∵ ただ一つ守りたいもの

 

「燐が、死ぬ……?」
「そうだよ」

聞かされた内容がにわかに信じがたいことで、背中に回された手をほどくことすら忘れて更に目を見開いた。
実の双子の兄が死ぬというのに雪男の表情は穏やかだった。

「正確には殺される。半年後の祓魔師認定試験に合格したら兄さんを処刑しないというグリゴリの判決を不服に思った過激な連中に」

もし仮に燐が試験に合格して祓魔師になるなんてことを考えただけで恐ろしかったのだろう。
かつて青の夜と呼ばれたサタンによる虐殺事件、その青い炎を継ぐだけでも脅威だというのに祓魔師としての力や知恵までつけてしまったらと。
燐をよく知る人間はけして彼が人間を裏切ることなどないと知っているが、彼等は違う。
殺される前に殺してしまえ、憎き青焔魔の落胤を。

「僕は仕組まれたようにその夜任務が入っていたよ、そして名前さんからの電話で兄さんが死んだことを知った」

最初は何を言っているのか理解出来なかった、否理解したくなかった。
受話器越しの名前の声が今まで聞いたことがないくらいに震えていたことを覚えている。
彼女自身最初に発見したクロが呼びに行って第一発見者となった。
名前の泣き顔を見たのは多分これが始めただった。

「あろうことか騎士団上層部は犯人が過激派であることを隠蔽し、兄さんはその力を狙われて悪魔に殺されたと発表した。そしてまだ若くて愚かだった僕はそれを鵜呑みにした」

なんて馬鹿で力のない子供だったんだろう、天才と言われ兄を守ると息巻いていた自分が酷く滑稽に思えた。

「僕が真実を知ったのは八年後。フェレス卿が親切にも教えてくれたんだ」

多分フェレス卿も正十字騎士団に愛想をつかしたから置き土産で教えてくれたんだろうね、飽きたというのかもしれないけどと言う雪男の表情は酷く穏やかだがそこにはドス黒い狂気のようなものが見え隠れしていた。

「その時の衝撃ったら無いよね、思わず悪魔落ちしてしまったくらいだもの。さて名前、僕のこと理解してくれた?」
「………っ」

再び髪を撫でるのにビクリと反応すると、クスリと小さく笑った。

「少なくとも未来の君は理解してくれたよ、だって僕が過去に来られるようにタイムマシンを作ってくれたくらいだから」

悪魔落ちして正十字騎士団から追われる立場になった僕を匿ってくれたしね。
そしてそこで僕達は漸く想いを通じ合った。
雪男の口から紡がれた言葉に名前は信じられないと瞠目した。

「え……?」
「こんなタイミングで言うのはどうかと思うけど、僕はずっと貴女のことが好きだった。そして貴女もずっと僕を好きだった」

断定して言うそれは確かに真実だった。
しかし雪男はてっきりしえみのことが好きなのだと思っていた。
そんな名前の気持ちすらお見通しのように「しえみさんは大切な友人だよ」と言う。

「だから貴女はこの時代の、兄を失わず悪魔へと身を堕とさず幸せに過ごす僕と幸せになればいい。だって僕の名前さんは」

―――僕をここに送るために死んだから。

「私が、死んだ?」
「単純な理由だよ、悪魔落ちした僕を匿ったことによる騎士団に対する反逆罪。そして人間である貴女はタイムマシンに乗れなかった」

まだ完成な完成とは言えなかったタイムマシンは、人間が乗れるような代物ではなかった。
悪魔だからこそ何とか乗れたのだ。

「何度も悪魔落ちを勧めたよ。けど貴女はけして頷かなかった」

雪男が悪魔となったからこそ、絶対にその一線だけは越えるわけにはいかないと言っていた。

「タイムトラベルする直前、今にもこの時代に転送される最後に見たあの時代での情景は君が騎士団からの追っ手に殺されるシーンだった」

撃たれて、瀕死の状態になりながらも血塗れの手でタイムマシンの起動ボタンたるエンターキーを押しながら名前は笑って言った。
未来を変えて、と。
誰も泣かない、傷つかない、血を流さない未来を作ってくれと。

「だから今僕はここにいるんだ」

髪に伸びていた手が頬を撫でた。

「安心して、君は何もしなくていい。全て僕がケリをつけるから。この時代の僕と、兄さんと幸せになってくれればいい」
「ゆき、お……」
「だからクロも、黙っていてくれるかな」

雪男が名前を呼んだと同時に燐のベッドの中がガサリと揺れて、燐の使い魔となっている猫又のクロがニャーと鳴きながら姿を現した。
悪魔となった雪男はクロの言葉を理解出来るようになったのか、「僕は兄さんを守りにきただけだから、でも心配かけたくないから黙っててね」とクロに言っている。
今の私達の会話が十分に理解出来ていなかったらしいクロは、雪男の説明で納得したのかニャー!とまるで「わかったぞ!」と言っているかのように鳴いた。
そして私の方に向き直る。

「明日の晩、申し訳ないけど女子寮の名前さんの部屋に兄さんを連れていってもらえるかな。晩ご飯に睡眠薬を仕込んでおくから朝まで兄さんは起きない筈だから、黒に連れていってもらって。奴等には囮を用意して誘き寄せるよ」
「雪男、私も……」
「駄目だ」

雪男だけ一人で戦わせるなんて嫌だ、自分も一緒に戦うと言おうとすれば即却下された。

「僕にとっては雑魚でも、まだ祓魔師にすらなっていない貴女は足手まといになるだけだ」
「…………」

正論であるが故に何も言い返せず唇を噛み締める。

「僕一人が戦うことを気に病む必要はない、僕はもう人間じゃない悪魔なのだから」



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