花、嵐、惑(恋織一) | ナノ




花、嵐、惑(恋織一)
お邪魔しますと足を踏み入れた織姫の部屋は、意外にも空虚感が漂っていた。
ベッドから右側を恋次のスペース、そして残った狭いスペースは自分のテリトリーと誇らしげに見えない線を引いて笑う。
「んーっと、ここからここは恋次くんのスペースだからね。」
「あ?俺は地べたに寝るからここはオマエの縄張りな。」
流石の恋次も、乙女のベッドで眠るなんてそんな烏滸がましいことは出来ない。首を横に振って織姫の前に立てば、指で見えない線を引いて区切りをつけた。
「遠慮しなくていいのにぃ〜。」
「するだろ。普通するだろ。俺じゃなくてもすんだろ。一緒に寝るか?なんつって。」
いやいやいやと大げさに返答すると、どんな反応をしてくれるのかと楽しみつつ口端をいやらしく釣り上げた。
「一緒に寝るには、ちょっと狭いよ。」
「……ソウデスネ。」

『やだ、恋次くん、そんなこというと怒っちゃうよ!』
と、ハムスター張りにほっぺたを膨らませて怒ってくれるかと思いきや、目の前のお目めくりくりの少女は驚くくらい真顔で即座に返答した。
気持ちいいくらいの予想の裏切られっぷりに恋次は、そうきたかと仰け反って棒読み状態。
まるで意識されていないのだと痛感して、ちょっぴり不貞腐れてみた。
けれど、効果は無し。
黄昏る暇もなく、目を離した織姫はキッチンに立って何やら不敵なものの製作に勤しんでいた。

途中まで良い匂いがしたものだから、期待してしまった。のは、大きな間違いだった。
「あんこぷらすのおみそしるなんだよ。恋次くん、甘いのすきなんだよね!」
己の好物を知ってくれていて嬉しいと思う反面、缶のあんこを赤だしに豪快に入れる様に恋次は目を疑った。
「これが美味しいんだよ!一緒に食べようね。」
可愛らしく言われてしまえば、断る術は知らずに頷くしかなかった。並べられた夕食は、見たこともないものばかりで。
恋は盲目、味覚もおかしくなるのか不思議と恋次はぶっ飛んだその料理を綺麗に平らげていた。

お腹も満たされたところで、二人分の食器を片づけた織姫はバスルームで湯を沸かしていた。
「れんじくーん、じゃーんけーんっ、ポンっ!」
反射的に出したのは、恋次はパーで。織姫はグー。
「あは、強いね。お風呂、お先にどーぞ。」
「いいのかよ。遠慮しねえぞ。」
「いいんだよ。我が家だと思って寛いでね。」
風呂が沸けば、背を押されるがままに浴室へ。タオルを手渡されて、軽く手を振って暫し織姫と別れた。
「全然意識されてねえ。これもまた、おもしれーけど、キツいっつうか。」
恋する少女の浴室で纏う制服を脱ぎ捨てるのは、何だか申し訳ないような気がして。
良からぬことを想像しつつ首を振って、浴室で必要以上に隅々まで体を洗った。
大きすぎる恋次の身体には、狭く感じる浴槽。けれども、何故か心地よかった。バスサイドに置かれたあひるの玩具で遊んで、現世の歌を歌う。
浴室から漏れる力強い歌声に織姫は、小さく笑って声をなぞった。

「上がったぜ。次どーぞ。」
「はぁい。恋次くん、おつかれでしょうから、寝てていいからね!」
寝間着と下着を抱えた織姫は、いそいそと脱衣所へ戻っていった。
好意を寄せる女の子と二人きりで、ぐっすり眠れる訳がない。小さな背中を見送ってベッドに背を預けて織姫を待った。
眠れないと思っていたのだが、心地良い温もりのせいか睡魔に呑みこまれた。

「んあっ!!」
気づいたら、夜は明けていて春の風が頬を揺らめく。
崖から落ちる夢を見ていた恋次は、ビクンっと身体を揺らして素っ頓狂な声を上げて目を覚ました。
目の前には、制服姿で正座をした織姫が眼前で手を振っている。未だ夢の中なのかもしれないと思えど、昨日転がり込んだことを思い出して大きな欠伸を向けた。
「恋次くーん、おはよう。」
「おっす。ねみー。まだ寝る。」
いつの間にかかけられた掛布団を強く体に巻き付けてもう一眠り。するつもりが優しく体を揺さぶられてしまえば、睡魔もどこかへふっとんでしまう。
「だめだよ!学校行かないと。恋次くんといっしょに学校に行きたいよ。」
どうしてこうも、心を締め付けられるようなことを言ってくれるのか。起き上がった後の、恋次の行動は早かった。


二人で仲良く登校。何だか、恋人気分だった。
恋次の見つめる先にはいつも織姫。目が合うと、笑いあうのもくすぐったくて楽しい。
そうだ、毎日が鮮やかで心躍らされて、愉しくて仕方がない。

HRも終わると、恋次は足早に織姫の元へと急ぐ。
織姫と己とを遮る橙に、不快感を露わにした表情を向けた。


「井上。なあ、今日……。」
「?」

一護に名を呼ばれて、煩い位に心音を高鳴らせて声の主へと顔を向けた。
二人を囲む空気が、何故だか初々しく感じる。
勿論、そんな二人を恋次が見逃すわけは無くて。
一護の、織姫を見る瞳が気に入らなかった。

すうっと深呼吸をして声を上げる。
「織姫、帰るぞ!」
「ああっ、はい。またね、黒崎くん。」
鼓膜にぴりっと恋次の力強い声が聞こえると一護に手を振って、紅の元へ急いだ。
何か言いたげな一護に首を傾げるが、恋次に強引に腕を引かれて抵抗するわけもなくそのままついて行った。
無意識のうちに、織姫は恋次を選んでいた。以前ならば、先ずは一護の話を聞いてから恋次の元へなのだが、今回は違った。
織姫自身も、何故このように行動したかは理解しきっていなかった。

スーパーで大量に買った食材の袋を両手に抱えるのは恋次。
恋次の鞄を持つのは織姫だ。
夕暮れの小道を互いのペースで歩く。二人でいる空気が心地よく肌に馴染んでいた。

他愛もない会話をするこの時が、恋次は一番好きだった。

歩く路の両サイドには、春を待ちわびた桜が咲き誇っている。

「恋次くんと一緒にいると楽しいよ。なんだろ、お兄ちゃんでもなくて、うーん。弟でもなくて。えとね……。分かった!波長が合うんだ。」
突然の織姫の告白に、恋次は耳を傾けた。
「……そこは、恋人みたいだっていっとけ。」
「それは、さすがに恥ずかしいですぞ。」

柔らかい花笑みに、恋次の心は色づく。矢張り、欲しい人。傍にいて欲しい人。
同時に、ふわりと桜の花びらが舞った。
少しでも、心に入り込めればいいと織姫の頬に張り付く桜を指で拭った。

「わあ、ありがとう。」
靡く柔らかな髪を耳にかけて会釈する。
「なあ、一護じゃなくて、俺にしとけ。つーのは、冗談じゃねえから。」
おどけた表情を隠して、見せた真剣な男の表情に織姫は押し黙った。
勢い任せの遠まわしの告白に後悔は無い。
どう転んでも、己の判断は正しかったのだと胸を張って言える。


一護は、未だに己の中に在る感情に気づいていない。
橙の心が芽吹く前に、火がつく前に。
脅威になる前に。

彼女の心根に、紅を意識づけておきたかった。

さて、花はどう舞うのか。

まだ、だれにも分からない。


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2012/04/21