俺の方が、わるいこです(シンドバッド×紅玉)
シンドリアの気高き覇王と、煌帝国の玲瓏たる皇女は、深い仲であるということは、周知の事実であった。



その覇王は、この皇女の事を大層大事にしていて、未だ身体の交わりの無いままに、清らかな二人の時を過ごしていた。
今夜も逢引の後は、紳士たる王は、姫君を部屋まで丁寧に送り届けていた。
「姫君、おやすみ。良い夢を」
「っ、ええ、シンドバッド様、おやすみなさい」
一日の終わりに送るのは、手の甲へのキスのみ。
おやすみなさいと、また明日という意味を込めた口づけ。
触れるか触れないかの口づけに、姫君は反応して男の熱い唇を見つめた。
「?」
熱の触れたそこを大切そうに両手で抱きしめると、ちらりと上目で見遣って顔を真っ赤にしている。
何か言いたげな様子に感づいて、首を傾げるも、その姫君は頭を下げてそそくさと部屋へと戻っていった。
ここ数日、姫君の様子がおかしいと、王様も意気消沈気味で椅子へと腰掛ける。

自信に満ちた覇王の憂愁の色を濃くする出来事はこれだけでは無かった。
シンドリアの雨期は、とてもしっとりとしたもので不思議と人肌恋しくなるもので。
雨の物が無しい匂いに誘われるがまま、王は、こんな夜更けに訪れるのは無礼かと思うものの恋人の元へと急いだ。
未だ如何わしいことをするつもりなどない。
花の様に可憐な姫君を、怪我したいと思えど、まだ理性の方が勝っていた。
扉からひょっこり顔を覗かせる紅玉は、口角を緩めはするもののその瞳は静かに沈んで行く。
これ以上は入ってこないで、と。

「シンドバッドさまぁ。ええっと、あの……今夜は、調子が悪くておやすみなさい」
「…………はい」
触れることもままならずに、奥から湧き上がる熱をどうにも出来ないままに、冷たいベッドに我が身を落して、独りの夜を過ごした。

矢張り、下心を疑われてしまったのかと太い眉をぴくりと動かして、幾度目かのため息をつく。

抱いた女は数知れず。
初心な皇女を手籠めにすることはいとも容易いことなのだ。
けれども、出来ないそのわけは。
根ごと奪われた皇女の心も身体も、穢れを知らずに、とても清らかだったから。
そして、その箱入り皇女は、シンドリアの王を、広い心をもった紳士だと信じて疑わない。
彼女の理想を壊さないように、彼女の望む『シンドバッド』でいようと心に決めていた。
しかし、その王も人の子で有る。性欲も有れば、嫉妬心も。
ちなみに、人の五倍ほどに性欲が有る方だ。愛する女性が目の前にいて、何もしないこのいまの状況が不思議で仕方が無い程。
焦れったいけれど、これは姫君の為だと思えば、感情を殺すことも何とか耐えきれる。
緊張の糸がいつかは切れてしまうだろけれども。

もう少しだけ、彼女の望む男であろうと決めた。自分は、大人なのだから。


姫君が、己と触れ合うことに乗り気でない今、疑われることは、唯の一つ。

他に良い男が出来たのではないかと。
彼女に限ってそんな事はと、自嘲はしてみるものの些か不安はぬぐえないでいた。


「ジャーファル、俺は、男としての魅力が落ちてきたか?」
心此処に非ず状態の王に視線を向けるジャーファルは、厄介事は御免だと視線を逸らす。
恋煩い中の我が王は、少しだけ面倒だったりする。
シャルルカン辺りを呼んで、慰めてもらおうかと思案はするものの、主君の心をなだめるのも臣下の務めと数度頷いて、一際いい声で呟いた。
「シンドリアの王は、毒蛾も寄ってくるほどに魅力的な男で有ります」
信頼する人物の思いがけない言葉に、太い眉は寄って、喜びよりも先に生まれたのは疑問だった。
「あのー、それって褒められてる?」
「シン、私なりの最高の褒め言葉です。毒蛾を魅了してしまう男など、あなた以外はいませんから。私の言葉に偽りなどなかったでしょう、今の今まで」
軽く貶されているんじゃないの?
と突っ込みたくもなるが、ジャーファルの目があまりにも真っ直ぐで、言葉が力強かったので良しとした。

