翌朝、渋谷荘の玄関では外に出ようと靴を履く未来の姿があった。

「もう行くのか」
「さっき平家から西園寺レイの潜伏場所が判明したから至急集まるようにって連絡が来たからね、それからご飯ご馳走様美味しかった」
「……大したことじゃないさ」

照れ性である八王子泪の頬が仄かに赤く染まるのに苦笑する。

「悪いな、私は参加出来なくて」
「泪は今抱えてる仕事があるじゃない、それに平家が勝手に外しただけだから気にしないで」

ルイルイ王子こと泪のことを平家が過去を理由に一方的に毛嫌いしているのは、彼にしては珍しく子供じみているとは思う。
だが今回は遊騎もどこをほっつき歩いているんだか連絡が取れないということで外れて、桜と面識のあるコードブレイカーのみで構成されることになったのは結果オーライかもしれない。
それじゃあ渋谷会長にもよろしくと言って手を振りまだ肌寒さの残る早朝の住宅街を歩いていく。
昨日人見の部屋で知ったことがまだ自分の中でも咀嚼出来ていなくて、戸惑っている自分がいる。
だけどどんなに受け入れ難い内容でも、嘘のようなことでも疑うという選択肢は不思議と沸き上がって来なかった。
そうか、私は人見のことを信頼していたのかとこの世にはもういなくなってから自覚する。
ともかく、今は異能狩りの件を早々に決着つけてしまうことが大切だ。
あの西園寺レイがそんなに簡単に尻尾を掴ませるとは正直考えにくい、もしかしたら罠という可能性も十分ある。
だからこそ敢えてその罠にかかりに行ってやろうではないか、罠を張るということは当事者がその罠に獲物がかかっているか当然確認しなくてはならない。
つまりそれは奴を誘き寄せるチャンスでもあるのだ。
西園寺が私の異能を狙っているのならば尚更。
大通りに出たところでタクシーを拾い、平家に告げられた集合場所である空港へと急ぐ。




「御蔭島?」
「ええ、エージェントから西園寺レイがその島に潜伏していると連絡がありました」
「……聞いたことがないんだけど」
「小笠原諸島に位置する小さな観測用の無人島です、気象庁によると最近その島でおかしなデータが観測されていると。西園寺レイがそこで研究を行っている可能性はあります」
「で、その島には一体どうやって行くのよ」
「まず近くの割と大きな島まで一般の旅客機で向かいます、そこからはエージェントがチャーターした船で」

空港に到着すれば一足先に着いていた桜達が既に準備万端でいる。
桜なんて「ひ、飛行機に乗るのは初めてなのだ……」と緊張していて大神に笑われていた。
そろそろ目的の飛行機の搭乗予定時刻だと歩き始めて、そういえば懐に銃やらナイフやら問題のあるものがたくさん忍ばせてあることに気づいた。
特に銃は今日の日本では所持しているだけで即銃刀法違犯で逮捕だ。
どうしたものかと悩んでいるとその様子を見ていた平家が妙な笑顔をたたえて声をかけてくる。

「貴方なら当然空港に見つかることなく武器を持ち込むことなど朝飯前ですよね?」

妙なプレッシャーを上乗せしてくるな、いや勿論策が無いわけではないが。
どうせ船をチャーターするならエデン上層部はお金持ちばっかりなんだから飛行機もチャーターしてくれればもっと楽なのにと思う。
彼等だって西園寺レイが持ち逃げした異能に関する研究資料が他所に流れないか戦々恐々としている癖に。

「あー、俺も銃持ってたからなんとかしねーとナ」

学生服の上着に手を当てて言う刻、ここはあくまでも普通の空港の中なのだからそんな会話をしていて誰かに聞かれたらどうするんだと突っ込んでくれる人はいなかった。



≪当機は間もなく離陸致しますので、シートベルトを忘れずにおつけください……≫


機内放送に耳を傾けながら備え付けられているシートベルトに手を伸ばす。
ふと隣に座っている桜に目を向けると、機内食のメニュー表を興味深そうに見つめていた。

「桜、期待してるようで悪いけどフライト時間は二時間程度。機内食なんて出てこないよ?」
「そ、そうなのか……?」

あからさまにショックを受けている桜、更にその隣に座る大神が溜息。

「桜小路さん、遊びに来ているんじゃないのですよ」
「勿論わかっている!」

人間初めての経験では興奮してしまうのも仕方ない。
やがて動き出し、機体が浮くのを感じながら窓の外で変わっていく景色を見つめた。
これもそのうち雲と青空しか見えなくなっていくのだろう。

