白旗 ナインの真っ直ぐな瞳が怖い。底知れぬ才能を持っているドクター・アレシアの秘蔵っ子だからとか、そういうことではなくて。 ただ、怖かった。 魔導院の扉をけたたましく開けるナインを振りかえって見た。 「キミも飽きないネ。」 三か月前にナインに告白された。 それは思春期の、年上女性に対する単なる憧れなのだ、もっと色んな女性に触れてみたら、きっと良い人が見つかると穏やかに説いた。 煮え切らないでいるよりも、ナインからの告白は有り難かった。 気持ちがということも有るが、自分への想いを明確に伝えてくれたことで、きっぱりとお断りもしやすかった。 いち教官として懐いてくれるのは非常に嬉しい。しかし、朱雀院の教官が、異様な期待をされている零組の生徒に恋愛感情を抱かれは困る。 保身を取るのかと言われても、否めない。朱雀を背負う少年に、無駄な感情など持ち合わせてほしくなかった。 そして、もう一つ。 この年頃の少年は、年上の女性にときめくことが多い。それは、決して愛などではなくて、一時の気の迷い。心理学などはあまり興味はなかったが胸を張って言える。 10代の少年に、好きだなんてストレートに告白されて心揺さぶられるほど青臭くもなかった。 笑顔の割に嫌な女だ。 エミナは、自分の乾いた心に向かって、少年の優しくて未だ幼い感情に笑った。 「振られても、飽きらめねぇっていっただろ、コラァ!」 ナインはめげることなく、毎日授業が終わるとエミナの元に通っていた。 青すぎる想いに、困ったように眉を下げて、決まって笑みを浮かべる。 きっぱりはっきり断っても、尚、思い続けてくれる少年が眩しかったし、物珍しかった。 若さ故に、情熱的。けれども、きっと、もうそろそろ冷める筈だ。 早々に、彼女でも作って、その情熱をそちらに向けれくれればいいのに。 楽になりたい。この感情から。 「聞いてんのか?」 「聞いてるよー。でもね、いい加減にしないと怒っちゃうゾ。」 鋭いナインの視線が、怖い。 全身を貫く感覚の意味も理解できないし、何より理解しようとしなかった。視線を逸らして、魔法書を手に取って意味もなくぱらぱらと捲る。 「怒ってみろよ。もっと、嫌がれよ。せんせー、出来ねぇだろ!」 思わぬ反撃にぱたりと本を閉じる。大人気ない分かっていても、笑顔が引き攣ってしまうのを感じた。 どうしよう、いつものように笑顔を作れない。視線を地に落として、口角に触れていると影が近づくのを感じて振り返った。 そこには、ナインがいた。 矢張り、瞳が怖い。 逸らそうと思っても容易にできない。近づくナインから身の危険を感じて離れようと一歩後退するが、間に合わなかった。 「―――ッ!な、やっ、やめ……。」 腰に手を回されて抱き寄せられたかと思うと、唇が塞がれた。どんどんっと胸板を叩いて抵抗するが、全く意味のない行動だった。 生暖かい舌が絡み付いて息苦しい。 「ふっ…は、も…やめっな、さい!」 唇が離れて、目いっぱい空気を吸い込んだ。漸く終わったかと思えば、また荒々しく唇を奪われる。ほんの数分の出来事の筈が、酷く長い時間に感じられた。 「はァ……。」 不覚にも、くらりとしそうだった。 「もっと、俺と向き合え。嫌なら、そんな風に笑うんじゃねぇ。エミナせんせー、俺の目ェみたことねぇだろ。」 緩く顎を掴まれて、逃げるのも簡単だったがエミナには出来なかった。気の強いナインの瞳が、悲しげに曇る。 エミナは、ナインに捕らわれていた。 「なんか言えよ、コラァ!」 「キミの目が怖い。」 堕ちてしまっては、抜け出せないことなど分かっていた。 好きになるのが怖かったのだ。心を奪われしまうということがどこかで分かっていた。だから、真っ直ぐな視線から、何かと理由をつけて逃げていた。 「お願い、ワタシじゃないひとを好きになって。」 張り付いた笑顔は崩れて、か細い声で呟いたのはお断りの言葉などではなくて、懇願だった。 エミナにとって怖いのは、ナインの瞳でなかった。 魅入られて、ナインの手中に堕ちてしまうことだった。 目を見られなかったのは、無意識のうちに、好きにならないでいようと思っていたからなのかもしれない。 怖いのは、自分の気持ちに素直になることだった。 興味本位でモノにして飽きたら、ワタシのことを捨てるんでしょう?そんなの、いやよ。 「そんなの、無理だ。コラァ!俺は、エミナせんせが好きだ。」 二度目の偽りない告白に、そっと目を伏せた。 無意識のうちに掲げたのは白旗だった。 - - - - - - - - - - 2011/12/02 |