覇王は、存外、ちょろかった。

ジャーファルに褒められご機嫌上昇の覇王は、今一度姫君の元へと急いだ。



紫陽花が覗く向こう側に、もう一つの花を見つけた。
「アリババ!」
「紅玉!」

気合を入れて恋人の元へ向かうと、そこは修羅場への誘いだった。
上昇した機嫌は下降して、代わりに突き抜けて上ったのは嫉妬心。

向かい合う紅玉とアリババは名前を呼び合って、うふふあははと笑いあう年頃の二人は、非常に美しくお似合い。
紅玉なんて、満面の笑みでアリババを見つめて、アリババはアリババで、照れくさそうな視線を向けている。
これを、密会、いや、蜜会と呼ばずに、何というべきか。
また爽やかなこの二人にはお花畑がよく似合う。

誇り高きは王は、腕を組んで、その嫉妬を露わに歯ぎしりをする。

「女心は、移ろいやすいというのは本当だったのかな?」
大人気なくも二人の間に割り込むと、アリババを威嚇して、紅玉へは声音優しく言いはするものの、その瞳は、彼女が未だ見たこと無い程に冷徹であった。
「!そ、そんな、これは違いますわぁ」
ただならぬ雰囲気に、紅玉の背筋も震える。
優しいシンドバッドはここにはいない。
「貴女に限って、そのような事は無いと思っていたが、私の思い違いだったかな」
姫君では無くて、貴女と、俺では無くて、私と。
距離を置かれたような気がして、アリババとの会話で明るく灯った心は急速にしぼんでいった。



シンドリアの覇王は、煌帝国の姫君を、花に触れるよりも、それ以上に、大切に大切に愛でているという話を聞いた。
それ以前に、アリババはその眼で、その様子を、触れ方を見ているものだから、どこか遠くの国のお伽話ではなくて、紛いなき事実だと知っていた。

「シンドバッドさん、俺たち、そんな怪しまれるような仲じゃ……」
何とか誤解を解こうとへらっと笑った。
「ほう、それはそれは、堂々とした仲だと?宣戦布告と受け取っていいんだな?」
ひしめく嫉妬が、全身を貫いて痛い。逆効果だったと、アリババは青ざめた。
心の中で、モルジアナを呼んだ。
魔装状態宜しくと言わんばかりの、マゴイに圧倒されて、アリババは自らの身を案じるとそっと紅玉の後ろに隠れた。


「違います、違います」
アリババの身を護ることと、身の潔白を証明するべく、紅玉は、今まで躊躇っていたその細い腕を伸ばして、シンドバッドの腰にぎゅうっと抱き付いた。
「私、はしたない女なのです」
パニックになった紅玉は、上擦った声で、首を横に振る。
「二人の男の間で、揺れているからか?」
泣いて縋る女性に向ける言葉としては最低で、意地が悪いと思う。


夜毎くれるのは、笑みどころか困った顔。
昼にアリババに見せるのは、満開の笑み。

そういう意味なのでしょう、姫君。

それでも、抱き付く紅玉を拒絶できなくてシンドバッドは大きな手で触れる。
「ちがっ、シンドバッド様が、ほんっ、っく、とに、だいすきで。だいすき、で」
「本当に?この所、見せてくれる顔はつらそうなものばかりだ」
「そ、それは、わたくし、沢山触ってほしいの、キスも欲しいの、抱きしめてほしいの。そんな事を考えてしまう私は、厭らしくて、汚いでしょう?」

箱入り皇女の言葉には驚いた。
「っ、ふっ、シンドバッド様、私の事を、花の様に大切にしてくださるから。純粋だと思っていらっしゃるから、貴方の中の私を壊せなくて、壊せなかったから、言えなかったの。練紅玉は、貴女の思う様な、綺麗な女では御座いません」
ぐすぐすと泣きじゃくる紅玉は、しゃくりあげながら必死に続けた。
腰から伝う震えに、その必死さが窺える。

「綺麗だなんて思わないで。違うの、とても汚らわしいの。シンドバッド様のすべてが欲しいと思ってしまう、私、は、えっちなこともして欲しいと思ってしまう私は……わるいこです」

純粋でもない、何も知らないわけでもない、唯の女なのだと告げると紅玉の胸の尖りも落ち着いた。
王に拒絶されることも、下賤な女だと罵られることも覚悟の上だった。

「その程度で俺が、拒絶するとでも?困るな、姫君」
想いを伝えきると力尽きて、腰からするりと落ちた手を取ると、紅玉の薬指の付け根を舐めて爪の表面まで、ねっとりと舐めあげた。
非常に、悪い男の顔で。