「それにしても乗客多くねーカ?離島だってのに」
「今は観光シーズンですからね、観光客が殆んどですよ。これから向かう島では綺麗な海が広がっていると聞きます」

西園寺も一体何の意図があってこんな離島に潜伏しているのだろうか、木を隠すなら森の中という言葉が存在しているようにてっきり東京のどこかにいるものだと思っていた(小笠原諸島も東京都だが)
それほど長くもないフライト、特に何もせずとも窓の外でもみていれば時間は十分に潰せるだろう。
だが離陸から半刻も経たない頃、突然客席の前方部で男の声が上がった。

「この飛行機は俺達がジャックした!死にたくなかったら大人しくしていろ!」

唐突な出来事にざわざわと乗客達も何事かと同様が広がる、だがそのざわめきを静めるように一発の銃声が機内を響き渡った。
一転して静まり返る、乗客達は怯えたような信じられないものを見るような目で男を見た。
桜とは反対側に座っていた刻が小声で話しかけてくる、静かな機内では少しの声でも目立つので細心の注意を払いながら。

「ハイジャックか?今時珍しいナ」
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないでしょう、どうすんのよアレ」
「コードブレイカーとして始末する?」
「馬鹿、犯人が銃以外にも武器を持っているかわからないのに下手に動いて乗客に怪我を負わせでもしたらどうするの。今は一乗客として暫く様子を見ているべきね」
「未来さんの仰る通りです」
「あーハイハイ、軽率な発言でしたよ」

その時、後方から突如爆発音が聞こえてきた。
しかし機内からは煙も炎はおろか、焦げ臭さすら感じてこないのでこの爆発は中ではない。

「外ですね、運が悪いと機体を損傷しているかもしれない」

その瞬間機体が揺れて、乗客の悲鳴がどこからか聞こえてくる。
犯人の男はそれを睨み付けて牽制するとキャビンアテンダント達を呼び寄せて、全員客席に座らせシートベルトをつけさせた。

「単独犯でしょうか?」
「乗客に紛れ込んでいる可能性はあるけど、今のところはあの男一人ね。コックピットにも一人しか出入りしていない」
「なら取り押さえる?」
「万が一犯人が発砲してきて、銃弾が乗客に当たるなり機内の機械に当たって損傷させたらどうするんです?」
「……なら、受け止めればいい」
「受け止める?」
「刻、磁力で撃ってきた弾を無力化させられる?」
「あったり前だっつーの、そんなの朝飯前」

刻がニヤリと笑った。

「その隙に男を取り押さえる、これでどう?」
「今のところそれしか方法はなさそうですね、乗りましょう」

犯人に見つからないように死角をかいくぐって刻と桜以外の面子はそれぞれ取り囲むように移動する。
乗客の中には一体何をしているのだと不審そうに見る人もいたが、特に何事もなく配置につけた。
それを確認すると刻はわざと目立つように立ち上がり、通路に立った。

「おいお前、何をしている。死にたくなかったら大人しくしていろと……」
「うるせーな、こっちはアンタみたいなのに付き合ってる暇はねーんだヨ」
「なんだと?」
「どうせこんなことしても捕まるんだからさ、さっさと大人しくしてろよ」

男が銃を刻に向ける、そうする作戦とはいえ見事な挑発ぶりだ。
呆れるくらい簡単に男は挑発に乗った。
躊躇うような素振りさえ見せず引き金を引いた。
同じ空間にいた誰もが息を飲む中、対する刻は口角を上げて余裕綽々といった風に右腕を前に出した。
その時突如正体不明の眩しい光で乗客達は目が眩み、何が起こっているのか理解出来ない。
というのも、異能を使われる現場を一般人に見られるわけにはいかないので目眩ましだ。
男を取り押さえる私達にはその効果はないという、なんとも器用なことをする平家に感心しつつ素早く動いた。
乗客同様に何も見えずパニックに陥っている男に足払いをお見舞いしてやると、顔面から床につんのめった。
それをすかさず大神が後ろから床に押さえつけて確保、実に迅速かつ簡単な仕事だった。

「なんだか、呆気なかったわね」

男はというと、床に少しばかり強く頭をぶつけたせいで脳震盪でも起こしたのか失神していた。
客席にいた桜もほっとした表情になる。
他の乗客も同様だろうと思って周りを見回し、そこで異変に気づいた。
皆、目が虚ろなのだ。
何か薬物でも使われたのかと思ったが、さらにおかしなことが起こった。
男を取り押さえた通路のすぐ横に座っていた乗客が突然殴りかかってきたのだ。
それを避けて改めて機内を見渡すと乗客達は皆同じように他のコードブレイカーや桜に襲いかかっている。

