"気"とは犬や猫、果ては草花や大気など自然に宿る生命の源となる力のことである。
勿論これは通説ではなく私個人の見解によるものだが、この表現が最も的を射ていると自負している。
気を自由自在に操ることの出来る異能は、想像よりも何でも出来た。
空気の摩擦を利用して雷を生み出すなどお手の物、直接生命の活動を全て停止させるなどという荒業も可能といえば可能(かつて一度だけ行った時には、即座に自分もロストを起こして本気で死にかけたが)
欠点があるといえば、他のコードブレイカーよりもはるかに能力のキャパシティが少ないため多用は出来ない。

「気を貸す、とは一体……」
「桜は、さっき私を抱き締めていた時なんて思ってた?」
「もちろん未来を守りたいと思ったぞ!」
「じゃあその気持ちを強く心に念じて、あとは私がやるから」

桜は己に珍種の稀有な力が宿っていることには気付いていない、知らない方がいいだろう。
だから本人にはわからないように、彼女の身体に流れる気から珍種の力を引き出して利用させてもらう。
気とは一見とても複雑なように見えて実のところかなり単純だ。
桜の手を掴み目を閉じる。
驚くくらい早く珍種の力は私の異能に反応してそれを打ち消そうとするが、打ち消されぬよう外側から包み込むようにそれを吸収していく。
現在進行形で異能を発動中の私にとっては時々もれだして異能と反発するので、若干痛みを伴う。
それでもなんとか表情を歪めながらも珍種の力をこちらに引き寄せることに成功し、安堵の息を吐く。
その間にも大神は人見に果敢に挑むも圧倒的に劣勢に立たされていた。

「今の君じゃあどうやっても私には勝てないよ」

両者の間には大きな"経験の差"という壁が立ち塞がっている。
現に息を切らしながら床にしゃがみこみながらも人見を睨み付ける大神に対して、人見の方は相変わらずの余裕だ。
平家達の方もあの特殊な箱からいつ出れるか分からないし、遊騎も平家は連絡すると言っていたが本当に加勢に来れるかはっきりしていないのだ。
だから早く自分が少なくとも一緒に戦えるレベルにまで復活しなくては。
その時異変が先に大神に起きた。

「このままでは大神が!」
「不味い、ロストする……っ」

ここまで散々青い炎で戦い続けてきたのだ、いつロストが訪れてもおかしくない。
しかしタイミングが最悪すぎる。
崩れるように倒れ込む大神に、人見は勝利を確信して笑みを浮かべた。

「残念だったね、私を燃え散らすより君の異能のロストの方が早かったようだ」
「ぐっ……!」

その間にもある場所の時限爆弾が爆発して、何の関係のない一般人が命を落とし逃げ惑う。
見えているのにそれを止められない自分に腹が立って唇を噛み締める。

「本当はもう気付いているんだろう?我々が人知れず悪を裁いた所で何も変わらない。だから私は動かなくてはならない……さて、そろそろ消し炭になってもらおう!」

まさに人見が大神に手を下そうとしたその時、隣にいた桜は勢いよく飛び出すと人見の身体に抱きついた。

「桜、何して……あの馬鹿っ!」

それによって大神が間一髪救われたことは間違いないが、あまりにも無謀すぎる行動。

「本当の名前とか、何をしてきたかなんて私は知らん、でも!」

彼女の腹の底から絞り出される、声。
それは人見の心に届いているのだろうか。

「皆の匂いや熱さは知ってる!そんなに感じるのに存在してないとか、どうしてそんな悲しいこと言うのだ……」

私達は存在という対価に悪を裁く権利を得た。
確かに生命活動は行っているが、生きていた証は全て捨て去った。
それを"生きて"いると言っていいのかは分からない。
だから私達は自らを存在しない者と皮肉を込めて呼ぶ。
彼女の言葉は、そんな私達の生き方を否定するものだったが同時に救いを示している。
私達にそんなことを望む権利はないのだが。

「私は皆を忘れたりしないぞ!……絶対に忘れたりなんてするもんかー!」

桜の懸命な叫び、しかしそれは人見の心に届くことはなかった。

「だから、何だ……」
「っ、桜!」

人見の手によって首を絞められる桜。
彼女から借りた珍種の気で人見の異能を消している途中だったが、彼女を助けるために立ち上がる。
しかしいきなり心臓を強く鷲掴みにされるような苦痛に立ってなどいられなくなり、地面に倒れる。

「人見の、感情に、同調してる……?」

"気"の力を使っていた故に強すぎる人見の激情に身体の中に残る人見の異能が反応してしまったのだろう。
大事な場面で、目の前で桜が殺されそうだというのに……己の無力さに腹が立つ。

