非日常的日常があったとして
「アンタにだけは、そういうこと言われたくなかった!」
夢の中で18歳の自分が泣いていた。真夏の青空の下で奥歯を食いしばりながら。遠ざかるユニフォーム、白い背中を見つめながら。
( どうして、)
つぅ、と目尻に冷たいものが流れた気がして無意識に手を伸ばす。朧気な意識の中、その正体が涙だと分かった。なんだ、ハタチの自分も泣いてるのか。そんなことを考えながら2年前の夏に想いを馳せる。あの日わたしは、なんで泣いたんだったっけ。
「う〜〜〜ん……」
薄いブランケットにくるまりながら身体を丸めて唸りをあげる。重い瞼をゆっくり開くと、わたしの部屋、わたしのベッド。いつもの景色といつもの匂いだ。数回瞬きを繰り返し、もう一度掌で涙を拭う。
ええと……確か昨日は青道OB会だったはず。沢村に騙されてヤケクソになって、焼酎と日本酒とワインを飲みまくったんだっけ。酔っ払ってみんなに絡んで、金丸にウザがられて、セトタクと九鬼くんに笑われて……あぁ、癒し系コンビの東条くん小湊くんとは、もっといっぱい喋れば良かった。由井くんは、やっぱり天使だったな。それから、そうだ、奥村、奥村だ。奥村は……タクシーから降りたところまではぼんやり覚えてるけどそこからの記憶がない。わたし、ちゃんとお礼言って別れたのかな。
( 記憶飛ばすとか、ほんとにあるんだ…… )
掌で顔を触って確認する。どうやら化粧を落として風呂に入り、きちんと着替えを済ませてベッドで眠りについたらしい。備え付けのエアコンからはそよそよと控えめな冷風が流れており、おやすみモードのクーラーが機能していることも伺える。記憶をなくすほど酔っ払っていてもここまでいつも通りの行動が送れるものなのか。人間の習慣って素晴らしいな。昨晩の自分に称賛の拍手を送りたい。
「……いま、何時だ」
安物のカーテンから漏れる朝日の具合からして、多分5時くらいかな。なんて考えながら手探りでケータイを探してみるが、枕元には見当たらない。それならばとベッドのヘッドボードに手を伸ばそうとした瞬間、ふわふわした謎の物体に指先が触れて胸が跳ねた。
嘘でしょ。わたしは、この感触を知っている。人の、髪の毛だ。
それに気付くや否や、勢いよく寝返りうち対象者を確認する。わたしの隣で静かに寝息を立てていたのは、なんとあの奥村だった。
「〜〜〜っ?!?!」
声にならない悲鳴をあげて思わず飛び退く。すやすやと穏やかな顔で眠る奥村の寝顔はレアだけど、正直今はそれどころではない。一体何がどうしてこうなった。送ってもらって別れたんじゃなかったのか。訳が分からず戸惑っていると、わたしの動きを察知したのか閉じられていた瞼がゆっくり開かれていく。狼小僧のお目覚めだ。
「な、なな、なんで……」
「……七?おはようございます」
「なんで奥村がいるの!」
自分の叫び声がズキズキと頭に響く。間違いない、これは二日酔いだ。不快感に襲われながら頭を抱えていると「覚えてないんですか」と奥村がうんざりしながら呟いた。これはもしかしなくても、わたしが迷惑をかけたパターンなのだろうか。
「酔い潰れた先輩を部屋まで送り届けて帰ろうとしたら、無理矢理部屋に連れ込まれたんですよ」
「全然、覚えてない……」
「おめでたい頭ですね」
寝起きから嫌味全開だが、今日ばかりはぐうの音も出ない。はい、全くその通りだと思います。
それから奥村が言うには、酔っ払ったわたしが「一緒にお風呂に入ろう」とウザ絡みして、嫌がる奥村を浴室に連れ込みシャワーのお湯をぶっかけたらしい。ずぶ濡れになってしまったせいで帰るに帰れなくなり、酔っ払って先に服を脱ぎ始めたわたしに遠慮しお風呂が終わるまでキッチンで待機。その後シャワーを浴び、水浸しになった脱衣所とキッチンの床を丁寧に掃除してくれたとか。
そこまで聞いて思わず耳を塞いだ。あぁダメだ、頭だけじゃなく耳も痛い。
「それから、先輩の元彼が置いていったとかいう下着と服も借りました。不本意でしたけど、これしか着るものがなかったので仕方なく」
「ご、ごめん」
順を追いながら一つ一つ説明する奥村は怒りを通り越して呆れている。あの奥村にわたしがそんな絡み方をしたなんてとてもじゃないが信じられない。だが彼が着ている服は確かに去年まで付き合っていた元彼の忘れ物だ。次の資源ごみの日にでも捨てようと思い、クローゼット内にまとめておいたもの。それを奥村が着ているということは、確かにわたしが手渡したんだろう。
