君の忘れ方を忘れました
 仮にも年上だというのに情けない話だが、まるで蛇に睨まれた蛙だと思った。選択肢が「たたかう」と「にげる」しか存在しないのであれば、丸腰のわたしは迷わず後者を選ぶに決まってる。

「か、帰る!」
「ここまで来といて何言ってんだ、お前の好きなだし巻き玉子もエイヒレもホッケもあるんだぞ」
「うぅ……!」

 呆れ顔でメニュー表を宙に泳がせる沢村を見て心の天秤が大きく揺れ動く。確かにそのラインナップはわたしの大好物。悔しいけど食べたい。今日ばかりはわたしの好みを熟知している沢村が心底恨めしいと思った。わざわざ化粧して着替えて、大嫌いな暑さに耐えながらここまで来たんだ、それに見合うだけの報酬が欲しい。

「いい加減仲直りしろって」
「もしかしてそのために呼んだの?」
「さぁな」

 ニヤリと笑う沢村が恐ろしい。荒療治って、まさかこの事だったのか?やっとのことでフラグの回収に気付くも「便所行ってくる」と逃げられてしまってはフラストレーションが溜まる一方だ。本当に余計なことをしてくれたな。

「失礼します」
「なんでここに座るの!」
「ダメなんですか?」
「せ、セトタクの隣がいいんじゃない!?」
「拓は向こうで盛り上がってますから」

 しれっとした顔でわたしの隣に座る奥村を威嚇してみるが、彼が言うように頼みの綱は由井くん九鬼くんと共に小湊&東条の癒し系コンビに囲まれてチヤホヤされているではないか。これだからコミュ力高い男は!わたしもそっちに混ざりたいよ!ていうかなんで浅田がいないんだ!心の中で恨み節を唱えているとじっと見つめられながら無言の圧をかけられる。なんだなんだ、文句があるなら早く言ってくれ。

「だし巻き玉子とエイヒレとホッケでしたっけ?」
「え?」
「沢村先輩は苗字先輩の好みをよく知ってるんですね」
「まぁ、たまに一緒にごはん食べに行ってるから」
「へぇ」

 意味が分からない。何の確認だ。意味深な呟きと共にまたもやじっと見つめられて思わず尻込みしてしまう。昔からそうだった。何を考えているのか分からない、この目が苦手だった。

「な、何よ」
「ピアス開けて化粧もしてるんですか?へぇ、随分色気付いたじゃないですか」
「はぁ?そういうアンタはちょっと髪切ったみたいじゃん。服の趣味も変わった?あー、アレか、大学じゃ爽やか系でモテようって魂胆ですかぁ〜?」

 何を考えているのかと思えばどうやら喧嘩を売られているらしい。何年経っても本当に生意気な奴だ。腹の底から沸々と黒い感情が湧き上がり、そっちがその気ならと煽ってやれば見事に火がついたらしい。背後に不穏なオーラを出しながら睨んでくるもんだから、こちらも負けじと睨み返してやった。

「オイオイ、久々に見るツーショットだと思ったらまた喧嘩かよ……」
「遅いよ金丸!」

 呆れを孕んだ懐かしい声が頭上に降りかかり、待ってましたと言わんばかりに怒りの矛先をチェンジ。アンタ3日前にハタチになったんだから今日は覚悟しなよ!飲ませるからな!と息巻けば「なんで俺の誕生日覚えてんだよこえーな」と引かれてしまった。元マネとして未成年の飲酒防止に努めるのは当然のこと。よって成人済みメンバーのチェックも右に同じだ。
 今日飲酒していいのはわたしと沢村と金丸だけだからね、そう言いながらメニュー表のソフトドリンクページを開いていると「この感じ懐かしい〜!やっと調子が出てきましたね」なんて笑う九鬼くんの傍で、セトタクが思い出したように口を開いた。