「君も死んで忘れ去られるがいいー!!」
「やめ……!」

その時、突如として青い炎が人見から吹き出し目を見張る。
その先には間違いなく先程ロストした筈の大神が、ゆっくりと立ち上がっていた。
人見も何が起きているのか理解出来ず、驚愕の表情を浮かべている。

「大、神……?」


「Eye for eye(目には目を)Thooth for thooth(歯には歯を)EVIL for EVIL(悪には悪を)」


いつもの大神のお決まりの台詞である筈なのに、違う。
それはまるで彼の真の力が覚醒したかのようだった。

「一体何が起きて……」

未来でさえ、目の前で起きている出来事に目を疑った。
人見が押し負けているどころではない、あらゆる人見が仕掛けた雷の攻撃が大神によっていとも簡単に掻き消されていく。
今までここまで彼が劣勢に立たされたことがあっただろうか。
そして決着はあまりにも呆気なく訪れる。
大神が放つ、相手に触れることもなく焼き尽くす蒼き炎。
それは人見の身体に纏わりついて、最後の一手を放った。

「私を上回る異能を操るとは、正直驚いた。異能自体の効能は置いておいて、誰よりも引き出せていると自負していたのだけどね。でも、残念だったね……残りのタイマーが総理の処刑と共に爆発する!私の勝ちだ!」
「……残念だけど貴方の負けよ、人見」

大神との戦いに気が向けられていたせいで、彼等が動いていたことに気付いていなかった。
平家と刻は囚われていた総理を解放すると、不敵に笑う。

「残念ですね、人見」
「総理と街の人々は俺達が助けたってワケ」

窓の外に寄って外を見れば、遊騎が未来を見つけてパアッと表情を明るくする。
本当に読み通り遊騎に協力してもらっちゃったなと、今度お礼ににゃんまるグッズでも買ってあげよう。

「……良かったかい、皆が助かって」

完全なる自分の負けを理解した人見は、大神からのダメージもあってかもたれ掛かるようにして腰を下ろす。
すぐ側には桜が倒れていたが、彼女に語りかけるような口調でもう危害を加える様子ではないので大人しく成り行きを見守ることにする。
人見が語り出したのは、コードブレイカーの闇の部分。
犠牲に見合わない墓すら立てることを許されない、その扱い。
多分それは、長くコードブレイカーのエースという地位にいたからこそ感じた絶望なのだろう。

「で、なんでコードブレイカーやめたワケ?あんたに正義のヒーローは似合ってたと思うケド」
「……刻君がまだ知らないこともあるんだよ」

刻が差し出した煙草を受け取り吸おうとしたその時、人見の身体に異変が起こった。
そしてその症状には、あまりにも見覚えがありすぎた。

「まさか、」
「え、何ロスト!?」
「違います」

心臓がドクンドクンと音を立てて、嫌な汗が伝うのを感じた。

「これは"コード:エンド"異能の終わりです」

異能を所有し使い続ける者はいつか異能に喰い殺される運命にある。
最初にその存在を知った時は、成る程これだけの力を得たからには代償が必要なのかと妙に感心した覚えがある。
だがそれがたった今とは、随分と意地の悪い神様がいたものだ。
勿論日頃神など微塵も信じてはいないが、良くできた世界の構造に嘲笑を禁じ得ない。

「法で裁けぬ悪を裁く……その大義名分の名の下に使い捨てにされてきた仲間達が、どんな想いで死んでいったか分かるか……!」

コード:01、エースという肩書きはただ彼が強いということを示しているだけではなかった。
誰よりも仲間、同士を想い戦うあまりに優しい人。

「人見、やっぱり貴方向いてなかったよ……コードブレイカーには」

絞り出すように紡がれた言葉はもう届かない。

「許さない、貴様らのような者達だけは絶対に――!」
「だったら貴方のやり方は間違ってた、そうでしょ?復讐なんて名目で罪のない人々を犠牲にして、それで貴方の願いが叶う訳ないじゃない」
「死は人を変える、死を実感して分かったんだ。人の記憶の中にいない、人との繋がりをもたないなんて、そんなの生きてるとは言わない!」
「それなら私は生きてなくていい!」

人見の言葉に反論するように、未来は声を荒げた。

「……私達のような存在を明るみにしてどうするのよ、私達は正義の味方でも何でもない。世間に知らしめる価値もない」
「でも私は君達に、コードブレイカーには普通に学校へ行き、家族や友達に囲まれ穏やかに暮らす、そんな当たり前を手に入れてほしい……!」
「そんなもの……っ!」

欲しいなんて思わなかった。
たとえ仮初めの物でも毎日学校に行って、いつ別れるか分からないクラスメイトと話して。
それだけで十分だからそれ以上の日常なんていらなかった。

