特Aランクの謝意をあなたへ

 珍しく倉持から電話がかかってきたのは日付が変わる直前のことだった。普段なら大抵爆睡をかましてる時間だが、この日ばかりはそうもいかない。
 まだ夢心地で火照る顔を叩いたり抓ったりしながらぼうっと浮かれていたもんだから、夜中にケータイの着信音が鳴り響いたところで「今何時だと思ってんだ!」なんて言うはずもなく、上機嫌で「こんな時間にどうしたの?」なんて言ってしまう始末である。我ながら単純だ。

 通話ボタンを押した途端に受話口から響く「ヒャッハー!」の攻撃力は相当なもので、それを聞いただけで御幸から何を聞かされたのかをすぐに理解した。夜中だというのにそのハイテンションぶりが手にとるように伝わってきて、同室の沢村は迷惑だっただろうとも思った。

 もちろんそのテンションは翌日まで持ち越され、登校後教室で顔を合わせるや否や声をかける前に問答無用でタイキックをお見舞いされるハメになる。手間かけさせやがってコノヤローと笑いながら悪態をつく倉持に、緩みまくりの顔で「倉持様には頭が上がりません」と言う他なかった。

「で?去年からの愛の集大成はどんな告白だったんだよ?」
「えぇ…それ知りたい?本気で言ってる?」
「苗字、余計なこと言うなよ」
「クソ眼鏡は黙ってろよ」

 傍で聞き耳を立てていたらしい御幸がいつの間にか隣に立ってすかさず牽制を入れて来る。それが気に食わない倉持も負けじと威嚇してみせるが、最終的には二人ともわたしを見ながら何を言うのかと固唾を飲んで待っていた。

 いやいや、浮かれ気分になってるのは確かだけど、だからって何でもかんでも暴露するなんて思わないで欲しい。愛の集大成?そんなのわたしだけの秘密に決まってる。

「内緒〜〜」

 少し戯けて茶化してみると御幸はホッとした様子で胸を撫で下ろした。だけどそうはいかない倉持は機嫌を損ねてわたしに飛びかかってくる。
 誰のおかげで上手くいったと思ってんだ!そう叫びながら名前も知らないプロレス技らしきものをかけられて危うく意識を飛ばすところだった。

「ちょ、締まってる!死ぬ!」

 遊撃手の逞しい二の腕を叩きながら降参の意を示すと、倉持は舌打ち混じりに「まぁ、いーけどよ」なんて言いながら腕の力を緩めてわたしを解放してくれた。その様子を下から見上げながらふと思う。もしも倉持がいなかったら、わたしはこんな風にはしゃいでなんかいられなかった。

 詳しいことは何も聞かされてはいないけど、わたしにハッパをかけたように、きっと御幸の背中を後押ししてくれたに違いない。倉持は、そういう男だから。

「色々ありがとね」
「は?ちょ、バカ離せ!」
「嫌だねー」

 感謝の意を込めて今度はこちらから抱きつくと、突然の行動に戸惑ったのか思いのほか抵抗された。もしかしなくても照れてるらしい。
 だけどわたしは怯まない。朝練後の少し汗ばんだ倉持の匂いを嗅ぎながら、嬉しいのと照れ臭いのとむず痒いのが混ざったような、何とも言えない感情で胸がいっぱいになった。

 地元を離れて東京へ来て、御幸と出会えたことはこの上なく幸せなことだけど、それと同じくらいに倉持に出会えたことも幸運なことだと思ってるから。

「なんで苗字が倉持とイチャついてんだよ」
「ヒャハハ!嫉妬は見苦しいぞー、御幸」
「いやいや、してねーし」

 賑やかな教室に差し込む太陽の光は9月と言えどまだ暑い。けれどグランドに吹く風は少しずつ秋を装い、徐々に季節は移ろいで行く。

 10月に入っても青道の勢いは衰える事なく順調にトーナメントを勝ち進み、その結果今年も野球部の修学旅行不参加が決定した。喜ばしい事だけど残念。そんな複雑な想いを抱えながら、御幸のいない修学旅行を楽しんでいるうちに秋大本選はあっという間に決勝戦を迎えた。









「苗字さん、こっちこっち」
「ほんとにココで見ていいの?」
「うん、その方が御幸も喜ぶだろうし」

 決勝戦当日、こちらに向かって手招きをする渡辺くんの粋な計らいで観客席はグラウンドから近めの場所を用意してもらえることになった。ここからだと選手のことがよく見える。今までの観戦より距離が縮まったような気がして、自然と背筋が伸びてしまう。

「さすがに決勝戦だし人多いね、あ〜緊張する…」
「大丈夫だって」

 選手たちが勝つことしか考えてないんだから、わたしが不安になっても仕方ない。だけどやっぱり決勝戦の緊張感は別格だ。
 あぁ、今更だけどなんで学業お守りなんか渡してしまったんだろう。おばあちゃんには申し訳ないけど、夏の結果が決勝敗退だったんだからどうせなら秋大は必勝祈願と書かれたやつを買い足せばよかった。

 そんなことを考えているとアップを終えた選手が各々ベンチに戻ってくる。その中の一人、背番号2のスポーツサングラス姿がスタンドを見上げて、わたしを見つけるなり声を上げた。

「なんだ苗字、野球部でもないクセにいい席取ってんな〜」
「渡辺くんのお陰でーす」
「優勝しても泣くなよ〜」
「それは優勝してから言ってくださーい」

 思わず立ち上がって最前列へ駆け寄り、フェンスに指を絡めながら声を掛ける。「なんか御幸機嫌いいね」と笑う渡辺くんに、そうかなぁ?と返して再び御幸に視線を戻す。
 フェンスを越えては行けないけど、目が合えば手を上げてくれて、声を掛ければ返してくれる。知らなかった。それができるだけで、こんなに近くに感じるものなんだな。

「じゃあな、応援頼むぞー」
「あ、御幸待って!」
「ん?」

 去ろうとする背中を思わず引き留めてしまい、御幸は不思議そうにこちらを見つめる。“ 変なとこで気遣わなくていいから、もう気にすんな ”あの夜もらった言葉が頭の中で反芻する。それを言うのは今しかない。

「が、頑張ってね!」

 声を張ってそう告げる。一瞬驚いた顔をされたが、すぐに言葉の意味を理解して「おう!」と笑顔で威勢のいい返事を返してくれた。
 もう迷わなくていい。壁もない。言葉一つで変えられる。フェンスを越えられなくたって、いくらでも距離は埋められるのだ。


(20201231)

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