惑い唄(シンドバッド×紅玉) |
つくづく、意地の悪い男だと思う。 シンドバッドは、酒の残る身体を休めるべく自室へと向かった。少女の眠るベッドへと向かって、長い廊下を無言で歩く。 夜を流れる微かに冷たいように思える風が頬を掠めると、火照る身体もいつしか落ち着いていた。 扉を開けて脇目も振らずに向かう先は、紅玉の元だった。 広いベッドで小さく埋まって、すやすやと眠っている紅玉の顔を見ると、シンドバッドの表情に色が戻る。 扉が開くと同時に流れ込む夜風が身に染みたのか、紅玉はぷるりと身を震わせて枕に頬を寄せた。 シンドバッドの掌が、紅玉の頬を撫でようとしたその時だった。 「シンドバッドさまぁ?おかえりなさい」 掠れた声で眼前の男の名を紡いで、か細い声音で言う。シンドバッドの手が、紅玉の頬に触れると嬉しそうに頬ずりして、骨ばった男の手を両手に抱いた。 「ただいま。起こしたようだな」 首を横に振ると、シンドバッドの薬指にキスを落して声もなく甘える。 「いいえ。待っていましたわぁ。お酒、たくさん飲んだのですか?」 「……ジャーファルに止められて、あまり飲めなかった」 「ふふっ。……では、女性をお膝に乗せたりはしませんでしたか?」 視線を伏せる紅玉は、この問いかけさえも、申し訳ないと言ったような酷く遠慮がちな声で問いかける。 シンドバッドを纏う空気が変わって、一層低い声で返した。 「膝に乗せて、かわいがったと言ったらどうする?」 そして、分かり切った答えを待った。 「……いやですわぁ。シンドバッド様は、素敵なお方ですから、私の他にも、たくさん、良い方がいらっしゃる……はずです。でも、でも、やっぱり嫌ですわ」 今にも泣きだしてしまいそうな、細く、弱い声が、シンドバッドはこの上なく愛しかった。 悦びに弧を描く唇を噛んで、柔らかな頬を撫ぜた。 「冗談だ。呑んでいる最中も姫君の事ばかり考えていたからな」 「……お上手ね。私を喜ばせる方法を知っているのは、シンドバッド様だけです。明日も、待っていますから……必ず戻ってきてくださいね」 「勿論、心は姫君の傍に」 「なんだか、恥ずかしい」 上機嫌になった紅玉は、シンドバッドの逞しい胸板に抱きついた。 どこにも飛び立てない様に、広い己の部屋に紅玉を閉じ込めることで自尊心と支配欲を満たしていた。 可愛らしい笑顔にも心奪われていたが、己を想い、瞳を濡らす寂しげな表情に、強く惹かれていた。 憂いの表情は、シンドバッドしか見ることが出来ない。それに、シンドバッドにしか作り出すことが出来ない。 自負していた。 紅玉が、寂しそうな表情や声音をする度に、強く愛されているのだと思うことが出来る。 もっと、苦しくなって、深く求めてくれればいいと思う。 間違った愛し方だという事は、重々承知。だが、最早、手遅れだった。 沢山の女に愛を囁くことは簡単だ。どうしたら喜ぶかなんて、もうずっと前から知っている。 けれども、一人の女の愛し方は分からなかった。 なかなかに、狡いと思う。 明確な愛の言葉は与えずに、狭い部屋に残して。気まぐれに残す一滴の蜜で彼女を喜ばせて。 もっと、この手に。と、願えば願う程に、汚くなる。 「シンドバッド様がいない世界なんて、もう、考えられませんわ」 狭い室内で、冷たい時を過ごす紅玉の寂しげな声を聞いて思わず抱きしめた。 きつく縛り付けた心を開放してやれたらと、僅かに残る良心に責められる。 自由に笑う紅玉と、対比して並ぶ己の姿を想像して息を呑む。 縛りが解けて、裏切られたら怖いのは、自分なのだと理解して嗤えた。 - - - - - - - - - - 2012/10/05 |