ぃ、名前忘れたってのは嘘だ。俺の名前は……奥村燐」

奥村燐。
私にもその名前は知っていた、教科書にも所謂近代史に載っている有名人。
当時虚無界を統治し、物質界を手に入れることを画策していたサタンを倒し、その後自身も虚無界に落ちたという。
結局統治者を失った虚無界は残りの王が覇権争いを繰り広げ、ちょっとした戦国時代のような状態になっていると習った。
目の前の悪魔がもし本当に奥村燐だとすると、とんでもない上級クラスの悪魔であることになる。
唖然としてしまった私を見て、奥村燐は悲しげに笑った。

「本当に悪かったな、すぐあっちに戻るから」
「ま、待ってください!」

契約の紙を千切り捨てようとした彼に声をかける。
かけてから何と続ければいいか困った。

「貴方は、私の使い魔です。勝手に契約破棄されたら困ります」
「……教師に見つかりでもしたら説教どころかすまねーぞ?」
「見つからなきゃいいんですよ」
「どうしてそんな俺を引き留めたい?」
「わかりません、でも今貴方を虚無界に帰したら後悔するような気がして」

彼のこと、私は名前しか知らない。
てっきりサタンとはいえ自分の父を殺すのだから冷徹な悪魔だと思っていた。
サタンを倒す実力があるのに虚無界の王になろうともしない。
一番は何故そんなに悲しそうな瞳をしているのか、知りたい。

「お願いですから、もう少しだけここにいてください」

もしかしたら知る必要のない、知ってはいけないことなのかもしれない。
真っ直ぐ見詰める私にしばらくして折れたのか燐さんは深く溜息をついて「わかったよ、少しだけな」と言った。
恐らく彼を召喚したことは誰にも言ってはいけない。
悪魔の王、更には青い炎を持っているなんて祓魔師の手になんて負えない、人類の脅威にしかならないのだと。
とにもかくにもこうして私と使い魔、奥村燐の生活が幕を開けた。

「……どうしてもっと早く俺を連れてきてくれる奴と出逢えなかったんだろうな」

そんなことを言っているなど気づかずに。








!以下キャラ死ネタありますので注意







無我夢中で猛特訓して、どうにかヴァチカンとの約束通り認定試験に合格して、仲間と力を合わせながら数々の危機を乗り越えて。
ようやく目的であり俺が生かされてきた理由である、サタンのヤローをブン殴った日。
それは全ての終わりの日でもあった。

「青い炎を受け継ぐサタンの落胤、お前の処刑がここに決定した」

おかしいとは思っていた。
やっと脅威であるサタンが消滅したというのに正十字騎士団はやけに慌ただしい。
事後処理とかいうやつだろうかと暢気に思っていた自分が恨めしい。
気づいた時にはもう逃げられなかった。
サタンが死んで、虚無界では誰がその後を継ぐのか八候王で争っているが中々決着がつかないらしい(一度俺の前に訪れたアマイモンは自分は興味ないと言っていたが)
そんなある日突如下された奥村燐の処刑命令。
結局サタンを葬っても尚恐れているのだ、青い炎を。
雪男やらシュラ、祓魔塾の仲間達が幾ら抗議をしてもそれは覆らなかった。
あれよあれよという間に拘束され、ヴァチカンの最深部に連れていかれ聖水やら聖銀に包まれ気持ち悪さに耐えながらあと少ししかない人生が刻一刻と終わるのを待つしかなかった。

―――夢は、もし叶ってしまったらどうなるのだろう。
俺にはそれから悪魔として生きていく自分が想像出来なかった。
老いていく周囲、何も変わらない自分。
だから最悪ここで死んでもいいと思っていた。
どの道祓魔師、サタンを倒す武器になるつもりがなかったらメフィストによってあの日ジジイの墓前で尽きていた命なのだ。
だけどせめて、双子の弟である雪男が平穏な日々を過ごせますように。
しかし思いと裏腹に事態は急展開を見せる。