「……ふざけるな、あんな御託並べていたのに勝手に決めつけんなよ!」

いつの間にか大神が未来の前に立ち、怒りに震える拳で惜しむことなく人見を殴り付けた。
彼の言う"御託"は私には分からない、でも確かに人見は何かに絶望する前までは立派なコードブレイカーだった。
自分が死ぬ最期一分一秒までも人を救い続けたいと思うような。

「生まれてくる場所は選べないが死に場所は自分で選ぶ、だからオレはコードブレイカーになった!」
「そうか……それが君の覚悟か」

相変わらずギラギラして、イライラさせてくれるよという人見の表情はどこか吹っ切れた様子で、尚もコードエンドで身体を蝕まれながら立ち上がるとおぼつかなくも確かな足取りで大神に近づくと彼にしか聞こえないよう囁いた。

「エデンに気を付けろ、それと桜小路さんを奴等に渡すな……絶対に。それから、未来を頼むよ――大神」
「……っ!」

そこからは早かった。
最期の力を振り絞り藤原総理に狙いを定めた人見だったが、コードブレイカー達がそれを阻止する。
崩れ落ちるその身体を支え、もう力の残っていない人見に告げた。

「何があっても忘れない、貴方ことは絶対に忘れないから」

最後に見えた、人見の表情はどこか満足げなものだった。

「貴方は本当に馬鹿だよ、いつも自分のことは二の次で人の事ばかり考えてて」

だからどうか、安らかであってくれるといい。
それだけが私に祈れることだった。






「いやぁ実に楽しい余興だったよ」

どこかの高速道路を走る高級車、後部座席に座る藤原は笑顔だった。

「藤原総理お戯れがすぎます、私に全面的にお任せ頂ければもっと早急に片付けましたものを」
「それでは面白くないよコード:02、君やコード:07……いや00と呼ぶべきか、が本気になったらあの元エースなど瞬殺してしまうだろう?それに、個人的にゴールデンタイムのドラマのようなシーンが見られて面白かったしね、そうだろう神楽坂君」
「気に入って頂けたようで、私としても下手な芝居をした甲斐がありました」
「いや中々の名演技だったよ、むさ苦しい男の戦いだけではいささか興醒めしてしまうからね。久々に中々良いものを見せてもらった」

此方の様子は見ていないように見せて、実はしっかり見ていたと本当に侮れない男だと前方の助手席に座りながら未来は思った。

「それにしてもあの新しいコード:06、指輪を外した時の変貌から見てやはり"あの力"が隠されていたか……危険だねぇ、やはり彼は特別しっかり監視をしておかないとねぇ」
「……あの力?」
「ああ、君は知らないのか。人見は随分君に過保護だったようだからね、知る必要のないことは耳に入れなかったのだろう」

いずれにせよ今は知らなくても何ら必要ないよ、と藤原は笑うと曖昧に話を流した。
話の流れから当然平家も知っているようだが、大神に一体何が隠されているのだろう。

「時に未来君、そろそろ今の地位から元に戻るつもりはないかな」
「つまり、コード:00にということですか」
「元々君の降格を許したのは人見があまりに頑固すぎたせいでね、彼ももうこの世にいない。それに、敵がそろそろ動き出したらしい」
「!それは」
「これからは君にも全力で戦ってもらう可能性が出てきたということだよ、ちょうど他のコードブレイカー達も本当の君の地位を知ったのだから元に戻るといい」
「……了解致しました。申し訳ありません総理、用事がありますので私はここで失礼します」

高速道路から一般道に入り、比較的人の多く歩く道で運転手に歩道に寄せてもらい、扉を開ける。
藤原は相変わらずの自信に満ちた笑顔で、今日はお疲れ様というと車は夜の道を発進して消えていった。




「演技、か……そんなわけないじゃない」

自分はそんなに出来た人間じゃない、人見と実際再会して結局看取って、いろいろ思い悩んだし揺さぶられた。
その言動全てが本心から生まれたものだということは自信を持てる。
歩いて自宅を目指していると、ポツリポツリと夜道を雨が濡らし始める。
生憎今日の天気予報では一日晴れだったので、傘など持っていない。
やがて雨は強くなり、どしゃ降りとなった。

「本当は今も昔も変わらない、ずっと―――」

記憶に残っていたのはそこまでで、未来の身体は糸が切れた操り人形のように地面へと倒れていく。
だがそれは地面に到達する前に、何者かの手に支えられた。

「本当に、貴女は馬鹿ですよ」

その男、平家は意識の無い未来を支え軽々と抱き上げる。
その身体はいつもよりも熱かった。

「いずれにせよ、私には理解の出来なさそうな話でしょうね」

ただあの男に一々揺さぶられている彼女の姿に苛立った、今まで生きてきて果たしてそんな感情を抱いてきたことがあっただろうか。

「貴女こそ、コードブレイカーには向いていませんよ」

低く、静かな科白は叩きつける激しい雨の音に掻き消された。







END
NEXT 後書き