Trap×Trap@ 漆黒の長い髪を下すと、湯上りに甘い桃の香を漂わせて、ガウンの下の肌に纏うのはホワイトシフォンのセクシーなランジェリー。 『宿題を手伝いに行くだけ』という名目なのだが、格好には若干気合が入っていた。 なんせ、好きな人のもとにいくのだから。 胸元が開いていつも以上に艶やか。肌寒さを感じて、部屋を出る前に薄いガウンを羽織った。 「入るわよ。」 すうと軽い深呼吸、数回のノックの後に聞こえた低い声音にどきりと心音を高鳴らせる。 「はい、どーぞ。」 ベッドから降りて、ドアノブに手をかけた。胸元からすらりと伸びた脚まで舐めるように眺めるが、何も言わずに部屋へと招き入れた。 「すーがく。手伝ってくれ。」 ベッドを背もたれにして、数学の教科書をテーブルに置いた。 「いいけど、得意なのに…。珍しいわね。」 自分よりもずっとずっと得意なのに、不思議だったが気が変わらぬうちにとテーブル越しに向き合った。 「?たった、一問だけなの。こんなの、ジュリーならすぐに解けるじゃない。」 「そうだな、簡単すぎてすげぇ退屈なくらい。」 器用にくるくるとシャーペンを回して、数式に視線を這わす。 「それなら、私が教えなくてもいいじゃない。」 身を乗り出して、ジュリーが解答する様子を眺める。普段のへらへらした表情とは違い、真剣に向き合う表情が、アーデルハイトは好きだった。 「終わった!」 もう少しだけ眺めていたかったが呆気なく終わってしまって、何だか拍子抜けしてしまった。 ふわりと甘い桃の香が鼻腔を擽れば、自分だけがジュリーを求めているようで少し寂しくなって裾を掴んだ。 意中の相手はといえば背伸びをしてそのままテーブルに突っ伏して、アーデルハイトを見上げて心を探る。 「私、いなくても大丈夫だったわね。」 そろそろ自室へ戻ろうかと僅かに身体を動かしていると、優しい声音で名を呼ばれた。 「アーデル、まだ帰してやんねぇから。」 宿題なんてのはジュリーにとっては、単なる口実で。 アーデルハイトからの己を求める言葉が欲しくて、自ら触れうことを禁じていた。 己に送る熱い視線には気づいていたが、如何せん縋る様な、求めるような切な気な声が聞けていない。 求めてくれたっていいだろうと、あまりにも安易で幼すぎる考えからの行い。 幾つも、ジュリーなりの浅はかな罠を散らしていた。 焦らして、焦らして、焦らして、アーデルハイトから己を求める声を聴こうと思ったのに、夜はこれからだというのに、その気一歩手前で自室へと戻ろうとしていた。 「私は、宿題を手伝いに来ただけよ。」 求めたいたはずの絡みつく視線が恥ずかしくなって、ガウンので胸元を隠した。 手伝いに来ただけでそんなにも挑発的な格好をするものなのだろうか?浮かぶ疑問をそのままぶつけるのはやめておいた。 蝶が、腕の中でもがいてもがき損ねて堕ちてしまうから。 そんなことになってしまったら、今までの数日間の我慢が無駄になってしまう。 「ご褒美ちょーだい。」 まだ返してやらない、目的を達成していない。心からの声を聴けていないので、手首を力強く握った。 へらっと笑った後に出てきたのは、唐突な言葉はあまりにも行動と伴っていない。 「何をっ!」 アーデルハイトは理解できないと眉を寄せて問うが、ジュリーの手を払えないでいた。 予想通りの反応に、らしいと笑って肩を揺らす。 「お勉強頑張った、ご褒美。」 笑みの後にジュリーは、アーデルハイトのしなやかな指を眺めて爪先に口づけ、そして舌で優しく舐めた。 「っ、そんなのあるわけないじゃない。」 小さな刺激に大きく反応して数秒間を置いて返す。望んだ触れ合いが、身体の奥にまで響いて刺激的に感じて思わず手を離した。 「えー。それはねぇだろ。オレちんにしては、真面目な行いだしィ。ご褒美くれたら今後も頑張れそうなんだけど。」 