▼悪夢とベッリーナ

――もし記憶が消せる薬があったとして、貴方はどうします?
それを貴方が愛する美しい彼女に飲ませますか?
飲ませて貴方だけを見つめるようにする事は貴方にはとても容易い事でしょう?
そうしたらもう彼女は永遠に貴方だけのもの……もう何処へも行きやしないし貴方以外のものは見ない。貴方の元から離れて別の男の元へ行ったりもしない。
ね、とても良い契約だとは思いませんか?

咥えた煙草に火をつけようとポケットの中のライターを探る指先が掴んだのは見覚えの無い小瓶だった。
プロシュートは青い液体の入った小瓶を見つめながら、どうしてそんなものがポケットに入っていたのかを考える。しかし誰かから受け取った覚えも入れられた記憶もない。
気味が悪い。
得体の知れない液体が爆発物や毒だった場合、己の身を危険に晒す。捨ててしまおうとしたが、どうにも後味が悪い気がしてきてプロシュートは忌々しそうにそれをポケットに戻した。
煙草に火をつけ、紫煙を吐き出す。たなびく煙の向こう側に掴みきれない何かがあったように思えて、いつも喫んでいる煙草が不味い。
コツコツと革靴を鳴らしながら足早に自宅へ向かっていると、角を曲がったところでアデレードと出会した。

「Ciao,プロシュート」

「よォ」

「迎えに来たの?」

「あ?」

「家へ来いって呼び出したでしょう?」

「オレがか?」

「違うの?見せたいものがあるからって……私の返事も聞かずに電話を切ったからしょうがなく来たのよ」

「いや、そういう事なら折角だから来いよ」

プロシュートはアデレードに電話をしていないし自宅にも誘っていない。そもそも自宅に誘ったところでアデレードが素直に来る訳もなく、すっぽかすだろう。誰かがプロシュートのフリをしているのか目の前のアデレードが偽物なのか解らないが、このまま自宅に連れて帰れば何か情報を引き出せるだろう。
プロシュートの自宅に入ったアデレードが不審な行動をする気配はない。未だに飾ってある写真を見て「まだこんなもの飾ってるのね」と呆れた様子で目を逸らした。

「あら、これなぁに?初めて見るわ」

アデレードの声にコーヒーを淹れていたプロシュートは顔を出して、彼女が持っている小瓶にハッとする。
慌ててポケットを探るがやはり先程の小瓶は入っていない。いつの間にか移動している。

「アデレード、それ、」

「ああ。もしかしてこれが見せたかったもの?」

小瓶を光に透かして青い液体が反射するのを見つめるアデレードにプロシュートが近付いてそれを奪うように取った。

「これには触らねぇ方がいい」

「……」

「おい、アデレード?」

「……あなた、どなたですか?私、どうしてこんな所に……?」

「アデレード?」

不遜で美しく、凛とした普段のアデレードからは比べ物にならないほど脆弱さをたたえた表情にプロシュートは見覚えがある。二年前、あの廃墟で初めて会った時のアデレードは今と同じように不安と戸惑いと焦りの表情をしていた。

「オレの事が解らねぇのか?」

「えっと……ごめんなさい。どこかで会いましたか?」

スタンド攻撃なのか、記憶が消されているアデレードを前にして思わず舌打ちしそうになったプロシュートはそれを引っ込めて安心させるように笑う。

「オレはプロシュートだ。お前の……、」

「私の……?」

今ここで、恋人だと言えば二年前と同じように始められるのでは、という考えがフッと浮かんだ。
今度こそアデレードに気付かれずに完璧に仕上げる事が出来る。
他の誰も愛さぬよう、他の誰も求めぬよう、真綿で首を締めるように甘やかに甘やかに傍に置いておく事が出来るだろう。

「お前の恋人だよ、amore mio.」

「恋人……?貴方が?」

「Si.……但し、元・恋人だがな」

プロシュートはアデレードを抱きしめながら、持っていた小瓶を壁に思いっきり投げつけた。
パリン、と割れた小瓶と共にアデレードの身体から力が抜けていく。プロシュートがアデレードの身体を抱き支えたまま、壁を睨み付けた。
薬品が蒸発するような音を立てて消えていく小瓶から微かに声がする。
――惜しい。惜しい。あともうちょっとだったのに。
彼女をもう一度手に入れるチャンスだったのに。
何故、何故です?
それは夢で聞いたあの声だった。

「何故?欲しいものは自分の手で手に入れたいってだけだ。プライドが高いんでね」

――手に入れたのに逃したんでしょう。
どうせまた手に入れたって逃げられる。
プロシュートは素早く銃を引き抜いて、壁に向かって一発撃った。

「それはコイツが完璧だからだ。代金はテメーの命で支払いな」



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