「桜、大丈夫!?」
「あ、ああ……だが一体何が」

桜に武道の心得があることに安堵しつつ、とにかく一旦状態を把握するためにも退避する場所をと思い、コックピットにでも飛び込もうと思っていると再びどこからか爆発音が聞こえてきて機体が大きく揺れた。

「全く、次から次へと……」

舌打ちしたい気持ちをどうにか押さえると、割と客席後方部にいた刻が声を張り上げた。

「ここに爆弾がある!」
「爆弾!?」

桜が青ざめた、泣きっ面に蜂とは今まさにこのことを言うのではないか。

「刻!その爆弾は今すぐ爆発する!?」
「いや起爆装置がついていてあと一時間弱余裕はある!」

暴徒と化した乗客を避けながら互いに声を張り上げる。

「それなら一旦作戦会議よ!コックピットにも鍵がかかっているから磁力で開けて!」
「ったく、人使い荒すぎ」

刻が何やら文句を言っているが今はそんな場合ではない、それぞれ押し退けてコックピット入り口前にたどり着いた残りのメンバーと共に刻が扉を開けるのを待つ。
乗員乗客がこの状態ではコックピットの操縦士もおかしくなっているかもしれない。
襲いかかる乗客を牽制しつつ、刻が開けたのを見計らってコックピットの中へと入る。
乗客達が入ってこれないように再び扉をしっかり閉めてもらうと、やはり襲いかかってきた操縦士達を昏倒させて申し訳ないが縛り上げさせてもらった。
飛行機の操縦は自動で行っているので暫くはなんとかなるだろうと思っていたが、操縦席の前の画面を見た大神が顔色を変えた。

「まずい、燃料が漏れ出ています」
「さっきの爆発か……っ」
「おそらくは」
「大神君、あとどれぐらい持ちそうですかね」
「一時間、持つかどうかでしょう」

一時間、刻が見つけた爆弾と同じタイムリミット。
これは間違いなく作為的に作られた状態だ。

「乗客の状態、アレはおそらく催眠状態ですね」
「催眠……もしかして」
「私達があの方法でハイジャックを鎮圧すると予測していたのでしょう」

そして目眩ましに平家の光を使うと踏んでいた、だから強い光が催眠の鍵とする。
まんまと罠に嵌められてしまったわけだ。

「大神、残りの燃料でどこまで行けそう?」
「航空図から見て本来着陸予定の島までは持ちませんが、俺達が向かう予定の御蔭島で不時着するにはギリギリ足りますね」
「だけどその島に緊急着陸出来るような滑走路なんてあんのかよ?」
「ありません……けどなんとかします」

そう言うと大神は機長が座る席に座り、自動操縦になっていたのを手動に切り換える。
一応あらゆる乗り物の免許は持っているとはいえ、まさか実際に飛行機を操縦する日が来るとは思ってもみなかっただろう、僅かだが手には汗が握られていた。

「こうなったら手分けしてなんとかするしかないわね」
「手分けと言いますと?」
「まず平家、貴方はコックピットで大神のサポートをしつつ管制塔とエデンの方に連絡」
「了解しました」

平家は了解の意を込めて妙なポーズをとると、大神の隣にある副機長の座席に腰をかける。

「それから刻は爆弾の解体、磁力使えば簡単でしょ?」
「ったく、そんな簡単なものじゃねーよ。大体あのゾンビだらけの場所行きたくねーんだけど」
「刻の作業中は私が乗客の相手をする、だから作業に集中してよ」

だが銃火気はもし謝って機体に損傷させたり、もしくは燃料に引火させたりしたら大変なので使えない。
更にはナイフなどの類いも乗客は操られているだけなので下手に傷つけることは出来ないので使えない。
異能はあれだけの人数相手にしたらこっちが先に危なくなる……先日藤原総理に異能解禁は告げられたが、出来れば温存しておきたい。
つまり体術で乗りきるしか術は残っていないのだ。

「私は何をすればいいのだ?」

それでは各自行動に移ろうとしていたところで桜がキョトンとした顔で見てくる。
暫し沈黙が訪れた後、やれやれといった風に大神が口を開いた。

「桜小路さん、これはコードブレイカーの戦いです。貴女は俺の後ろで大人しくしていてください」
「皆が戦っているというのに私だけ怠けるわけにはいかない!私にも役割をくれ、未来!」
「役割、ねえ……あとは私と一緒に乗客を相手するくらいしかないよ?」
「しかし確かにその仕事は異能を使わなくてもいい、更に言えば武道の心得がある桜小路さんには適任かもしれませんね」

