バレンタインとホワイトデーでいちゃいちゃシン紅 夏黄文は、高らかに、そして、勝ち誇ったような笑いを煌帝国の廊下に響かせていた。 妖しげな紫色の輝く小瓶を見つめては、袖に隠す。それを廊下を歩く間に、何度も繰り返していた。 「これで、我が姫君と、七海の覇王が結ばれ、二人の子は私の手の中に……、ふ、ふふっ、い、いかん、笑いが止まらぬものだな。ひゃっ、ひゃーっひゃっひゃあ!」 きりと表情を引き締めてみても、今後起こるであろう二人の幸せな未来と、己の輝かしい出世を想像すると下品なその笑いは止まらぬものだった。 「姫君、朗報です。この夏黄文、漸く手に入れました」 紅玉の部屋の前で深々と頭を下げて、にやける顔を奥歯で噛み締めて、けれども声音に明るさを灯らせて声をかけた。 「…………」 返事が無い。重い扉を開けてそっと覗きこんでみると、そこに紅玉の姿は無かった。 首を傾げて、下女へと姫君の居場所を聞いてみる。 真剣な表情をして、厨房へ向かったのだと、彼女たちは口を揃えて言う。 姫君が料理を?何事だと眉を寄せた夏黄文は、紅玉の要るであろうそこへ歩みを進めた。 料理人に、厨房の奥と指を差されて向かった先からは、漂う甘い匂いと、大鍋を掻き混ぜる紅玉の姿が。 「何を……」 その表情は真剣そのもので、何かを唱える様に掻き混ぜている。 夏黄文の声はおろか、その存在を把握していない様だった。 「……この物体は?」 そーっと紅玉に近づいて、鍋の中を指差す。強引に顔を覗き込んだおかげなのか、その存在に気づいた紅玉はあっと肩を揺らす。 「シンドバッド様への贈り物なの」 いつになく表情は明るく、シンドバッドと名を言うだけでその頬は赤みを帯びた。 「この茶色い物体が、です、か?」 香りは宜しいのだが、贈り物というには多い様に思える。 「ちょこれーとなのぉ」 「はぁ。しかし、姫君、これを彼の人へ?」 「ええ、シンドバッド様が、ちょこれーとにまみれた私が欲しいと言ってくださったの」 相も変わらず、姫君は姫君だった。 何のことをおっしゃってるのか理解不能な夏黄文は、その経緯を詳しく問い詰める。 すると、紅玉は話し始めた。 二人で話をしていると、バレンタインデーの話になったようで、その時にシンドバッド王に何が欲しいのか尋ねたらしい。 すると、彼は真顔でこう答えたのだと。 「全身チョコまみれの姫君が良い!」 と。 それは、彼特有の冗談ですよ。 と、紅玉に突っ込もうと思ったが迷宮を攻略した時以上に真剣な表情をしている紅玉に何も言えなかった。 「全身ということは、顔はちょこまみれにしなくていいいのかしら、夏黄文」 「ええっと、でしょうね、呼吸も出来なくなるでしょうし」 「本当に?ああ、シンドバッド様にしっかりと聞いておくんだったわ」 「まあ、そこは臨機応変にという所でしょうか」 って、違いますよ、姫君。 それ、卑猥な事をさせられるフラグがたっております。 しかし、シンドバッドに真剣に向き合う紅玉はそれをまともに受け取っているようだった。 身体中にチョコレートを塗ったら、シンドバッド王が喜んでくれるのだと信じ切っている。 悦ぶだろうけど、姫君、もう一度言いますが、貴女様は、卑猥な事をされてしまうのですよ、えげつないんですよ、男は。 と恋する乙女の横顔を見た夏黄文はそうそう易々とは言えなかった。 「シンドバッド様が喜んでくださるなら、それだけで嬉しいの」 健気すぎる紅玉の言葉に、袖に潜めた煌帝国の奥地の奥地のそのまた奥地で手に入れた秘伝の惚れ薬を彼女に手渡すことは出来なかった。 この表情から察するに、この惚れ薬を手渡しても紅玉は喜んでくれることはないだろう。 紅玉の想いを感じた夏黄文は、それを渡すことは無く、小さなその背中を見つめた。 シンドバッドと紅玉の会話から、この小瓶を使わなくても思いのほか、二人の仲は進展していきそうだ。否、もう、夏黄文が想うよりもずっと深く進展しているのかもしれない。 流石に、全身チョコまみれはないだろうと、我が姫君にそのような痴態を他国の男にお披露目するのは如何なものかと、そっとアドバイスをすることにした。 声をかけようと唇を薄く開いたその刹那。 突如現れた神官様に、どういう訳か夏黄文は期待した。 そんな事は止めろと言ってくれると思ったから。幾らか常識人であることを期待したのが大きな間違いだった。 「ババア―、あいっかわらずくだんねェことしてんな」 「ジュダルちゃん。わ、私は真剣なのよぉ。シンドバッド様がよろこぶことをたくさんしたいの!」 「ババア……」 ジュダルの表情がしんみりとしたものに変わる。 