翌朝、まだ寝ている遊騎に布団をかけてあげて静かに支度をすると、使用人達に挨拶をしてまだ薄暗い外へと出た。
昨日学校からそのまま桜を追跡して、爆破事件に巻き込まれて遊騎の家に連れられたから学校の準備をしていない。
流石に二日連続同じシャツは、と思い一旦自分の現在寝泊まりしているアパートに帰宅することにしたのだった(遊騎のメイドが貸そうとしてくれていたが、そこは遠慮した)
扉の前に立ち、鍵を鍵穴に差し込もうとしたとき、不意に横から声が聞こえた。

「朝帰り?とんだ不良娘だネェ」
「……刻こそ、珍しく随分と早起きなのね」

柱に寄りかかりながら、刻は缶コーヒーを空けながら「これから一緒にお仕事する同僚に挨拶をネ」と冗談めかして言った。

「大神があんな役立たずだからサ、俺の勇姿を目に焼き付けなってコト」
「彼が役立たずかは、分からないと思うけど」

異能とは、諸刃の剣だ。
一度力の使いすぎによるロストが起これば、戦闘能力はただの人間レベル。
だからこそ、コードブレイカーはいつロストが起きても問題ないように武器の使い方から体術までいくらか訓練を積んでいる。

「今の大神にも、"人を守る力"はある。刻だって私に銃の扱い方を教えてもらったの、忘れた訳じゃないでしょ?」
「……さあネ」
「それじゃ、これから私着替えるからここで待ってて」

どうせ一緒に学校行くんでしょ、と言ってドアノブに手をかければ「じゃあ俺も中に…」とのたまった刻の顔面に蹴りを喰らわせて、部屋に入り鍵を掛ける。
一人外に取り残された刻は、ポケットに入っている煙草を取り出して火をつける。
自然と顔に熱が集まるのが分かった。

「パンツ……見えてるってノ」




桜小路桜はじっと黙ったまま机に座っていた。
友人のあおばがどうしたのか、と心配そうに声を掛けるが今の彼女の耳に届く気配はないらしい。

「(昨日の大神の様子に、神田先生……オマケにまだ大神は登校していない)」

普段だったら珍種の観察だとか言って必ず家の前で待っている、しかし今朝大神が姿を現す気配はなかった。
やっぱり昨日倒れたのが関係しているのだろうか、そして異能と関係があるのだろうか。
同じコードブレイカーである未来に話を聞こうとも思ったが、生憎未来もまだ登校していない。
彼女も昨日怪我をしていたし、大丈夫なのだろうか。
そんなことをぐるぐると考えていると、ガラリと教室のドアが開き大神が姿を現した。

「……すみません、遅刻しました」

いつもの涼しい笑顔とはどこか違う、汗ばんだ様子の大神に声をかけるも、授業が始まると話を反らされる。

「(こうなったら、もう一度神田先生に問いただそう!)」

どういう訳か、授業終了後既に大神の姿はない。
昨日は話を聞く間もなく去っていってしまった担任を探すため、桜は勢いよく立ち上がると神田がいるであろう体育準備室へ向かった。






「こんなところで、何してるの」
「見たままですよ、日当たりが最高なのでここでお茶を飲んでいるのです」
「……貴方に常識を求めた私が馬鹿だった」

流石に授業を丸々サボるのはまずいだろう、と刻と別れて廊下を歩いていると向こうに桜がずんずんと歩いているのが見えた。
本当はきちんと一限から教室に行こうと思ったのだが、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう刻を捕まえておかなくてはならなかった。
方向からして向かう先は体育準備室なのだが、何故か途中で廊下のど真ん中で机椅子とティーセットを広げている平家とお茶を飲み、再び歩き出す。
彼女を追おうと思ったのだが、それよりも先程平家が桜に何かを言っていた気がしたのでそれが気になった。

「貴女も飲みます?」と言う平家にはぁと溜息をつくと、大人しく促された真向かいの席に座る。
ふと平家の手にある明らかに教育上よろしくない題名の本が目に入り、また溜息。

「それ、校則違反じゃないの?」

生徒会書記が率先して校則を破ってどうする、というか一応自分が高校生という自覚はあるのだろうか。

「残念ですが、誰も私を束縛することはできません。制度もまた同様です」
「あ、そう……」

こんなこと言っても無駄なのは分かっている、が周りの目とか気にならないのか。

「良ければ実践します?」
「全力で遠慮させていただきます」
「それは残念ですねぇ」
「そんなことよりも、さっき!桜小路桜に一体何を吹き込んだの」
「少し、忠告をしただけですよ」
「ならいいんだけど」