家まで連れて帰ってもらうだけでも十分迷惑をかけているというのに、風呂場に連れ込みずぶ濡れにした挙句、わたしの失態の後片付けまでさせてるなんて。いくら記憶がないとはいえ我ながら情けない。お酒の力、怖すぎる。
「……で、最終的には『一緒に寝よう』と腕を掴んで離してくれなかったので、仕方なく一緒にベッドに入りました」
「ひぇ〜」
「先輩が寝たら帰ろうと思ってたんですが、一緒に眠ってしまったようですね」
そう続けて溜息を吐く様子に嘘はなさそうだ。ということは、本当に奥村と一緒に一晩過ごしたのか。あの奥村とワンナイト。なんというパワーワード。
「心配しているようなことは何もしてませんから」
「そ、そうですか」
心配、してるように見えたのかな。奥村がわたしに手を出すなんて考えられないけど。ワンナイトはワンナイトでもラブはない。そりゃそうだ。だって相手は奥村だ。こうして2人で会話してること自体、奇跡に近いとさえ思うのだから。
「説明もういいですか?じゃあ俺帰ります」
「えっ、その格好で!?」
奥村には似合わない、バリバリ原色の派手なTシャツと柄がうるさいハーフパンツ。元彼と奥村のタイプがまるっきり違うから当たり前なのだが、違和感ありまくりだ。奥村にはもっとシンプルな服が似合う。今の格好じゃ、誰がどう見てもセンスが悪いと思うだろう。
「大丈夫です、歩いて1分もかからないので」
「……どういうこと?」
「これは俺も驚きましたけど、同じマンションに住んでるんですよ」
「はぁ!?」
大声を出したせいで再び襲いかかる鈍痛に頭を抱えた。あぁ、何故学習しない自分。うぅ、と唸りを上げながら頭痛に耐えていると「世間って狭いですね」なんてこぼしながら、奥村が本日何度目かの溜息を吐いた。うん、そうだね。よく聞く言葉だけど、今日ほど身をもって実感したことはなかったよ。
「シャワーと着替えを借りずに帰ってもよかったんですが、そうすると先輩の家をあちこち濡らしてしまうのでやめました」
「それは、ご配慮ありがとうございます」
「ちなみに俺が住んでるのは301号室です」
「……マジ?うちの真下じゃん」
「そうなりますね」
いくら他の住人に興味がないとはいえ、半年近くも気付かないものなのか。いや、逆だ。気付くタイミングが今日で良かった。じゃないとバッタリ会ってしまった時に発狂していたかもしれないから。
クリーム色のマンションの外観を頭に思い浮かべたところで、ふと昨晩の記憶が蘇る。タクシーから降りて、眠くて眠くて死にそうになって奥村に寄りかかった時。確かあの時、わたしたちは何か大事な話をしたような。
「ねぇ、昨日さ。タクシーから降りた後……何か話したっけ?」
「別に、大した話じゃないですよ」
「えー教えてくれたっていいじゃん」
「自分で思い出してください」
それだけ言うとベッドから降りて背を向けられる。声をかける間もなく、浴室に干してあった乾ききっていない自分の服を手に抱え、リュックを担ぎ、そそくさと玄関に向かってしまった。
ケチくさいなぁ、減るもんじゃないだろうに。そんな不満を背中へ向けながら後を追うと、くるりと振り向いた奥村と目が合った。
「この服は洗ってから返します」
「え?いいよ別に、あげるよ」
「いりません」
「まぁそうだよね、似合わな……いや、なんでもない」
おっと危ない。慌てて掌で口を塞ぐが時すでに遅し。思わず溢れてしまった否定の言葉は奥村の耳にバッチリ届いていたようで睨まれた。いや、奥村が悪い訳じゃないんだよ。元彼の服のセンスが悪いんだよ。
だって、性格と態度はちょっとアレだけど、顔だけなら奥村の方が何倍も整ってるしカッコいいから。なんて面と向かって言える訳もないのだが。
「……では、また」
「うん」
ぺこりと頭を下げて背を向ける奥村にヒラヒラと手を振って別れた。玄関の扉がパタンと閉じ、硬い靴音が徐々に遠ざかっていく。それを聞きながらずるずるとその場にへたり込んだ。
なんだか色んなことがありすぎて頭がついていかない。まるでまだ夢の中にいるみたいだ。今日は9月1日。実はドッキリでした!全部嘘です!なんて言ってくれたら気が晴れるのに。セプテンバーフール、なんて行事はないよなぁ。
一年の差はあるものの、同じ高校を卒業後、同じ大学に通い、同じマンションに住んでいる。腐れ縁だと思ってたのは沢村じゃなく、奥村の方だったのか。それは、彼と出会って4年目の発見だった。
(20210316)