兇刃


両親が兄に殺された夜、私は恐怖故に逃げ出した。
生き延びるためには最善の行動だったかもしれない、けれど大好きな人の亡骸を前に逃げ出した。
だからもう二度と同じ過ちを犯すわけにはいかない、そう思い目の前の悪魔の少年に「逃げろ」と言ったが彼は断固として拒否した。
その上とんでもないことを言い出した―――俺の血を飲め、と。
確かに私達二人が生き残るためには私が悪魔である燐の血を飲めばかなり回復する、最善の策だろう。
だがあまりにリスクが高すぎる。

「途中でやめられる自信がない……」

今ある程度の体力気力を回復させるのに十分な量を飲ませてもらってやめる、それが出来なければ燐の全てを吸い尽くして殺すことになる。
それが恐ろしい。

「大丈夫だって、理緒なら」
「どこから出てくるのよ、その自信」
「雪男にもよく言われる、"兄さんって無駄に自信ばっかり溢れてるよね"って」

雪男君なら言いそうだな、とクスリと笑ってしまった。

「それに、理緒になら俺殺されてもいいから」
「……お願いだから冗談でもそういうこと言わないで」

燐に後ろを向いてもらい、制服と髪の毛の間に見えるうなじに指を這わす。
健康な男子にしては白いその肌、もしかしたら燐は悪魔の落胤というだけでなく外国人の血も引いているのかもしれない。
兄弟揃って日本人には少し浮いたような端正な顔立ちであるのも頷ける。
首筋に掛かる髪を指で退けて、そこに口元を近づける。
最初から感じていた上級悪魔の甘い香りにごくりと喉が鳴るのがわかった。
鋭い犬歯を突き立てれば、驚くようにほんの僅かだが燐の身体がビクリと震えた。

「………っ」

口内に広がるまるで砂糖菓子のような甘美な味に、体内から力が溢れ出すような錯覚に陥る。
いつまでもこうして啜っていたいという欲望をどうにか抑え込み、首筋から口を離す。

「理緒、大丈夫か?」
「ハァ、ハァ……っ」

心配そうに青い瞳が見つめる。
動機が収まらず胸元を押さえて地面に蹲った。
なんなんだ、この得体のしれない感覚は。
身体の奥に眠る強大な力が溢れ出てくるような、自分が自分でなくなるようで怖い。

「あーあ、俺が飲もうと思ってたのに先越されちまったか」

声がしてそちらを振り向けば、ヒズミが何人もの吸血鬼(元人間)を引き連れて立っていた。
そして少し広めの廊下を囲まれる。

「くっそ……!」

燐は内心舌打ちをした、絶体絶命だと。
理緒を守りつつどうにかこの場を切り抜けようと倶利伽羅に手をかけたところで、その手を諌めるように理緒の手が添えられた。

「理緒……?」

どうしたのかと振り向こうとした時には既にその姿は自分の前に立っていた。
同時に息を飲む、その長い黒髪が別の色、見事なまでの銀色に変わっていたのだ。
その変化にはヒズミも驚いたように目を見開き、「まさか」と呟いた。
何がまさかなのだろうかと燐は首を傾げる。

「母親の能力を受け継いでいたのか……純血の俺でなく、半分人間のお前が」

何を、と問おうとして眼前で起こった出来事に驚愕した。
囲んでいた吸血鬼達がヒズミを残して一人残らず崩れ去ったのだ。
そこにいた吸血鬼が皆一様に灰と化す様子に呆然としていると、燐に対して背を向けていた理緒が振り向いた。