「兄さん、兄さん!」
「ゆ……きお?」
「そうだよ僕だ」

夢だと思った。
何故こんなところに雪男がいるのだ。

「お前、ここは立ち入り禁止だ、なんで」
「決まってるじゃないか、兄さんを助けに来た」

雪男の言葉に絶句した。
ここに来たことで雪男にも罰が下されるかもしれない。
いや、今すぐ戻って自分が大人しく処刑されればお咎めなしかもしれない。

「なに馬鹿なこと言ってやがんだ!さっさと戻れ」
「馬鹿なのは兄さんの方だ!何のために僕が祓魔師になったと思うんだ、死ぬなんて許さない」
「でも、逃げるなんて無理だ」

ここは聖騎士を筆頭に化け物染みた祓魔師がたくさんいるヴァチカン本部なのだ、命が幾つあっても足りない、脱出などどう考えても不可能だ。

「わかっている、僕も出来ればこっちで兄さんと逃げられれば良かった」
「雪男、何を……」
「ごめんね兄さん、そして―――さようなら」

ゆっくりと身体を押され、気づいた時そこはヴァチカン最深部の独居房どころか物質界ですらなかった。
―――虚無界だった。
後に(わざわざ虚無界の燐を訪ねてきた)メフィストに聞いた話では、雪男は禁忌とされる術を用い、対象つまり俺を虚無界にポイッと落としたらしい。
それじゃああの後雪男はどうなったんだと聞けば、禁術を使ったのと俺を逃がした代わりに捕まり、謀反として処刑を待つ身となったと。
目の前が真っ暗になった。
今すぐ物質界につれてけ、と言ったが生憎俺はメフィストやアマイモンのように人間に憑依しているわけではない特殊な存在なのでサタンが作ったゲートを使うか雪男が行った禁術かのどちらかしか出来ない。
前者はもうサタンがこの世にいないので不可能だ、後者は使えば一発でヴァチカンにバレるしそもそも燐にはそんな高度な術は使えない。

「もう一つ方法がないと言えば嘘になりますね」

呆然とする俺にメフィストは最後の方法を提示した。
それは、"祓魔師の使い魔として物質界に呼ばれること"だ。
それしかもう方法として残されてはいなかった。
僅かな希望に胸を高鳴らせて俺は待った、呼び出してくれるのを。
しかし一向に呼び出してくれる気配はなく、月日は流れ雪男は処刑された。
どうしてどうしてどうして、俺は生きているのに雪男は死んだのだ。
雪男の目標はジジイのような立派な祓魔師になることで、その為に一生懸命頑張ってきたのに俺なんかの為に命を落とさなくてはならなかったのか。
涙が溢れて止まらなくて、虚無界のなにもない荒れ果てた荒野で干からびて死ぬんじゃないかってくらい泣いて。
でもやっぱり死ねなくて。

それからまた月日が経って、気づけば物質界でいう百年は経過していた。
その間死んだようにただ成すべきこともなくさ迷っていた俺を訪ねてきたのはメフィストと、最初は遊びにきたアマイモンくらいだったがやがて誰も来なくなって。
百年経ったってことはしえみも、勝呂も志摩も子猫丸も、神木も皆いなくなって。
嗚呼、もう俺は一人ぼっちになったのだと痛感した。
そんな風に死んだように過ごしていたある日、突然俺を呼ぶ声がした。
なんなんだと思いながらその声の方向を見たとき、ぐるりと世界が回って気づけばそこはどこか物質界の一室だった。
いつの間に身体から溢れていた青い炎を抑え、前方を見るとそこには唖然とした表情の少女がいる。
足元を見れば悪魔を呼び出すのには少し、いや大分禍々しさの足りない陣が書かれた紙が落ちている。
まさか、こいつ。

「お前が、呼んだのか俺を?」

俺の問いに少女は頷いた。
嗚呼、あまりにも残酷だ。
どうしてもっと早く呼び出してくれなかったのか、まだ目の前の少女が生まれてもいないときのことだなんてわかっているのにどうしようもない気持ちが駆け巡った。