キスで許して

 その日、我が校の絶対的エース成宮鳴様は酷くお怒りであった。

「なんで怒ってるか分かる?」

 午後イチの5限目が始まる20分前。昼休憩時間から鍵の空いている生物室に入ると、わたしを呼び出した人物は腕組みをして大股開きで丸椅子に座り、ふてぶてしい態度でわたしを待ち詫びていたのだった。

「ごめん、分かんない」
「4限目の古典!分かれよ!」

 素直にそう返すと強めの返事が返ってきた。4限目の古典?何があった?つい先程の記憶を必死に思い出してみるが、変わったことといえばわたしの隣の席だった鈴木くんが教科書を忘れてしまったことくらいだ。
 まさかとは思うがそれが原因だと言うのか。信じられない。教科書見せただけでこんなに怒ってるの?そう問うと「違う!」と鳴が声を荒げた。

「アイツが教科書忘れたのは仕方ないじゃん!それで隣の席の名前が教科書見せてあげるのも仕方ないじゃん!先生から頼まれてるんだし!」
「え、だったらなんで」
「距離が近すぎるって言いたいの!何度も何度も肘がぶつかってさぁ、その度に『悪い』『ううん』なんて言いながら見つめ合っちゃってるし?彼氏が後ろで見てんのに何なの、喧嘩売ってんの?」
「……別に見つめ合ってないけど」

 ていうか鈴木くんが左利きでわたしが右利きなんだから肘がぶつかるのは仕方ないじゃん、鳴も左利きなんだからこの左利きあるある分かるでしょ。そう続けてみるも全くと言っていいほど響いていないようだ。

「言い訳は聞きたくないね!」
「えぇ〜〜……」

 つーん!とそっぽを向く王様に平民のわたしはお手上げ状態である。こうなってしまったらわたしが何を言ったところで彼は聞く耳を持たないのだ。
 参ったなぁ、どうしよう。機嫌を回復させる万能アイテムでもないだろうか、なんて思いながら手持ち無沙汰にスカートのポケットへ手を突っ込むと指先が何かに触れた。そこから取り出したるは、教科書を見せてくれたお礼にと件の鈴木くんから貰った三角形のイチゴ味の飴。いやいや、さすがにこれをあげるのはダメだろう。入手元が割れてしまったら次こそ命がないかもしれない。
 イチゴ柄の包装に包まれたそれをくしゃりと握りながら、どうしたものかと視線を上げると目が合った。
 
「すんごいキスしてくれたら許してあげる」
「す、すんごいキスとは…?」
「自分で考えなよ」

 うだうだしているととんでもない提案を出されてしまった。相変わらず言うことがぶっ飛んでるなぁ。
 フン!と鼻を鳴らしながら未だ腕組みをしてふんぞり返っている鳴を見つめながら、貧相な頭で必死にあれこれ考えてみる。鳴の言う「すんごいキス」とは、多分いつもより濃厚でエッチなやつだ。とはいえ自分からそんなキスができるのだろうか……なんて悩んでいる間にも刻一刻と時は過ぎていく。早く事を済まさなければ次の授業のために誰かが入って来るかもしれない。それに今ここで解決しておかないと、鳴の不機嫌が長引いて困るのはわたしの方だ。

「……じゃあ、」

 意を決して彼に近付き、身をかがめて頬に手を添えながら唇を寄せる。まずは触れるだけのキスをして様子を伺うと、満更でもなさそうな表情の鳴が目に映った。とりあえず出だしは好調らしい。ごくりと喉を鳴らし、下唇に指を添える。薄く開いた唇に再度自分のそれを重ねながらそろりと舌を差し込んでみると、くちゅりと音を立てながら鳴がわたしを受け入れた。
 自分からこんなキスをするのはこれが初めてで、恥ずかしくて照れ臭くて、頭がおかしくなりそうだ。

「ど、どうですか」
「ん〜〜60点かな」

 距離を取り、熱を持った顔を掌で隠しながら講評を尋ねるとなかなか厳しい点数を提示された。思ったより低くて少し落ち込む。これ以上どうしろというんだ。「わたしの努力…!」と嘆きながら拳を握っていると、椅子から立ち上がった鳴がわたしの右手に手を伸ばす。されるがままに、持っていた飴を奪われた。

「例えば、こういう感じ」
「ん、」

 ビニールの両端を捻って包装が開かれたかと思えば、何の躊躇いもなく三角形のソレを口の中に押し込まれる。なんだなんだ?いや、美味しいけど。
 押し込まれた甘い砂糖の塊を舌の上で転がしながら呆然としていると、突如腕を引き寄せられて唇を奪われていた。驚く間も無くぬるりと侵入してきた熱い舌が、いとも容易くわたしの飴を攫っていく。奪った飴を見せつけるように、べぇ、と舌を覗かせる鳴は子供みたいに無邪気な顔で笑っていた。どうやら少しだけ機嫌が直ったらしい。

「どうせするならこれくらいやってくんないと」
「……考えが及びませんでした」

 まぁ許してもらえるならこの際何でもいいや。ふっと気が抜けて口元が緩んだ瞬間、ガリッと砂糖の塊が砕ける音が聞こえた。
 どこかで聞いたことがある。飴を噛む人の深層心理は『不満や怒り、攻撃性の現れ』だと。もしかしてまだ何か不満があるのだろうか。不安になって様子を伺うと笑顔から一転、いつの間にか目の据わっている鳴が口を開く。

「……ところでさぁ」
「うん?」
「この飴、誰に貰ったの?」
「はは……」

 なんだ、全部お見通しなんじゃないか。愛想笑いを浮かべながら、休憩時間が残り数分に迫っている中どうやってこの場を切り抜けようか必死に思考を巡らせた。
 鳴ってやっぱり嫉妬深いよね。


(20210421)


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