「赤……」

まるで血の如く赤い瞳が煌めくのに目が奪われた。
対して理緒の表情は芳しくない。
燐がメフィストから与えられた銀の刃を抜くと、真っ直ぐ己の兄へと向けた。





古き鬼の血を引く母親の家系には、純血の吸血鬼にも稀な魔眼と呼ばれた能力を有していた。
魅了よりも更に上位の、己より下等な吸血鬼を服従させ生死の権利すらも握ることが出来る。
魔眼に一睨みされた吸血鬼は、等しく灰に還るという。
その効果は下級であるであるほど大きく、純血の吸血鬼には効果はないがその場を戦慄させるには十分すぎるほどであった。
金属同士のぶつかり合う音が響き渡る。
燐は離れた場所で兄妹の戦いの行方を見守ることしか出来なかった。
理緒に血を吸われた部分はもう傷自体は治っていたものの、まるでそこが心臓になってしまったかのようにドクンドクンと高鳴っていた。

「俺に出来ることなんて何もねーのか……」

笹木の時もそうだった、自分は蚊帳の外で彼女が戦う様子を見ていることしか出来なかった。
いくら相性最悪でも、大切な人を守れなくて何が聖騎士になるだと唇を噛み締める。
現在ヒズミと理緒の力は拮抗していた、数時間前には圧倒的な力の差がそこには立ちはだかっていたというのに。
それほど燐の血が彼女に対して有用なものとなったということだ。

「どうして、肉親同士で戦わなきゃならねーんだよ」

それまで燐の中で恐ろしい吸血鬼のイメージだったが、理緒も同じ土俵の上に立って改めて認識した、二人は確かに兄妹だ。
以前、まだ燐が祓魔塾に入学した初日に雪男が放った言葉を思い出す。

―――死んでくれ。

今になれば燐が祓魔師を目指す覚悟を問うものであったと思うことが出来たが、言われた時は正直ショック以外の何者でもなかった。
前日に義父の墓前でメフィスト・フェレスに三つの選択肢を提示されたとき、ああ自分はこの世界では疎まれる存在なのだと改めてわかったが弟に言われたのはかなり堪えた。
どうして肉親同士が殺し合わなくてはならないのだろう、生きる方向が違っても血の繋がりとは何にも代えがたきものだと燐は思っていた。
この世には血の繋がりよりも強いものはある、例えば自分の子でもなんでもない魔神の子を育て慈しんだ藤本獅郎がその代表例だ。
だが燐にとって雪男は誰にも代えがたき大切な片割れで、前に"俺は弟とは戦わない"と公言したように何があっても雪男に刃を向けることはないだろう。
だが目の前で繰り広げられている光景はまるで自分と雪男が武器を向け合っているような錯覚に陥らせた。

ヒズミの爪による一閃が左腕を掠めるも、顔色一つ変えず刀を振るう。
燐の血によって吸血鬼の血が覚醒した、今の状態は倶利伽羅を抜いて完全に悪魔として覚醒した燐のようであった。
夏合宿でアマイモンに襲撃され、傷ついた仲間を助けるために倶利伽羅を抜き我を忘れてまるで獣のようになったときのことを思い出して寒気がする。
得体のしれない力に支配されて、わけがわからなくなる。
燐の存在すら忘れたかのように目の前の敵、兄を殺すために刀を振る銀髪の彼女が、知っている理緒とは思えなくて燐の表情が悲痛な色に染まる。

「理緒……!」

確かに理緒の兄貴は理緒を殺そうとした。
けれどこのまま戦い続けては理緒は理緒でなくなってしまう。
その瞬間無意識に燐の身体は動き始めていた。
地面に広がる多量の灰を踏み、火花を激しく散らす二人へ近づく。

頼むから、元の理緒に戻ってくれ―――!

「………燐?」

理緒の細い背中に止めるように抱きつくと、驚いたようにその動きが止まる。
その隙を相手は見逃さなかった。

「殺し合いの最中に動きをとめるとは、大した自信だな!」

鋭い爪がまっすぐ理緒へと向かう瞬間、絶対障壁とともに突然ある人物が間にいた。



「―――折角の感動のシーンを邪魔するのは野暮ですよ、ヒズミ・アンダーブレード」

正十字学園理事長にして、正十字騎士團名誉騎士、メフィスト・フェレスがそこに悠然と佇んでいた。





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