狂鬼


※流血表現注意




「ほら、ここ因数分解して」
「いんすーぶんかい?」
「……やっぱりこいつ、救いようのない馬鹿だわ」

いい加減にしてくれと出雲が溜息をつくのを周りの誰もが同情した。
メフィスト発案の旧男子寮での合宿が開始してから早一週間が経過した。
最初はいつ敵がやってくるのかと緊張感が漂っていたが、数日経っても音沙汰無し。
ちょうど二週間後に定期考査を控えていることもあり、雪男が赤点常連者の燐と志摩の勉強を見てやろうと言い出して結局皆で勉強会になっている。
基本的に祓魔の方と高等部の両方を行うが、しえみのように高等部には通っていない者は祓魔だけ、燐や志摩のように差し迫っている者は高校の方に比重を高くしている。
今日は世間一般には休日で朝から代わる代わる赤点二人組の勉強を教えていく勝呂や出雲、子猫丸(燐については任務で不在になる雪男に頼まれた)は教えられている方よりもげっそりしている。

「まさか奥村君がここまで出来へんとは思いませんでしたわ……志摩さんより底辺がいてはったなんて」
「子猫さん、俺のことそないに思ってたんですか」

志摩もお世辞にもまともな成績とは言い難い、如何せん燐の存在のお陰か霞んでいるが前回のテストの点数を言えば出雲の顔色が蒼白になった。

「それよりも、理緒はどうなんだよ!学校の方だと」

突然の燐の振りに皆の視線が一緒にシャーペンを握り机に向かっていた理緒へと向かう。
燐や志摩のように差し迫っているわけでもなく、勝呂や子猫丸、出雲のように彼等に付きっきりで何度も勉強を教えているわけでもないので適度に休息をとり、差し入れの食事を作りに厨房へ行くしえみについて行きさりげなくフォロー(料理が苦手な彼女には野菜を切るという任しか与えず、あとは厨房にいる使い魔に任せるように)している。

「私は取り敢えず毎回ぴったり平均点取ってるから」
「いやいや平均なんて変わるもんやし、そないに簡単に……」

志摩の言葉を遮り、ファイルから取り出したいつかの模擬試験の成績表を見せる。
そこには本人が取った点数の横には平均点が記載されていて。

「本当に平均点どんぴしゃですやん」
「まあテスト見れば大体レベルわかるし、それに合わせて点数取るようにしてるのよ」

寧ろそれってかなり頭良いんじゃ……と思った塾生一同を尻目に、そろそろ夕飯の時間だと立ち上がる。
昼間はフツマヤの店番をしているしえみがやって来る時間だ。
本人は料理が人に食べさせてはいけないレベルだとわかっていないので厨房に立ちたがる、かといって君は下手だからと言ってしまうのも憚られた。
特に何もせずに座っている宝の前を通りすぎ、歩き出そうとしたところで妙な感覚が理緒を襲う。

「………?」
「どうかしたのか?」

不審に思った燐が声をかけるも表情は険しい。
長らく感じていなかったが懐かしい感覚、これは。

「吸血、鬼……!」
「!!」

その場にいた誰もが目を見開く、と同時に厨房の方から「きゃあ!」と悲鳴が聞こえてくる、しえみのものだ。
どうしてもっと早く気づかなかったのか、行動しなかったのかと舌打ちしたくなる。
とにかく一刻も早くと刀を手に取り厨房へ走る、自分が狙われているなんて関係ない。
メフィストが言い出したこととはいえ、関係のない彼等を巻き込んでしまうことが恐ろしかった。
塾生達が後ろからついてきてるのを感じて追い返したいがそんな時間も惜しく、全速力で厨房へと駆け込む。

「しえみちゃん!」
「理緒、さん……!」

来ちゃダメ、と言うしえみの前には木のバリケードが張られており、彼女の緑男の幼生が守るために生み出したのだと一目でわかる。

「しえみちゃん、そこから一刻も早く離れて!」

理緒の切羽詰まった声に動き出そうとした瞬間、張られていたバリケードが一瞬で真一文字に切り開かれる。
鋭い爪が照明に反射した瞬間の理緒の行動は早かった。
持っていた刀を先程までしえみがいた場所へ投げつける。
ドスッと刀が壁に突き立てられる音がして、侵入者の動きも止まった。

「オイオイ、久方ぶりの再会だっていうのに随分な挨拶だな」
「……っ」

投げつけた刀は侵入者の頬に小さな傷を与えたらしく、赤い線が出来ている。
髪も服装も黒いがただ瞳だけは燃えるように赤い。
理緒に似ている?と燐は思った。
それよりも侵入者の男の口振りでは理緒と面識があるようだった。
そんな塾生達の心情を理解してか男は口を開く。