平家の肯定的な意見にパッと桜の表情が明るくなった。

「……大神、どうする?」
「何故俺に聞くんですか」
「桜の観察してるの君じゃない、監督責任は大神にあるのよ」
「……貴女がちゃんと見張っていてくださいよ、未来」

大神からも許可が出て桜は一段と嬉しそうだ。
時計を見るとあと四十五分程度で爆発及び燃料が切れる。
燃料に引火させればより甚大な被害を出せることを考えると、燃料が尽きるよりも爆発の方が早いだろう。
既に大神と平家が操縦の方に取りかかっているのを見てから、コックピットと客室の間のドアの前に三人で立つ。
客室の方からはドンドンとドアを叩く音が幾つもしていて、このドアの向こうにはかなりの操られた乗員乗客が集まっているのだろう。

「そんじゃ、そろそろ俺らも始めますカ」
「刻君、頼んだぞ!」
「ハイハイ言われなくても……っ!」

刻がドアに手を翳し、磁力で一気にドアを向こうに押す。
その反動でドアの前に集まっていた何人かが少し吹っ飛ばされた。
すかさず外に出て、前にいた何人かの鳩尾やら延髄に手刀を食らわせて意識を混濁させる。
その間に刻はドアを元に戻した。



「その爆弾はどこ?」
「あっちの客席の下、カチカチ音がしてるから何だと思って見たら」
「それじゃ私が反対側で引き付けるから、その間になんとか辿り着いて。桜は刻と一緒に」
「オイオイ、無茶ぶりだろそれ」

刻が分かりやすく溜息をついたが仕方ねえな、と動き出す。
その前に私はこれ見よがしに動き回り、引き付けた。
こちらに気付いた人達をコックピットとは反対側のトイレやキャビンアテンダントの控え室前の廊下へと導く、多勢に無勢の戦いにおいて廊下という狭い場所では必然的に一度に相手する人数が減り、各個撃破が彼女になるのだ。
僅かに刻達の方に流れていったのも桜が上手く対処してくれているようだ。
桜は異能とか珍種とかチートな要因がなく純粋な戦闘だけで考えればヒロインにしておくのは勿体無い十分な戦闘力を保持しているだろう。
掴みかかってきた男の胸ぐらを掴み、投げ飛ばす。
男の後ろに控えていた人にもぶつかり何人か倒れたところで素早く意識を失わせる。
失神した人間の置き場所に困るがそれによって次に襲いかかる人が通りにくくなったり、躓いたりするので結果オーライかもしれない。

「ったく、次から次へと……キリが無いわね!」

大粒の汗が伝った、もう何人相手にしているか分からない。
桜の方に目を向ければやはりあちらも体力がかなり限界に近くなっているようだ。
時計を見るとあれから三十分近く、実質あと十五分しか時間は残されていない。

「刻!爆弾解体まだ!?」
「今終わる!この配線を繋げて……ここを磁力で無効化させて……終わった!」
「よし、それじゃコックピットに戻るよ。もうそろそろ緊急着陸しなきゃいけない時間だからどこか安全な場所に掴まらないと」
「残りの人達はどうするのだ?」
「大神の腕を信じて揺れが少ないのを願うしかないわね、全員眠らすには時間もこっちの体力も足りない」

アイコンタクトを取ると、一気にコックピットまで走る。
ドアを開けると三人入ったことを確認して閉める。
その時、機体が緩やかに下降を始めた。

「ナイスタイミングです皆さん、ちょうど着陸体制に入ったところですよ。それにしても大神君の操縦技術には舌を巻きましたね」
「エデンに連絡はついた?」
「はい、エージェントがチャーター便で至急向かうそうです。乗客乗員の保護は彼らに任せましょう」
「そんなんあるなら最初から俺達もチャーター便に乗せろヨ……」

最もな意見だ。
コックピット内にもう一つ座席があるのでそこに桜を座らせて私と刻は近くの掴まれそうな場所の地面に座り込む(刻はどうのこうの文句を言ったがレディファーストだと黙らせた)

「それにしても昼で助かりましたね、夜でしたら真っ暗闇でどこに着陸すればよいか見当もつきませんでした」
「あの細長い島が御蔭島?」
「ええ、我々はとことんついているようですね。大神君、少々無茶ですが砂浜を滑走路代わりに着陸しましょう」

大神が無言でハンドルを切る。
残り時間はあと五分しかない、本当にギリギリだ。
段々砂浜が近づいてきて、ついに飛行機が砂浜の上を滑るように進む……正確には止めようとしている。
桜が息を飲んだ。
結構な衝撃が襲ってくるが懸命に耐える。
やがて衝撃は無くなり、窓の外を見れば景色は完全に止まっていて着陸は成功したのだとわかった。

「ハァ……生きた心地がしなかったんだケド」

静かな空気の漂うコックピット内に、刻の声だけが響いたのだった。







END