深夜、月明かりと街灯の光だけが輝く路地に一人白衣の女が立っていた。
光を反射してその汚れ一つない白衣は不気味にぼんやりと浮かび上がる。

「さてと、そろそろ時は満ちたようだ」

女の整った形をした唇が嬉しそうに弧を描く。

「私の研究成果を発表するときが来た」

あの薄汚れた研究所から運び出した資料を元に、三年かけて作り上げた最高傑作。
彼等はコレに一体どの程度対抗することが出来るだろうか。
想像するだけで愉快でたまらない。

「行きなさい―――私の玩具たちよ」

女の声と呼応するかのように、闇夜を複数の影が飛び去っていった。





「未来!風邪をひいて寝込んでいると聞いたが大丈夫なのか!?」
「桜小路さん、病人の前ですから静かにしていましょうね」
「大神と桜チャン、お前らなんか親子みたいなやり取りだナ」
「……で、揃いも揃って一体何をしにきたのよ」
「勿論間抜けにも雨に降られて風邪でダウンした貴女の見舞いですよ」

平家の言葉の端々から感じる刺に口元を引きつらせながら、未来はこんな狭い部屋の中に人口密度高くされたら益々気分が悪くなりそうだと頭が痛くなった。

「皆未来のことを心配してるのだ。母上からも早く良くなるようにと色々預かっているから、是非食べてくれ!」
「わかった、わかったからもう少し声のトーン落として」
「いやー珍しいこともあるもんだな、鬼の撹乱ってヤツ?」
「これのどこらへんが心配しているのか是非とも詳しく教えてほしいんだけど」

桜小路家の人からしか感じないのは気のせいではないだろう。
物珍しそうに半笑いで眺めている刻に桜から手渡されたお粥を投げつけてやりたくなる。
こいつ、完全に人が苦しんでいるのを見て楽しんでいるに違いない。
人見の件から数日後、あの日雨の中を傘もささずに歩いたせいか発熱して学校を休んでいた未来。
学校帰りに皆で集合して茶々入れに来たならさっさと帰ってくれと言いたくなったが、残念ながら一段落したところで平家の口から至極真面目な話が繰り出された。

「異能狩り?」
「ここ数日で既に十人、いずれも異能の保有者が殺害されています」

その数の多さに目を丸くしたのは桜だった。

「じゅ、十人ってそもそも異能使いとはそんなにたくさんいるものなのか?」

こちらの事情については当然のことながら全く詳しくない。
言ってしまえば部外者である彼女にホイホイ情報を教えるのは賢い選択ではない、しかし彼女が保有する珍殊の能力故に観察も兼ねて行動を共にしている。
平家も桜に知られてもいい程度の話だと判断してのことだろう。

「日本、言ってしまえば世界中には特殊な天賦の才能――異能を所有している人は意外と大勢いるのよ」
「勿論そんな人々が皆コードブレイカーになる訳ではありません。能力自体が脆弱な場合や戦闘には向かないこともありますからね。そこで日本では戸籍の他にこのような異能を身体に保有している人間を、個人情報からその能力の特徴など事細かに登録させています」

もしも異能が関係していそうな事件が起これば、即座にそこから洗われて犯人を見つけ出す。
そうして日本は異能者の管理を徹底していた。

「ちなみに、今現在日本には約二百人程度の異能者います」
「……それは、多いのか少ないのか微妙な数だな」

日本の人口という分母に対して人数自体は非常に少ない、だがその人達皆が異能を持っていると考えるとそんなにいるのかと思うのは当然だ。

「といっても、今は大多数が大して戦闘力なんてお世辞にも呼べないレベルらしいけどネ」
「襲われた被害者の年齢も性別もやられ方も見事にバラバラ、これじゃあ異能という共通のものでもなかったら完全に別件にされてたでしょうね」
「犯人の特定については、今エージェントが全力を上げて行っています」
「それまで俺等の出番はナシってワケ」

それじゃあ帰りますか、とばかりに立ち上がる刻に桜は「刻君はもう帰ってしまうのか?」と残念そうな表情を浮かべた。
平家を除く誰もが未来に聞きたいことがあるのに、意識的にそれを避けていると思った。
―――元コード:00
大抵のことはあの時人見が喋ってくれたが、未だに半信半疑と言いたいのだろう。
そして人見との仲間とか同僚とは違う二人の関係性にも。
だが後者を問われた場合、何と答えればいいのだろう。
元恋人、それが一番手っ取り早いし端的に表しているが正直それを自分の口からそれを言うのは恥ずかしい。
だから触れないでおいてくれるのは嬉しかった。