「シンドバッド様は、綺麗な、純粋な練紅玉がお好きなのでしょう?それは、私じゃないですわぁ」
「紅玉は、ケモノみたいな俺じゃなくて、紳士なシンドバッドが好きなんだろう?」
普段の優しい声音はどこへやら、シンドバッドの声音は荒っぽい。それはそれで、紅玉の心を揺さぶった。
「そ、そんなこと!どんなシンドバッド様でも素敵ですわぁ!誰が何と言おうと素敵です!」
「それと、同じなんだ姫君。俺も、紅玉が思っているように大人の男なんかじゃない。ただ眺めるだけでは物足りない。俺の腕の中で愛でて、手折って、壊してしまいたいと思う俺の方が悪い男なんだ」


シンドバッドも、苦しい縛りから解放された。


落ちた紅玉の涙の雫は、雨期の頃に咲く花を濡られ揺らした。

「シンドバッド様の思うままにしてください。え、えっちなこともしたいです!」
思い切った発言に、シンドバッドの口角も緩む。
顔を真っ赤にして言う紅玉は、己の発言の重大さに気づいたころには遅かった。

「毎晩、愛し合おうか、姫君。ぐしょぐしょに濡れるまで」

心配しないでくれ、姫君。
俺の方が、どうしようもなくワルイ子です。



おまけ

「良かったな、紅玉!」
どうしようかとおろおろしていたアリババだったが、友人のラブラブっぷりをまるで嫌悪することなく親指を立てて二人を見守っていた。
名前を呼び合ったのは、こういう事情があった。

「話を聞きなさい」
上から目線の皇女に頷きつつ、お花畑でお喋りというのは日常茶飯事。
「どうして、シンドバッド様はあんなに大人で紳士で素敵なのかしら」
「そうか?あの人、結構な酒飲みだぞ。後、酔ったら真顔で下ネタ言うぞ!」
恋する乙女の話を遮るように、けらっと笑って言う。

「下ネタって……、た、たとえばどんな?」
「それはシンドバッドさんに教えてもらってくれ」
「???兎に角、素敵な方なの。私の事をとても大切してくださるし」
「あー、幸せなんだ。良かったな」
「だけど、もっと、シンドバッド様に触れてほしいの」
「言えばいいんじゃないか?抱いてー、シンドバッドさまーって、ちょっとばかっぽく」
「なっ、そんなはしたない、そんな事が言えたら苦労しないわ」
「言ってみろよ、これで、男はイチコロだ!」
「シンドバッド様は、そんな方ではないわ。もっと高貴で素敵な方なのよ。はぁ、ぎゅうってしてもらいたい」
自分の腕で身体を抱きしめて、悩ましげにため息をついた。
「ってか、俺じゃなくて、シンドバッドさんに言った方がいいって」
「察しなさい!お友達にしかこんなこと言えないじゃない」
「お、そっか、俺たち、友達だったよな」
「そ、そうよ!オトモダチなのよ!」
「だよな」
二人で見つめ合って、微笑ましく照れる。紅玉は、すうっと息を吸って名前を呼んだ。
「アリババ!」
「紅玉!」
すると、同じノリで、同世代の男の子は返してくれた。
在る感情は、友情のみ。

これからも仲良くしような!って言いたかったのだが、怖いおいちゃんに阻まれた。

男の嫉妬は怖いんだぞという以前の師匠の言葉が思い出された。
目を瞑っていると、聞こえてきたのは紅玉の鳴き声と、男の切なげな声。
どきどきしつつ、そっと目を開いた世界には、抱き合う幸せそうな二人。

修羅場を回避できて、友人の悩みも解消されて安堵した。
そして、あれだけお怒りだった心も静まったようで、シンドバッドさんって、紅玉の言葉には弱くてちょろいなと思った。

「し、シンドバッド様が望むなら、私、あ、あんなこともこんなことも出来ますわ!」
「あんなこととか、こんなことって、言葉で教えてくれるか?」
「えっと、あの、え、えっと、そのぉ」

俺、実はまだいるんですけど……と、声に出すのは野暮だと思ったので止めておいた。

いちゃつく二人を見ていられたくて、視線を落した先には赤い紫陽花が咲いていた。
少しして、モルジアナに会いたいと思った。

「……ああ、モルジアナに似てるからか」
濡れた花弁を暫く見つめた。
2013/06/13
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