「そういえば苗字先輩、沢村先輩と同じ明神大学でしたよね」
「そうだよ?」
「光舟と同じキャンパスなんですか?」
「……どういうこと?」

 聞き捨てならない言葉が脳内でリフレイン。『光舟と同じキャンパスなんですか?』もう一度言う、どういうこと?いや、どうもこうもない。そういうことだろう。つまり、わたしたち3人が同じ大学だということ。
 いつの間にかお手洗いを済ませて戻っていた沢村が通路で苦笑してる様子を見て、今度こそわたしの怒りは爆発した。

「沢村!なんで教えてくんなかったの!?」
「いや、いつ気付くかなーと思って……お前球場にも来たことねぇし」
「待って。奥村は、知ってたの?」
「もちろん知ってましたよ、その上で入学しましたから」
「う、嘘」

 詳しく聞けば学部は違うものの、同じキャンパスに通っている事が判明。信じられない。こんなことってある?奥村が大学生になってから約5ヶ月、その間どこかですれ違っていたかもしれないというのか。

「じゃあ、また沢村と一緒に野球やってるんだ」
「いけませんか?」
「別に。良かったなって思っただけ」

 ふい、と視線を逸らしてラミネート加工されたメニュー表を握りしめる。沢村と奥村が同じ野球部にいるということは、また二人のバッテリーを見られるかもしれないのか。どうしよう。なんか泣きそうだ。驚くべきことに嬉しいらしい。あれだけ会いたくないと頑なに拒絶してきたのに嬉しいだなんて、本当にどうかしてる。

「苗字さん、大丈夫?」
「……大丈夫、なんでもないよ」

 これは困った。情報が処理しきれなくてどんな顔をしていいか分からない。小湊くんの心配そうな声を聞きながら唇を噛み締め俯いていると「全員お揃いでしたらドリンクお伺いします!」と店員の元気な声が聞こえた。皆がそれぞれに注文する中、由井くんが「苗字先輩はカシオレとかですか?」なんて気を利かせて声を掛けてくれた。未成年なのにカシオレなんて言葉よく知ってるね。ありがとう。でも、今日はその気持ちだけ受け取っておくよ。

「麦のロックで!」
「し、渋いですね……」

 多分周りのみんなは引いていたと思う。だけど気にする余裕なんてなかった。これが飲まずにやってられるか。


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「いや〜女子大生ってもっと可愛いお酒飲むんだと思ってましたよ」
「はぁ〜?バカにしてんのか拓馬!あのねぇ焼酎は糖質ないからふとらないんだよ!しらないのぉ?」
「日本酒とワインも飲んでんだから意味ねぇだろ」 
「そこ!うるさいよ信二!」

 お酒のチャンポンですっかり出来上がってしまったわたしを見ながらセトタクが笑う。ムキになって反論すると金丸が茶々を入れてくるもんだからツッコミも自然とデカくなってしまう。うん、うるさいのはわたしの方だな。
 「苗字って酔ったらこんな感じになるんだね……」なんて東条くんが驚いているけど、沢村が潰れてしまい金丸に見放されてしまってはこうでもしないと気が済まないのだ。

「かおるくんとよーへーは未成年なんだからお酒飲んじゃダメだよ〜〜野球できなくなっちゃうからね!わかってる〜?」
「大丈夫です、これ烏龍茶ですから」
「ははっ、鬼の苗字先輩も酔っ払うと可愛くなるんですね!」
「アレ可愛いか!?」
「え〜〜信ちゃんひどくな〜い?」

 猫撫で声で金丸にしがみつけば「気持ちワリィ」と全力で拒否反応を示される。よく見ると確かに二の腕に鳥肌が立っていた。失礼な奴だな。

「いいもん、秀ちゃんと春市に相手してもらうもん」

 あぁ駄目だ。ちょっと飲みすぎたかもしれない、フワフワする。癒し系コンビの近くに移動しようと立ち上がると、酔いが回ったのかくらりと目眩。右脚が椅子に引っかかってバランスを崩してしまったが、誰かに腕を掴まれてなんとか転倒は免れた。すごい反射神経だな、誰だろう。そう思いながら顔を上げると、咄嗟に自分を支えてくれていたのはまさかの奥村だった。

「飲み過ぎですよ、とりあえず水飲んで落ち着いてください」
「は〜い、わかりました〜〜」

 渡されたお冷を口に運んでいると、何故か周りの視線が自分と奥村を交互に行き来している。何なの、と口を開けば「俺の名前は覚えてないですか」なんて面白くなさそうに奥村が呟いた。嘘でしょ。もしかして待ってたの?