「妹なら"会いたかったわお兄ちゃん"くらい言えっつーの」
「あ、兄貴?」
「父親は違うけどね」

理緒は吐き捨てるように言った。
各地で吸血鬼を殺し回っているという人が彼女の兄と聞いて勿論戸惑う塾生達、無理もない。

「理緒の兄貴がどうして……」
「どうして?吸血鬼としての誇りを捨てて祓魔師の僕に成り下がった妹の不出来を尻拭いに来てやったんだよ」
「……私がどう生きるかは自分で決める、貴方に指図される覚えはないわ」
「そりゃ残念」

残念とは微塵も思っていない癖に、と口には出さず毒づきつつ塾生達に危害が及ばぬよう前に立ちはだかる。
あの男はもう何人も同胞を殺しているのだと、そもそも彼女を守るために自分達がここに寝泊まりしていたのだと思い出し「危ないから下がってください」と言うが聞いてくれない。
そんな様子を見て男は笑った。

「お前、まさかそれでそこの餓鬼共を守っている気になっているんじゃねーだろうな」
「な……っ!」

気づいた時にはもう遅い。
一瞬、まさに目にも止まらぬ速さで後ろに回り込むと燐の首筋にピタリと鋭い爪を突きつける。

「燐!」
「っ奥村……!」

爪が僅かに皮膚を抉り、赤い鮮血が首を伝う。

「へえ、祓魔師見習いの子供しかいないと思ってたらとんでもない掘り出し物じゃんか」
「今すぐ燐から手を離して」
「まさかお前、こんなご馳走を目の前に俺が見逃すとも?」
「離しやがれ……!」

身を捩って抜け出そうとするが、燐が動こうとすればするほど爪が食い込み本気で殺されるのではないかと本能的な恐怖が襲う。
こんな化け物相手に八方塞がりだ。
圧倒的な力の差を思い知らされて唇を噛み締める。

「そうだな、理緒お前が俺についてくるなら特別にこの悪魔見逃してやってもいいぜ」

何を思ったのか突然の吸血鬼の申し出に理緒は目を細める。

「……何のつもり」
「元々ここに来た目的はお前だ、この悪魔は偶然見つけたから見なかったことにしてやってもいいって言ってんだよ」

信用出来るか否かと問われれば、勿論答えは後者だ。
この男という存在を知っているからこそ、何を考えているのかわからない。
それでも実力では到底及ばないことを知っていたから気まぐれのような申し出にすがるしかない。

「わかった、貴方についていくから燐を離して」
「理緒、お前何言って……!」
「燐、ごめん」

ゆっくりと吸血鬼と燐に歩み寄る理緒。
何言ってんだ馬鹿止めろ、と言う燐の言葉を無視してその前に立つ。
男がニヤリと笑った瞬間、理緒の手が動いた。
袖口から小瓶を取り出すと蓋を開けて中身を燐の首筋へかける。
ジュワッと焼けるような音がして同時に痛みが首に走るのを感じながらも、同様に手に痛みを感じ一瞬止まった吸血鬼から逃れようとする。

「痛ぇな……なんて言うと思ったかバーカ」
「燐っ!」

しえみが叫んだ。
いつの間に吸血鬼の手には理緒が投げた刀が握られていて。
その刀に吸血鬼の血が伝っているのを見て理緒の顔色が変わる。
刃が自分に降り下ろされようとしているのがわかって燐は襲いかかるだろう痛みを覚悟して、目を閉じる。
……しかし、いつまで経っても予想した痛みはやって来ない。
恐る恐る目を開いた燐の頬にポタリ、と温かい血液が一滴落ちた。

「理緒……?」

燐と吸血鬼の間に理緒が立ち、刃を己の腹で受け止めていた。

「まさかそこまでするとはな……たかが悪魔一匹に」

吸血鬼も一瞬驚いたように目を見開いたがすぐに苦々しげな顔に変わった。
刀が抜かれて支えを失った身体は前のめりに倒れる。
吸血鬼に抱き抱えられるような格好になった理緒の腹からは血が止まらず流れていて、床に血溜まりを作る。
元々白い顔色が更に蒼白になっていくように見えて、燐はサァと血の気が引いていくような音がした。

「吸血鬼の生命力ではこの程度の傷では死なない、たとえ混ざり者だろうがな。おいそこの悪魔」
「なん、だよ……っ」
「これをやる」

そう言って吸血鬼は銀色に光る小さなものを投げて寄越した。
地面に落ちたそれは古めかしい鍵だ。

「こいつを返して欲しければお前一人で来ることだ。三日こいつは殺さないでおいてやるよ」
「てめえ……!」
「自分の命が惜しけりゃ来ないことだ、俺としては上手い餌が手に入って一石二鳥なんだがな」
「……っ」

今すぐにでも飛びかかって行ってやりたいのに、身体が言うことを聞かない。
絶対的な実力の差がそこにそびえ立っていた。
ただ指を加えて連れていかれるのを見ているしかなかったのだ。








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