闇夜




俺は一体何をしたいのだろう、燐は思った。
理緒のことが頭から離れないのにそれと同時に彼女に恐怖心を感じてしまう、その一方で悪魔の血を喰らう姿を美しいと感じた。
あの後一緒に鍵を使って正十字学園に戻る途中も会話は一切なく、ただ気まずい時間だけが流れていった。
情けないことにまともに彼女の顔を見ることすらも出来なかったのだ。

「兄さん、手が止まってる」
「……今考えてたとこだよ」

嘘だ、塾に加えて高校の方の宿題も処理しなくてはならないのに上の空だった。
そんな燐に雪男はこれみよがしに溜息をつく。
こうなることは分かりきっていた、それでも尚燐の師であるシュラは強行し理緒自身も許容した。
その選択は間違いではない、知るなら早い方がいい、兄が抱いているものは虚構にも近しいのだと。
だが一方で雪男は期待をしていた、兄なら彼女の憂いを晴らし彼女なら兄の孤独を癒せるのではないかと。
精一杯虚勢を張って平気な振りをしているが、兄を拒絶する周りのその一言一言に傷ついていることを知っていた。
何が義父の代わりに兄を守るだ、義父の墓前で誓った約束を全く果たせていない自分に嫌気が差す。
けれど彼女は最初から兄の正体――魔神の子であることを本能的に知っていた、そして彼女の生い立ち故に兄が青い炎を受け継いでいると知っても軽蔑も恐怖もしないと確信していた。

「俺、馬鹿だよな……アイツのこと何もわかってなかった」
「本当に馬鹿だよ兄さんは」
「………」
「兄さんの気持ちってそんなものだったんだ、それならとんだ腰抜けだね」

俯いていた顔がパッと上がった。

「雪男、お前……」
「理緒さんのこと、好きなんじゃないの?」

ただの傷の嘗め合いだと人は笑うかもしれない。
人に許容されない者同士が傷を嘗め合って互いの存在を肯定しているのだと。
だからこそ雪男は思った、それならそれでいいじゃないか大事な人がそれで救われるならいいじゃないか。

「いつまでもそんな風にうじうじしてる兄さんを見てると気持ち悪いんだ、だからさっさと」
(―――行ってこい)

最後まで言い終わらないうちに、扉の閉まる音が部屋に響いた。




「何しに来たの?」

彼女がどこにいるかわからない、ただ感覚に任せて辿り着いたのは初めて出会った燐のお気に入りの木の下だった。
外は既に暗く生徒が出歩く姿はない、寮の門限をとうに過ぎているので当然だ。
そこに理緒は立っていた、最初と違うのは眠っておらず燐から背を向けるようにいることか。
燐の気配に気づいたのか、振り返ることなく淡々と理緒は告げた、それは間違いなく拒絶の言葉だ。

「お前に、会いに来た」
「わざわざ食料が食べられに来たってわけ?」
「違う!」
「……何が違うって言うの、最上級の悪魔である君の血肉は私にとってご馳走以外の何者でもない」

そう言って振り返った理緒の瞳は燐と真逆の鮮やかな赤が輝いていた。
そしてその瞳の奥には確かな悲しみの色が見え隠れしていた。

「理緒、俺はお前のことが――」
「燐、君が今私に抱いている気持ちはただの幻想よ、吸血鬼に魅了されただけの憐れな悪魔」
「幻想なんかじゃねー!」

どうしてそんなに頑ななのだろう、何が彼女にそう思わせるのか。

「じゃあ聞くけど、燐は私のどこが好きだって言うの?」

言えるものなら言ってみろとばかりに燐を睨む理緒。
対して燐は迷うことなく言い放った。

「んなもん知るか!」
「……はあ?」
「最初に会った時から理緒のことが頭から離れなくて、志摩と話してるとこ見てたら無性に腹が立って……気づいたら好きになってたんだよ!」

