欲しい体温(第一話)
甘露寺蜜璃。
ずっと探していた将来を添い遂げることの出来る素敵な殿方が見つかりました!

ありのままの私を見せても嫌がるどころかしっかり受けとめてくれて、心の底から愛してくれる素敵な御方なのです。

幸せいっぱいの毎日なのですが、一つだけ悩みがあります。

伊黒さんの体温が足りないのです。もっと触れ合いたいのです。

満たされているのに、どうしてこのように欲深くなってしまうのでしょうか?





洋風の甘味屋でラブラブデートの後は、伊黒の屋敷で仲良くお喋りするのが常だった。
どれだけ長く一緒にいても会話は次から次へと溢れてくるばかりで、気づけば外は暗がりに覆われて、寂しげな匂いが広がっている。漸く夜が深くなっていることに気がついて声をあげた。

「あ、もうこんな時間。帰らないと!」
「ああ。そうか。早いな」
「伊黒さんと話していると時間が経つのが早いわ。……もう少し一緒にいたいなぁ」
無意識に出てしまった自分の言葉に目を丸めた蜜璃は、口元を手で抑えて伊黒の方に視線を向ける。

「…………」
否定も肯定もせずに、目を伏せている。困惑しているようにも見えた。
「あ、ごめんなさい。迷惑よね。す、すぐに、すぐに帰るから!」
引き止められることを前提とした発言だった。期待してしまった自分に頬だけでなく全身が熱く、赤くなるのが分かる。
とんでもない事を言ってしまったのではないかと、恥ずかしくなった蜜璃は早口で慌てふためき立ち上がった。

「甘露寺……、今夜、用事はあるのか?」
求めているものをくれる問いかけだった。
鋭い視線に射抜かれて、ぶわっと全身が喜びと期待に震える。
「いいえ。全く」
蜜璃の返答は、いつも以上に早かった。



蜜璃は広い浴室で身を清めていた。深い意味は無いけれど、いつも以上に念入りに身体を洗うとちゃぷんっと音を立てて湯船に浸かった。

「これは、いいのかしら?どうしよう、キュンキュンするのを通り越して、すっごくドキドキする」
お付き合いしているとは言えど、殿方と一夜を共にするということは初めて。
嬉しいような、気恥ずかしいような。


『だったら、泊まればいい』
『あ、はい!でも、着替えがないから』
『着替えなら俺の着物がある』

素っ気ないけれど、口調は優しかった。
噛みしめるように伊黒の声音と表情を思い出して、蜜璃はお湯を両手で掬うと軽く顔にかけた。

「まさかお泊りすることになるなんて。伊黒さんの使っているお風呂で体を流して、伊黒さんの着物を纏って寝るなんて、とっても破廉恥だわ!」
いくらお付き合いしている殿方とは言え、着物を借りるなんて言語道断。
イケナイ事をしているようで、体温が急上昇していくのが分かった。のぼせる前に浴槽を出た蜜璃は身体を拭いて伊黒の着物に手を伸ばして暫く見つめた。

「いいのかしら?本当に着ていいのかしら?」
自分自身に問いかけて数十分。恐る恐る袖を通すと柔らかく肌にしっとり馴染む生地に目を細めた。
陽の光をめいっぱい浴びた着物なのだろう。ほかほかして良い匂いがする。
「良い着物だわ」
帯を緩く結んでたわわな胸元を惜しげもなく晒し、伊黒のいる部屋へと戻った。

お風呂にも入って、上等な着物に着替えた蜜璃の機嫌は頗る良かった。

「伊黒さん、お風呂とお着物ありがとう」
「…………」
中腰の姿勢で伊黒の背中に話しかけるが反応が無い。
「?伊黒さん?」

顔を覗き込むと目を瞑っていた。
「寝ているのね。小芭内さん……」
普段は照れ臭くて言えないので、今のうちにと、愛情を込めて名前を呼ぶ。

眠る顔が愛おしい。今なら、温もりに触れられる。
ふふっと笑みを浮かべて、伊黒の頬に手を伸ばすが触れたのはほんの一瞬で、指先だけだった。

勢い良く離れる伊黒に、蜜璃は目を見開いた。
「!!」
名前を呼んだことが気に入らないのか、触れようとしたことへの嫌悪感か、伊黒は冷たい視線を向けた。

蜜璃のそれは、まるで威嚇する蛇に睨まれた仔うさぎ。

身を縮こませて、引っ込めた手を胸元に寄せた。

「ごめんなさい……」
自然と唇がそう動いた。睨みつけるほどの敵意に悲しくなって目の前が真っ暗になる。

なんて事をしてしまったのだろう。
見たことのない伊黒の険しい表情に頭が真っ白になる。

「伊黒さん、ごめんなさい」

念願叶って僅かに知った体温は、とてつもなく冷たかった。



2019/08/10
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