「ふふっ、なに、アンタも名前で呼んでほしいの〜?」
「……もういいです」

 意外と可愛いところもあるじゃないか。歳を取ってみるもんだな、なんてババくさいことを考えながら、そっぽを向いてしまった奥村の肩に手をついて声を掛けた。

「光舟」

 忘れるはずがない。忘れるわけがない。確かめるように唱えた名前に、本人を含め周りのみんなも驚いていた……が、奥村が振り返った瞬間。待ち構えていた右手人差し指が、その柔らかい頬へ見事にプスリと刺さったのだった。

「何するんですか」
「や〜い引っかかった〜〜」
「おい苗字〜仲直りするんだろ〜?奥村をいじめんなよ〜〜」

 まるで小学生みたいなノリで騒いでいると目を覚ましたらしい沢村がテーブルに突っ伏しながら笑っていた。それが妙にツボに入ってしまい、二人して腹を抱えて大笑い。傍で見ていた金丸が「なんで酒癖悪い組が誕生日早いんだよ!」なんてビール片手にボヤき、東条くんが「俺ら誕生日まだだから仕方ないね」と小湊くんと目を合わせて笑っていた。正直、それ以降の記憶は曖昧だ。

 閉じていた重い瞼を開くとタクシーに揺られていて、気付いた時には自宅マンション前に到着。いつの間に帰ってきたんだろう、なんて夢見心地で隣を見ると、わたしの肩を支えていたのはまたしても奥村だった。

「苗字先輩、ちゃんと歩いてください」
「え〜〜なんでアンタが一緒なの……あ、狼小僧なだけあって、これが本物の送り狼ってやつですか!?へぇ〜〜」
「それ以上バカにするならそこの茂みに捨てますよ」
「やだやだ、やめてぇ」

 ダメだ、眠くて死にそう。もう歩けない。ずるずると奥村に寄りかかりながら腕にしがみつくと、心底嫌そうな顔で睨まれた。ウザイよね、そうだよね。わたしだって逆の立場だったらそう思うよ。

「……ねぇ、光舟」

 どうせなら、酒の力ってやつを借りてみようか。アルコールでフニャフニャになってしまった頭の片隅で、そんなことを考えてみた。

「光舟、ねぇ聞いてる?こーしゅー!!!」
「聞こえてますよ。何ですか、うるさい」
「ほんとはアンタに会いたくなかったんだけど、会っちゃったからさぁ……もう、この際だから言っとくわぁ」
「はい?」
「ずっと冷たくしてて、ごめんねぇ」

 ぽつりと呟いた言葉は果たして奥村に届いただろうか。届いてくれてたらいいな。じめっとした夜風が頬に触れて、まだまだ夏は終わりそうにないなぁ、嫌だなぁ。なんて思うわけだけど、奥村が隣にいてくれるなら嫌いだったはずの夏ももう一度好きになれるかもしれない、なんて思えたりもするのだ。

「謝るのは、俺の方ですよ」
「ふぇ?なに、きこえなかった」
「何でもないです」

 その日の最後の記憶は、わたしを支える奥村の横顔だった。変なの。なんでわたしコイツに抱きついてるんだろう。明日になったら分かるかな。覚えてるかな。そうだといいな。そう願いながら、ゆっくりと意識を手放した。
 ねぇ。その生意気な目、今日まで忘れたことなんてなかったよ。


(20210313)
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