悪びれることなく言い切る燐に理緒は呆れると共に、やっぱりと落胆した。
それは典型的な魅了に当てられた人間や悪魔と同じではないか。
自分勝手に好きになって近づいて勝手に嫉妬してやがて憎しみになって、結局最後に言うのは「吸血鬼にたぶらかされた」
それなら最初から近づかなければいい。
自分が誰から本当の意味で愛されることなんてない、なら期待するだけ無駄だ。

「違う、恋ってそんなもんだろ」

明確に好きなところを事細かに言える人なんてごく僅かだ、でもどうしようもなく惹き付けられる。
人間も悪魔も、吸血鬼も関係ない、奥村燐は黒澤理緒という存在に恋をしたのだと。

「何それ、彼女いない歴イコール年齢の燐に恋とか語られたくないんですけど」
「う、うるせー!」
「でも、ありがとう」

それでも理緒は笑っていた、クスクスと若干馬鹿にされたような気もしたがそれはまあこの際いいかと思う。
確かに理緒な言う通り燐は悪魔で理緒は吸血鬼で、悪魔から見ると言うなれば天敵の間柄だと言える。
ただ単に燐が魔神の子でありながら祓魔師になるなんて言い出して、理緒が孤高なる血に誇りを持つ吸血鬼でありながら正十字騎士團に傅いた異端同士だからこそこの出会いは有り得たのだ。

「本当に馬鹿だなあ燐は。私みたいなのじゃなくて周りにもっと可愛い子がいるじゃない、しえみちゃんとか」
「しえみは友達だっつーの。ていうか雪男も理緒も、人のこと馬鹿馬鹿連呼すんな!」
(あ、雪男君にも言われたんだ)

自分でもわかっていてもやっぱり人に言われると腹が立つものだ。
すっかり日が落ちた空を見上げると、星が煌めいている。
なんとなく暗いような気がしていたら、今日は新月の夜なのだ。
正十字学園町は東京都の郊外に位置しているが、ビルが建ち並び夜にはネオンが光る都心部とは比べ物にならないくらい閑静だ。

「ねえ知ってる?オリオンは生前さそりに刺されて死んだから、蠍座が空に出てくると恐ろしくてオリオン座は隠れちゃうんだって」
「へー、そうなのか」

中学の時確か課外授業でプラネタリウムを見に行くとかあったが、周りから疎まれ授業も真面目に出ていなかった燐が行く筈もない。
当然星座に関する神話も知る筈がない、というよりも今は冬でないので夜空を見上げてもオリオン座などないのだが。

「でも俺がオリオンだとしても蠍と同じ空にいてーな」
「何で?」
「殺されたとしても蠍のことが好きだから」
「無理矢理自分の話に繋げない」

だが燐の例えは当たらずしも遠からずと言える。
実際蠍に刺し殺されるまで傲慢にも地上に己に勝てる者などいないと思っていたオリオン。
小さい頃から力だけは異様に強くて、弱虫の弟を守るんだと息巻いていたのにいつの間にか弟は強くなっていて。
少しだけ寂しいと思っていたのも事実。

「もしどうしても俺の血が飲みたくなったら、飲んでいいから」
「……飲まないよ」

一度その味を知ったら止まらなくなりそうで、命を全て吸い尽くすまで貪ってしまいそうで怖い。
甘美な香りに支配されて自我を無くしてしまいそうで恐ろしい。
今も、闇夜に光る青い瞳の中央にある赤い瞳孔に心臓がドクンと高鳴ってしまうから。









「ここが極東の小さな島国か」

移動の日を月の出ない夜に選んでいて良かった、と男は思った。
何故なら――血に塗れた姿が目立たないから。

「ったく、中級程度の悪魔の血は不味いなオイ」

口の端に付着する血を袖で拭う、ああこの服も着替えないと駄目だなと息をついた。
平和ボケした小さな島だと思っていたが、どうやら悪魔のレベルまで低いようだ。
仮にもつい最近までこの国の出身者が祓魔師の最高位、聖騎士だったとは到底思えない。

「アイツも馬鹿な奴だ、祓魔師に傅くこともないだろうに」

高貴なる血を辱しめる、人間の下につくなどとんでもない。

「まあいい、仕置きをするのは久しぶりの兄妹の再会の後のお楽しみだ」








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