拒絶された手を残念そうに一瞥すれば、柔らかい髪をくしゃくしゃと掻き上げて、シャーペンでノートの隅に落書きをした。 「そんなものがなくても、日々努力してくれないかしら。」 「えー、少しくらいいいだろ。」 ジュリーの予定は大幅変更。素直に引っかかってくれないアーデルハイトに痺れを切らしたのだ。 素っ気なくし過ぎたか、と思えば本能が即座に働く。網に繋った蝶を逃してやるほどやさしくはない。 何事も思い通りにいかないのは世の常であったが、アーデルハイトの感情に関しては特にそうだった、一歩のところで遥か遠のいていくのが彼女。 しかし、そんなジュリーの想いと裏腹に、ジュリーの求める強い眼差しにアーデルハイトの心音は速まっていく。彼に、ぎゅうっと飛びついて甘えてしまいたいのに、出来ない。 そもそもご褒美とは、どちらのものか?アーデルハイトは思考を巡らせる。 「オレちん、ずーっとアーデルちゃんが欲しくて仕方ねぇーの。もう勃っちまいそうでやばいわけ。」 焦らして、焦らしぬくすつもりだったのに、心が彼女を求めて仕方ない。ジュリーは己の淡い野望を静かに砕くことにした。 「下品よ、ジュリー。」 直接的な言葉に眉を寄せて頬を軽く抓る。けれども、ざわつく心に嘘はつけない。物欲しそうに切な気に、視線を向けた。 「あーあ、また聞けなかったか。罠にかかってんのはオレの方か。」 紡がれた想いをアーデルハイトは理解できなくて首を傾げる。 膝を伸ばして両手を広げた。その意味は即座に理解した。 「アーデル、おいで。」 優しい声に呼び掛けられると胸はきゅんと締め付けらえて、抵抗などは既に、毛頭思い浮かばなかった。うずうずと心が動いて急かされる。 「こねぇと、オレからいっちまうぞ。」 「もう、ずるい。ジュリーは、ずるいのよ!」 唇を噛み締めて、むうと頬を膨らますふりをして待ち望んだ膝上にお邪魔した。幼子のように飛びつくと、首に腕を回してすりすりと頬ずりをする。 アーデルハイトは心の中で自嘲した。きっと、彼にも笑われているのだろうと思うもいつになく穏やかな表情に安堵して身体ごと預けた。 甘い香に誘われるがまま唇を舐めた。 「やっと、ご褒美貰えた。」 数分の長い疑問が解けた。 『ご褒美を貰ったのは自分の方だ、と。』 だが、内に秘めておくことにした。 「ずるくて、いじわるな男。」 「そうかも。意地悪してごめんなー。」 「悪いと思ってないでしょ。いじわる。」 こうなってしまえば、甘えてしまう。顎に口づけて、子供の様にねだってしまう心を抑えきれなかった。 『ジュリーがほしいの』 ありきたりな甘い言葉を絞り出すまで、焦らすつもりだったのにまだまだ辛抱足らぬお子様には叶わぬことだった。 「はいはい、ごめんって。」 「もうっ。本気で謝ってないことくらいすぐにわかるわ。」 「お詫びにいっぱい甘えていいよ。我慢してただろ。」 もう、なんでもいいや。言葉よりも伝わるぬくもりで、胸元に埋まるアーデルハイトの想いを感じた。 「ええ、そのつもりよ。たくさんたくさん甘えてやるんだから!」 ここ数日間、触れてくれなかったのはどうしてなのだろうかと、アーデルハイトに浮かぶ疑問は彼のぬくもりと、優しい匂いで打ち消されていった。 「こうなるはずじゃなかったんだけど。まあ、いいか。」 意気込むアーデルハイトにジュリーは目を見開く。 『欲しい』なんて言葉よりも嬉しかった。大誤算ではあったが、それ以上に大きな収穫を得た。 罠にかかったようでかけられていたのは己の方なのだと、実感したジュリーは軽く笑う。 頬にかかるアーデルハイトの前髪がくすぐったくて、甘い香に誘われる。 「私が、こんなに甘えてしまうのはジュリーだけなんだから!」 ほら、やっぱり。 いつしか、巧妙な罠にかけられていた。 2011/10/29 |