∵ 目的は達成された
「何者だ貴様は、奥村燐はどこにいる」
数人の黒装束の男達が雪男を取り囲んだ。 ここは旧男子寮六○二号室、雪男は燐のベッドに腰かけていた。 男達はさすがにそこにいたのが燐ではないことには気づき、更にそれが悪魔であることにも気づいき緊張が走っているようだった。 この時代の自分や兄の前とは違って全く悪魔の気配を隠す気はない。 しかし兄はこんな連中にむざむざとやられたのだろうか、いや寧ろ人間が相手だから反撃を躊躇したのだ兄さんらしい。
(大丈夫、兄さんが寝ている間に全て片付くから)
それはまぎれもなく残忍な悪魔の表情だった。 相手も雪男とは気づいていないが目の前の悪魔が燐襲撃にいち早く気づき、彼を隠してしまったのだとはわかったようだ。 第一何故こんなところに人の形をした上級悪魔がいる、フェレス卿は一体何をしているのだ、いやあの悪魔の手引きに違いないなど口々に言っている。 メフィスト・フェレスの結界が施されたこの学園に外から入り込むのは容易ではない、しかし未来の名前が到着場所として指定したのがこの旧男子寮の屋上―――かつて燐とネイガウス、そして雪男が戦闘を繰り広げられた場所だった。 あの時はネイガウスの動きをいち早く察知した雪男が燐襲撃の前に手を打つことが出来たが、ネイガウスの使い魔に予想以上にに苦戦して。 そこに避難させた筈の燐がやってきて……。
(結局、僕は兄さんを守るなんて意気込んでおいて守れていなかったじゃないか)
今度こそ兄さんを守ってみせる、そのためにたくさんのものを犠牲にして来たのだ。 人間としての自分も、最愛の人さえも。
「さあかかってこいよ、偽善者共」
旧男子寮内に入った瞬間、上の階からけたたましい音と振動が伝わってきた。 もう既に戦闘は始まっているのだ。 多分場所は六○二号室、雪男と燐が寝泊まりしている部屋。 燐の寝込みを襲ったに違いない。 だから燐が夕食の準備をしている間に名前も下準備をしておいた、実力において未来の雪男や襲撃者達に大きく劣るが十分雪男のサポートを出来るように。 足手まといにならないように。 階段を駆け上がる、いつもはこんな上までと文句を言うところだが今は息切れなんて気にしていられない。
「雪男!」
勢いよくドアを開くと部屋の中央、ものが少ない燐のスペースと本や資料がたくさんあるが整理されている雪男のスペースの境目に未来雪男が立ち、その周りに黒装束の男達が平伏していた。 一目でわかる、既に決着はついていた。
「名前さん、兄さんの側についていてって言っていた筈だけど」 「ご、ごめんなさい。雪男が心配で……」 「ああそうだね、名前さんは昔から心配性な人だったよ」
困ったように眉をハの字にする雪男に反射的に謝る。 とはいえ念願だった目的を達成していたためか安堵していたようで、そこにいるのは悪魔落ちした雪男であるものの私がよく知る彼のような気がした。
「まだ止めは刺していないよ、兄さんが寝泊まりする場所ではしのびないから」
だから二人して油断していたのだ―――全ては終わったのだと。 雪男の背後、倒れていた男達のうちの一人が虫の息だったところ僅かに起き上がり、懐から何かを取り出すのが見えた。 それが何かわかったと同時に名前の顔色が変わる。
「雪男……!」
部屋の出入口付近にいた雪男の腕を引っ張り外に出すと、部屋の中央に向かって詠唱した。
「願わくは悪しき者の悪を断ちて、正しき者を堅く立たせ給え!」 「……!」
雪男が完全に外に出て、名前の詠唱が終わった瞬間、それに呼応して六○二号室の床が淡く光っていた。 同時に浮かび上がった魔法円は、絶対障壁を元に名前がアレンジを施したものだった。 そして障壁の中で激しい爆発が起こる。
「燐が夕食を作っている間に書いておいたの」
通常絶対障壁とは外からの全ての接触を弾くものだが、アレンジによって詠唱と呼応させ内部にいたものを魔法円の中に閉じ込めるようにしたのだ。 障壁内で凄まじい爆発を引き起こした手榴弾のようなものは、中にいた男達を人の形が残らないほどにさせた。 こんなものが普通に爆発していたらどうなっていたか、既に彼等を無力化させたと油断していた自分に嫌気がさす。
「名前さん、ありがとう……名前さん?」
本当彼女には敵わないなと思いながら名前を見たら、床だけが焦げた六○二号室を凝視しながらカタカタと震えていた。 しまった失念していた、今まで散々こういう場面をくぐり抜けてきた雪男は痛くも痒くもないが彼女にとってはこんなおぞましい場面に遭遇したのは初めてだった。 それから絶対障壁が発動しなければ自分や雪男もああなっていたかもしれないという恐怖。 そんなものに名前はまだ慣れていない。 それが雪男と名前、そして今この場にはいない燐との決定的な違いなのだろうなと雪男は思った。
(こんなドス黒い自分はもう名前さんには相応しくない……)
「名前さん、大丈夫?」 「ご、ごめん。祓魔師を目指している癖に震えが止まらなくて」 「無理しなくていいよ」
凄惨な現場をこれ以上名前の目に触れさせぬようドアを閉めると、その小さな身体を抱き締めた。 少し驚いたようでビクリと大きく震えたが、逆ニそれ一回だけで小刻みな震えは収まったようだ。 それにしても学生時代から更に身長が伸びたせいかこんなに小さかっただろうか。
(だがこれで僕がこの時代に来た目的は達成された、のか)
最終的に名前の力を借りたものの、当初の目的―――兄を襲撃者から守るのは達成された。 きっとこのことはあの道化の上司も気づいていて、見逃しているに違いない。 ならば今後兄がこういった類いの生命の危険に晒される可能性はかなり低くなったと考えられるだろう。 それならあと残されたことは。
(この世界の異物たる僕があるべき場所へと戻ることか……)
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