優雅な仕草で紅茶を口に運んだ平家は、彼女に死なれては此方としても困りますからね、と苦笑する。

「それは、エデンとして観察対象の珍種に死なれては困るから?」
「さあ、どうでしょう」

暫く漂う沈黙の後、未来はご馳走様とカップを置き、桜や大神達がいるであろう体育準備室へと歩き出した。





「そんなノンキなコト言ってるヒマないんじゃないのォ?」

体育準備室の扉に手をかけると、中から刻の声が聞こえてきた。
更に桜が刻君!?、と驚く声も。
どうやら例の如く刻が体育準備室で休んでいる大神に突っ掛かっているらしい、大神の方もそれに苛ついているのが外からも伝わってくる。
微かに煙草の臭いがしてきて顔をしかめる、人の学校で煙草吸うなよ。

「青い炎を使いすぎると、突然体温が極端に下がり二十四時間は青い炎を使うことが出来なくなるんだもんネー、無敵の大神君最大の弱点ダ」
「大神が、使えない……青い炎を?」

そこまで会話が聞こえてきたところで未来も扉を開き、準備室の中へと足を踏み入れた。

「未来!」
「おはよ、桜」
「ちょうどいい、今大神に部活を勧めていたところだ!」

どうやら、彼女"二十四時間"という部分を見事に聞きのがしているらしい。
神田に支えられて心底嫌そうな表情をしている大神に少し同情。
そして早速部活見学に連れていきかねない雰囲気の桜を見かねて、口を開いた。

「残念だけど、そういう訳にもいかないの」
「え?」
「桜小路さん、貴女の行動は制限させてもらいます」

未来と神田の言葉に訳がわからないと桜は首を傾げる。

「桜小路さん……貴女の命が狙われているのです」






「鬼桜組」、それは日本有数にして最強の任侠組織。
警察すら不可侵の仁義の世界―――。

「……そんなに家は特殊か?」

かなりの広さはあると思われる日本家屋に、彼女を出迎えるようにズラリと並ぶ黒スーツを身に纏った男達が並ぶ。
どうやらこれが日常としてさして気にした様子のない桜は、黒スーツ達に挨拶を返していた。

「父上!桜ただ今帰りました」

取り敢えず桜の護衛ついでに桜小路家に上がるので、父親に挨拶をせねばと桜についていき"関東のあばれ龍"として名を馳せているという父の元へと連れていってもらう。
どんな恐ろしい風貌の父親だと思って開けられた襖の向こうにいる小柄な男性が目に入った瞬間、首を傾げた。

「……や、おカエリ桜チャン」

どうやら予想とはかなり違う人物のようだ。

「嘘ォ!?」
「どちらかというと、刻の顔の方が嘘だと思うよ」

あまりの驚きで大変な顔芸になっている刻に冷静にツッコミを入れつつ(大神なんて驚いてるけどまったく表情は変わっていない)、興奮して貧血気味になっている桜父に薬を用意している様子を見る。
"貧弱そう"という言葉がぴったりと当てはまる、およそ関東のあばれ龍という代名詞が似つかわしくない。
それが作られたものか、否かは別としてだが。
そして驚いたことがもう一つ。

「桜きゅんが男の子連れてきたってホントー!?こんなことってはじめて!」

この母親、一体いくつなのだろう。
まるで女子高生、見方によっては中学生のようにはしゃぐ桜の母親、ユキさん。
どれくらい幼いかというと、刻が桜の妹と勘違いしてナンパをしかけるくらいだ。




「何ィー、妬いた?」
「………はあ」
「未来、この馬鹿は気にしなくていいと思いますよ」
「ん、そうする」
「ちょっとォ!」

そこで大広間らしきところから声がかかり、客人一同はそこへ通される。
既にたくさんの組員がそこにスタンバイしていて、まるで小中学生の給食時かのようにウキウキした様子で此方を見ていた。
まぁ、酒が机の上に乗っている時点で給食とは違うが。

「お客さんが来たらまずは同じカマの飯を食うってのが"鬼桜組"のしきたりさ!」
「宴だ宴、姐さんいただきやす!」

号令と言ってもいいそれを合図に持っていたコップに飲み物が注がれ、文字通り"宴"が始まる。
本当に、アットホームな雰囲気だと思いつつ、どこか所在なさげにしている大神が目に入る。