その顔は、真剣だった。 そして、一呼吸ついた後に、こう続けた。 「よし、ババア、全裸になれ。筆で塗ってやっから。一人で塗れねえだろ?」 しかし、紡がれた言葉は真逆のモノどころか、紅玉を煽るような事。 両腕を組んで紅玉を見つめるその顔は、妙に決まっていて男前。 「ジュダルちゃん……、今日は、珍しく優しいのね」 目を細めた紅玉の表情は、感動と感謝に満ちていた。 ジュダルと手を取り合うことが出来るなんて。 二人の雰囲気に流されそうになった夏黄文だが、数秒前のジュダルの言葉を思い出してはっとなった。 違う違うちがーう。 姫君、突っ込んでください。全裸になれって言われているのですよ。 幾ら、頭の中がピンクになっているからって神官殿の言葉を信じないでください。 と。 己が上に立つことも大いに大事なのだが、純粋過ぎる姫君の事の方が、現在の夏黄文は大切だった。 七海の覇王の元へ嫁がせるのは、まだ早い。 煌帝国でも、神官殿がいるわけだし、姫君を護れるのは己だけだと、夏黄文は自負した。 もう少し、姫君を護っていこう。夏黄文は強く思うと、秘伝の薬をかち割った。 ジュダルに囃し立てられるが、夏黄文に泣く泣く説得されて、紅玉は、諦めた。 結局渡したのは、『シンドバッドさま、だいすきです』とかかれたハート形のチョコレート。 姫君からの愛情たっぷりのチョコレートに大満足のシンドバッドは、その身体にチョコを垂らして当初の目的を果たしたとか果たしていないとか。 ―――――――――― ホワイトデー。 「姫君、お返しは何が良い?」 シンドバッドからのお呼び出しで、何事かと顔を上げて通る声を聴いていた紅玉は、後からついてくる言葉にぽかんとして口を開けたまま見つめた。 「えっと、シンドバッド様から何か頂きましたか?」 自分だけに向けられる真っ直ぐな男の眼差しが居心地悪くて、けれどもとっても愛しくて、口元を隠しつつ小さく問いかけた。 「ホワイトデー、何がいいかと思って。宝石でも、絹でも姫君の欲しいものならなんなりと」 欲しいものを恋人に聞くのは反則かもしれないと思ったシンドバッドだが、折角なら心から欲しているものを贈りたいと、そう思っての問いかけだった。 「あ、あ……、何でも、いいのですか?」 シンドバッドを見上げて、目が合うと耐え切れずにそっと逸らす。 「勿論、姫君の為なら」 「でしたら!ぎゅうってしてください。それだけで幸せですから」 今度は、シンドバッドがぽかんとなって、恥ずかしさに震える紅玉を見つめた。 「そんな事で良いのか?もっと、こう、贅沢な事を言っていいんだけれど」 「……わ、私にとってはシンドバッド様の腕の中にいられることが贅沢なんです」 「これで良ければ何度でも」 顔を真っ赤にして一生懸命いう紅玉を愛しく思うと、小さな体をその胸に抱き寄せた。 紅玉が望むように、ぎゅうっと強く愛情込めて抱きしめる。 「!急に抱きしめられるとどきどきします」 「毎日、どきどきしてもらいたいんだけどな」 「してますわ。シンドバッド様を、今日は独り占めです」 おずおずとその手を腰に回してぎゅうっと抱きつく。紅玉の口端からは、照れやら喜びから笑みが溢れる。 「今日だけじゃなくて、毎日、姫君だけのなんですが」 今日はという言葉に納得できないシンドバッドは、耳元で否定をしておく。 気を抜いたところに入り込む低い声に、紅玉の背が震えて声が上擦った。 「!ほ、本当なら嬉しいですわぁ」 素直で新鮮な声と笑顔にシンドバッドの頬も緩む。笑みと共に流れ込むのは暖かい感情。 贈る筈の日が、シンドバッドは与えられてばかりの日になった。 「ありがとうございます。幸せでした」 これ以上は、我儘が過ぎると紅玉は顔を上げた。 「まだこのままで。これで終わりで良いですか?」 離れようとした紅玉を引き止める様に、囁く。 意外な言葉に、紅玉の心臓は煩いくらいに高鳴って、どさくさに紛れて自らぎゅうっと抱きついた。 「わ、わがままだけど、今日は、ずっとこうやって、抱きしめていてください」 勇気を振り絞ってのお願いに、シンドバッドは待ってましたと言わんばかりに頷いた。 「抱きしめるだけじゃ、足りないと思うけどな。姫君の事、全部貰ってよろしいですか?」 「え、あ、えっと、は、はい。シンドバッドさまになら、ぜ、ぜんぶどうぞ!」 色っぽい声に誑かされて否定などできる筈のない紅玉は、何度も頷いた。 バレンタインに負けず劣らず、幸せいっぱいの二人の夜は優しくて、熱かった。 幸せで満たされた紅玉の身体に、シンドバッドは今度はホワイトチョコを塗ったとか塗らないとか。 2013/04/01 |