「あ、あの……未来」
「どうしたの、桜?」

刻の言葉を皮切りに皆帰る雰囲気となっていたところで、不意に桜が切り出してくる。

「今日は未来の家に泊まっても構わないだろうか?」
「でも私今絶賛風邪引き中だから、移すかもしれないよ」

今は来客ということでマスクをしているが、正直マスクは蒸れるし息苦しいので嫌いだから彼等が帰ったら取るつもりだ。
桜の背後にいる大神も突然この人は何を言い出すのだと呆れた目線を向けている。
本来ならこれから彼女を自宅まで送り届けるという役目があるため、そう思うのも無理はない。

「一人暮らしで体調が悪いのは心細いものだと母上が申していて、看病がしたいのだ!大丈夫、私は今まで生きてきた中で一度たりとも風邪をひいたことがない。小学生でクラスの九割が風邪で学級閉鎖になったときも元気だったのだ」
「なんつーか、流石桜チャンとしか言い様がない……」
「それに明日は休日ですしね」

意外なことに平家が桜をフォローして、宿泊を促すような発言をする。
実際熱もだいぶ下がったし気分も楽なので看病してもらう必要なんてないんだけどなぁ、と思いつつも結局許可したのだった。

「そういう訳で、本日の大神君の桜を送るという任務はなしだから。それとも大神も泊まる?」
「寝言は寝てからにしてください」
「冗談よ、ほらさっさと帰った」

手で追い払うような仕草をすれば大神はわざとらしく溜息をついて部屋をあとにした。
相変わらず冗談の通じない奴だと苦笑しながら、桜に貸すためのパジャマやらを出しにクローゼットを開ける。
桜はと言えば、早速お粥を温めにキッチンに立っていた。
自他共に料理が苦手だと認めているためにキッチンは殆んど使うことがなく、役割と言えばインスタント食品を食べる時にお湯を沸かすくらいだ。
大概コンビニなどの弁当や外食で済ますと言えば、桜に「不健康だ!」と怒られてしまう。
このまま行くと彼女が両親に話して、桜小路家の食卓に強制連行されかねない。
とはいえ、卵焼きを作っても黒焦げになるしハンバーグは知人曰く「たわしにしか見えない」な腕前なのでどうしようもない。
桜曰く彼女もその一見大和撫子な容姿に似つかわしく、料理や裁縫の類いは苦手らしいが最小限のことは出来るし私に比べたら可愛いものだろう。
それから二人で食事を摂って(母親から彼女の分の普通の夕食も持たされているあたり、最初から泊まる気満々だったらしい)テレビを見ながら適当に雑談をしていると、不意に桜が切り出してきた。

「未来にとって、人見殿は大切な人だったのか?」
「どうしたの、藪から棒に」

テレビでは実家が極道の高校教師と不良少年達の心が通いあうといったストーリーの巷で人気らしい学園ドラマを放送していて、その内容のあまりにも勧善懲悪なストーリーに現実はこんな綺麗じゃないだろうと思っていたところの唐突な質問で目を瞬かせる。
そもそもこのドラマは適当にチャンネルを回している時に、その主人公の女教師の実家の様子が桜小路家のようだという話題になったからなのだが。

「この前の人見殿との戦いで、人見殿は未来に酷いことをしようとした…けど、目はいつも心配そうに向けられて」
「そうね、今あんなだったけど昔はれっきとした同業者だったもの」

あくまでも核心に触れない、オブラートに包んで返答する。

「私は人見殿の気持ちもわからないことはないのだ……そもそも大神や未来に人殺しをしてほしくない一心で行動していたから」

そのせいで彼女自身いろんな厄介ごとに巻き込まれている。
最初から大神と出会うこともなく、更には付きまとうことも無ければ桜小路桜は己が珍種だと発覚することもなかったのだ。
未だに本人はそのことを知らずに過ごしているが。
いずれは桜も己が珍種だと知ることになるのだろうか、その時は……。
脳裏にいつも猫の着ぐるみに身を包んだ男を思い出す。
桜がそんな生き方を強いられるのは嫌だな、と思ってしまう。