「こういう雰囲気、苦手でしょう」
「そりゃそうですよ。社会の闇の部分である自分達には関係のない世界、そう思いませんか?」
「確かにそうかもしれない、でも仕事には協調性も大事よ?」
「分かってますよ」

本人はどう思っているか分からないが、刻の方は妙に馴染んでいて手品まで披露している。
フォークなどの金属の食器を種も仕掛けもなく宙に浮かす、確実に異能使ってるな、あれ。
最後に刻がロストしたのは結構前だから、もしかしたらそろそろ危ないのではないか。

「ったく、危機感がないんだから」
「……少し、夜風に当たってきます」
「酒なんて飲んでないのに?」
「………」
「いいよ、桜のことは私が見てるから」
「すみません」

余程この空気が辛いのか、別に興味をひくものがあったのか大神はさっと立ち上がると大広間とは対照的な静けさの広がる廊下へと姿を消した。
さて、私もどうしたものかと考えていると不意に空になったコップにお茶が注がれた。

「さ、もっと飲んで飲んで!!」
「そんなお酒みたいな……」

笑顔でお酌をするような姿勢のユキさんに苦笑。
するといきなりユキさんがグイッと迫るように顔を近づけてきた。

「未来ちゃんは、ぶっちゃけたところ二人のどっちがいい?」
「ぶはっ!」

まずいまずい、飲みかけていたお茶を吹き出すところだった。
というか、いきなり何を言い出すんだこの人は。

「あ、あの……意味がよく分からないのですが」
「私もねー、最初は二人とも桜キュン狙いなのかと思ってたんだけど、二人よく未来のこと見てるよー?」

桜キュンのことも気にしてるから、きゃ!もしかして四角関係ステキ〜!とか言い出す母親に、心の中で盛大に溜息。
どうしてそういう発想になった、その四角関係に自分の娘も入っていることは気にしないのか。

「二人は、勿論桜もいい友達ですよ」
「じゃあ、未来ちゃんは好きな人いないの?」

あくまでもその話題を振り続けるって、貴女は女子高生か。

「昔はいたんですけどね、この人とずっと一緒にいたいって思える人が」

でもあの人は、どこかに行ってしまった。
確かに納得して別れを告げた筈なのに、未だに心の片隅に居座り続けるその存在。
いい加減、自分でも女々しすぎると思う。

「今でもその人のこと、好き?」
「……分からないです」

もし次にあの人と会うことがあれば、それはすなわち敵になることを示す。
こんな感情を持ったまま、闘うことなど出来るのだろうか。

「出来れば、もう二度と会わない方がいいと思います」

すると、ユキさんは笑顔で私の頬を優しく撫でた。
いきなりのことに驚き、目を見開く。

「想っていれば、必ずよかったと思う時がくるよ。だから自分に正直に生きて、ね?」
「ユキさん……」
「以上、人生及び恋愛の先輩からの助言は終わり!辛気臭い顔してないで飲むよー!」
「いや、私未成年」

ユキさんの手に"熊殺し"と書かれた酒瓶が握られているのを慌てて首を振ったその時。

―――風が、変わった。

妙な感覚に振り向いた瞬間、同じくその異能で異変を感じ取った刻が別室にいる大神へと声を上げた。

「大神――!北45度の方向!」

と同時にバリィィン!とガラスが割れる音がする。
……間違いない、桜を狙う始末屋が動き出した。
直ぐ様立ち上がり音のした方向へ向かおうとするが、上半身に変な、濡れた感覚がして自分の胸部を見る。

「ご、ゴメンね!?今の音にびっくりして溢しちゃって……」

ちょうど酒瓶の蓋を開けた瞬間だったらしく、中身が未来の上半身に見事にぶちまけられていた。
中身が多かったせいか、上に着ていたセーターの下のワイシャツに染み込んでいる。

「大丈夫ですよ、帰ってから洗いますから気にしな……」
「だーめ!汚れは早くとらないと後で困るんだから。ほら、バンザーイ!」
「え、ちょっ……」

この小さな身体のどこからそんな力が出るのか、と不思議なくらい抵抗する間もなくセーターを脱がされる。

「わ、すご……」

刻の変な呟きが聞こえたが、そこは説明を差し控えさせていただこう、ご想像に任せる。
とにかく、ユキさんや隣の部屋から特に怪我もなく戻ってきた桜と大神にも全力で勧められて未来は桜小路家の浴室を借りることになった。






END


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