どきどき | ナノ




どきどき
高校生ともなれば、好きな人が出来たり、恋人が出来たりと、男女関係も様々変化してくる。

「しゅうちゃんがいると毎日が楽しいよ!」
「おれも、あやが傍にいるだけて幸せ!」


登校途中の一護の前にも、付き合いたてであろうか人目もはばからずにカップルがいちゃついていた。
さも、お互いが、自分たちが世界で一番であるかのように。
他人にさほど興味がないのだから、どれだけいちゃいちゃされても不快に思うことは無かった。
世間様的には舌打ちなのかもしれないが、ただ、あー、お盛んですね、と思うくらい。
恋するってのはそんなにいいもんなんですか?とか。本当にそれくらい。

幸せそうな男女をぼんやりと見つめた。なりたいわけではないけれど、あんな風に誰かを愛する日がくるのだろうか?
些か疑問ではあったが、否、想像がつかないと一護は首を振って歩み途中に白い吐息を一つ残した。

好きだとか、女の子に対して可愛いだとか。そんな気持ちは、未だかつて沸いたことがない。
客観的に恋している状態は分かる。
恋に溺れる自分が、まるで想像できないでいた。

まさに、恋ってなんですか?オイシイんですか?そうですか。状態だ。

しなければしなくて結構なのだ。が、どんな感情なのだろうかと矢張り思春期であるせいか興味はあった。



「一護、おはよー。」
「……はよ。」
啓吾の無駄に明るい声と怖いくらいの笑顔に素っ気なく顔を逸らして答える。
「ちょっとォ!冷たくないっスか?トモダチなら、抱き合ってハローでしょうが!人類に皆ブラザーでしょうが!」
一護に構ってもらおうと、必死な啓吾に水色はしらーっとした視線を向ける。
朝から暑苦しいと思いつつ、視線は胡桃色の少女へと向かった。

「く、黒崎くん!おはよーございます!」
相変わらず、織姫は緊張しつつ一護の前に立って視線を合わせようと背伸びをして、そして深く頭を下げた。
なんで、いつも井上はこうなんだろう。
不思議だけど、らしくて、楽しくて、仏頂面の一護の表情が和らいで口端が僅かに緩んだ。
「おはようございます。そんな畏まった挨拶すんなよ。」
本人はまるで気付いていないのだが、ここで、初めて一護は笑う。


一日の始まりはこんな感じ。

恋人なんていなくても、恋心が分からなくても、仲間に囲まれて毎日が楽しい、と思う。
ふと、登校途中の恋人同士を思い出して心の中でつっこんでおいた。

授業中、入り込む陽射しが心地よくてふあっと小さな欠伸をした。つまらない授業の中でも一護の視線は無意識に斜め前の織姫へと向かう。
これもほぼ日課。
そうであるからこそ、一護も、自分の行動に疑いを持っていなかった。
胡桃色の髪に陽射しが注いできらきらと輝いている。頬杖ついて、飽くことなく眺めていた。
すると、織姫がかくんっと身体を揺らして肘を机の上から落とした。多分、眠りかけていたのだろう。きょろきょろとあたりをみまわしして、それが終わるとそろりと一護の方へと横顔を向ける。
目が合うと一護は思い切り視線を逸らした。感じが悪かったかもしれないが、視線を向けていたことを気付かれたくなかったのだ。
どうしてだかは、分からないけれど、『見ていた』ということを『知られてはいけない』本能で思った。

それでも、授業中に視線が向かうのは織姫。教壇に立つ教師の声なんて右から入って左から抜けていた。
昼休みも度々織姫と目が合うのだが、また同じように思い切り目を逸らす。向き合っていられなかった。
見えた織姫の表情が悲しそうなのが、心苦しかった。
授業が終わって、何か言いたげに近づいてくる織姫を避けて避けて避け続けて放課後が訪れるとバイトだと言い訳してさっさと家路へと急いだ。
織姫が、明るい声でまた明日!と言ったのも聞こえていたが知らない振りをして教室を出て行った。


思春期の男の子の心は、訳もなく容易いことで荒れやすい。


一日中、巡るのは織姫の事ばかりだった。食事の時も、風呂の時だって。
織姫を思って、零したため息は数えきれなかった。
悔やまれるのは授業中のあの態度。
一護自身も、何故あんな行動を起こしたのかは分からなかった。知らぬ振りして、普段通りに対応していればよかったのに。

「謝るのも、オカシイか……。」
携帯片手にベッドに寝転んで見上げる天井に向かって呟く。こういう時どういう対応をすればいいのかが分からない。
アドレス帳を開いて井上織姫の電話番号と睨めっこ。
嫌な思いをさせているのではないだろうかとか、そんなこと本当は全然なくて織姫はけろっとしているかもしれない。
「あー、もう、なんでこんなに悩んでんだ!」
他人から見れば、別段悩まなくていいような内容でもある。一護にとっては一大事だった。
声を上げると同時に勢い余って通話ボタンを押してしまった。プルルルッと籠った音が聞こえて一護は焦った。いざ電源を消そうと指を動かそうとした瞬間、織姫の声が聞こえた。

「黒崎くんですか?」
やっちまったと片眉を上げて、橙の髪をくしゃくしゃと掻き上げる。受話器越しの織姫の声に心音は静かに速まっていく。
「そうだ。なんか、電話しちまって悪いな。間違って押した。」
「ありゃっ!あはは、間違い電話。そっか、きらなきゃだね。」
「――ッ!井上……、今日はその……、悪かった。」
電話を切る前に言ってしまえと、本能に囁かれてベッドの上で正座すると電話越しの織姫に頭を下げた。
謝罪したことで胸のつっかえはどこかへ行って、すっとした。
「ええっ!なにが?何にもされてないのに……。謝らないで。」
「いや、ほら……、何回も目ェ逸らしただろ。」
「ああっ、あは、あたし……居眠りしかけてたの、やっぱり見られてたんだ。ううっ、やだなぁ。恥ずかしいよ。忘れて!」
何やら受話器越しに鈍い音が聞こえて一護は僅かに、携帯電話を離した。
「えへ、頭うっちゃったよ。って、そんなことはどうでも良くてですねっ。気にしないで!あたしが何かへんなことしたから黒崎くんがお話してくれないかと思ってたの!良かった。ホントに良かったぁ。」
どうでも良くないと慌てた一護だったが、勢いの有る織姫の喋りについていけずに最後まで黙って聞くことにした。
「俺も、良かった。明日は……。」
優しい雰囲気に呑まれて紡ぎかけた言葉に、待てと指令を出す。
「黒崎くん!あのね、明日は、いっぱいお喋りしたいな。」
言いたかったことをさらりと織姫に言われた。
井上ってこんな可愛いこと言うやつだったか?
そもそも可愛いってどういう表現だか分からないけど、多分、こういう時に使うのだろう。

深い意味はないであろうその台詞に一護はきゅんっとなってしまった。
「おう、おやすみ。」
もう少しだけ声を聴いていたかったが、一護の心音は持ちそうになかった。
「おやすみ。怖い夢見ないようにね!」

一護の胸の高鳴りは止みそうにない。受話器越しの会話の後の暖かく後を引く余韻。
不思議と、脳裏に浮かぶの穏やかに笑う織姫の顔。

こみ上げるのは、今まで感じたことのないふわふわした感情。
早く会って、挨拶がしたい。会話を交わしたい。もっと声が聴きたい。もどかしいのだ。

柔らかい胸の締め付けがやけに心地よかった。

毎日、織姫に視線が向かうのは――もしかして。
明日の挨拶は、一味違うような気がした。

恋ってなんですか?








2011/12/08