「桜の言いたいこともわからない訳じゃないの、でも私達はそれを理解し受け入れてコードブレイカーになることを選んだ」

脅されたのでも、強制されたのでもない。
道を標されて自らの足でそちらの道へ進んだ。
だから今更平穏な生活や、生きた証を求めるのはお門違い。

「それにね、今の仮初めの生活の中でも桜やあおばや、クラスの皆と毎日学校生活を送れてすごく楽しいの」

たとえそれが偽物だとしても、確かに存在していた日々だ。

「未来……」
「人見のことも出来ればあんな結末は迎えたくはなかったけど、人見もわかっていてああいう行動をとった。だから自分の私的な気持ちで甘い行動をとるのは、失礼に値するのよ」

人見は私にとってどんな人物か、という質問に答えることは意図的に避けた。
口にしてしまえばやっとのことで整理した気持ちが、再び傾いてしまうから。

「……もう遅い時間だし、寝ようか」

時計を見てソファに座り俯いている桜に声をかける。
少しぎくしゃくした空気にになってしまったな、と思ってテレビを消すためにリモコンに手を伸ばす。
その時、突然殺気がどこからともなく襲った。

「………っ!」

これまでコードブレイカーという職業故に命を狙うという命知らずな始末屋もいたが、これほど強力な殺気は感じなかった。
殺気の発信源の方向、窓を振り返った瞬間、窓ガラスがバリンッ!!とけたたましい音をたてて砕ける。

「っ……桜!」

何が起こったのか理解出来ていない桜の手を取り、机を横に倒すと盾に見立てて内側に彼女を押し込む。
ガラスが床に落ちると共に侵入してきた二つの影に舌打ちして、懐から銃とナイフを取り出す。

「こんな夜中に一体何の用かしら、訪問販売ならお断りしているんだけど」

特に地獄への片道キップは丁重にね、と冗談めかして言うが返事はない。
いずれにせよコードブレイカーの住居を襲ったのだから、返り討ちに遭っても文句はないだろう。
無言のまま間合いを詰めてきた片方を軽くいなして、頭と首の付け根に鋭く打撃を入れる。
始末してしまうのは楽だが、どこから雇われたのか聞き出さなくてはならない。
もう一方とは数メートル距離が離れているから、銃で応戦しようとすると突然細長い刃物が伸びてくるように未来の肩を突き刺し、肉を抉る。

「…ぐっ……!」

肩に走る痛みに顔を歪める。
特殊なタイプのナイフか極度に細い剣かと肩のそれを見て、唖然とした。

「爪……?」

普通の人間では考えられない長さの爪は、自分を現在進行形で襲撃している人物の手から生えている。
確かに爪は人間の身体で歯の次に硬く、磨ぐなりすれば鋭い刃物として使用できるかもしれないが、突然伸びるなんてことは普通の人間では有り得ない。
だとすれば自ずと導き出される答えは一つ。
異能使い。
ポタポタと赤い血が腕を伝って地面に落ちる、様子を知るためにテーブルの影から顔を出した桜はそれを見て目を見開いた。

「っ未来!?」
「馬鹿、出てくるな!」

ナイフで肩に刺さる爪を斬るか、折るかしようとするが爪とは考えられない硬さでそれを拒む。
そこへ人の忠告など微塵も聞く気はないらしい桜が、危険きまわりないことにその爪へと触れる。
その瞬間、触れられた部分の爪は一瞬にしてぽろぽろと崩れた。

「一体、何が……」

戸惑いを隠せずにいる桜、そして当然ながら爪を破壊されて驚いた様子の侵入者を脇目に未来は突き刺さっている残りの爪を掴むと引き抜き、投げ捨てた。
珍種である彼女が触れた途端に崩れ去ったということは、間違いなく相手は異能を駆使している。
ならば最初に自分にのされたもう片方も異能持ちなのかと目を向ける。
"異能狩り"
平家が口にしていたキーワードが頭の中を過る。
異能に太刀打ち出来るのは同じ異能。
だからエデンとしても最初から異能を持つ人間を怪しいと考え、エージェントに探らせていると言っていたがまさかコードブレイカーを襲うとは随分と身の程知らずのようだと笑いたくなった。

「残念だけど、襲う相手を間違えたみたいね。あんた達に勝機はないわよ」

ここに珍種がいるなら尚更、侵入者の方も桜に対して警戒しているようだ。
さてさっさと残り一人をのして平家あたりでも呼んで連行していってもらおう、こっちは風邪が治りかけなのだからお引き取りいただいて就寝とさせてもらおう。






END