兵舎内で人の出入りが皆無といっていいほどみられず、使われていないこの場所まで来るのはそう大変ではなかった。とはいえ音を立てないようにドアを開ける。もしかしたら、があるかもしれないからだ。
「こんにちは」
1秒、2秒…返事がないから誰もいない。そっとドアを閉めて若干埃が舞う部屋の奥へ。ここに来てから窓際で何かを読む癖が自然と付いたからか当たり前のようにそこへ腰を下ろした。相棒の図鑑から少し飛び出した古い羊皮紙。ちゃんと挟んできたから見つかったりはしていないだろう。それらを図鑑から引き抜くと床に置きじっと眺める。綺麗に並んだ字。ここにいる人の字ではないとすぐに分かった。
「…ルイザ・ウェルズリー、ウォール・マリア…ローゼンハイム…」
読める字だけをポツポツと音読していく。
「…レイさま…?」
わたしと同じ名前を見つけたけどレイは病気で死んじゃったって書いてある。
「…でも、これ…」
手記の途中に長々と書かれている方程式を指でゆっくりとなぞった。記号と数字と文字がたくさん。なんだろう、知らない筈なのに知ってる気がするのはどうしてだろう。もしかしてこれは。
「じんたいれんせい…?」
そのまま何かに取り憑かれた様に声を発することなく先を読み進めていく。
「……そうだったんだ」
全てに目を通し終えた時レイの瞳は何色ともつかない色をしていた。
わたしは、死んで生き返ったレイなんだ。
それ以外の事は難しい字がたくさんあり過ぎてよく分からなかったけど、人体錬成の事もどうして分かったのか不思議なことに説明出来ない。でもそれだけ分かったから、もういい。
「…」
レイは立ち上がると1枚1枚羊皮紙を細かく破き始めた。跡形も無く細かい粒子になったそれらを掬うと開かれた窓へと手を出す。逆らう事なく風に飛ばされ遠くへ飛んでいくわたしの記憶たち。
これで二度と知ることは出来ない。
*
部屋を後にしノックして団長室へ戻るといつもの様にエルヴィンが迎える。が、そうだ忘れてた。いつもだったら探検に行ってきますの一言をちゃんと言ってから行くのに今日は忘れてた。小走りで机に向かう。それでも頭を撫でてくれた。
「心配したよレイ、お帰り」
「ごめんなさい」
「探検に行ってたのかい?」
「あのねエルヴィン」
「ん?」
「わたしのなまえ、レイ・ローゼンハイムっていうんでしょ?」
「見たんだね」
「うん、でもちがうの」
あの子はもういない。何処にも。
その代わりにわたしがここにいる。
「わたしはレイ」
わたしが決めた。
そうだね、エルヴィンは優しく応える。彼女なりにあの手記を読んで彼女なりに理解したのだから、それならばこちらから伝える事は何一つない。
「読んだ後は破いて捨てたんだろう?」
「なんでわかるの?」
「外を見たら上からパラパラ落ちてきたから」
「きれいだった?」
「あぁ、雪みたいだった」
「ゆき?」
「まだ見た事なかったか」
「いっしょに見たい」
楽しそうに笑う少女は拍手を送る。
表彰される事を私はしただろうか。
「エルヴィンがレイってなまえ、くれたでしょう?」
あなたはわたしに名前をくれた。
あなたはわたしに命をくれた。
生きる場所も家族も幸せも。
「今思えばすごい偶然だな」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「…んーと…」
「探検に行こうか」
「うん!」
ずっと手元に置いておく事も出来た。もっと字が読めるようになってから詳しく知る事も出来た。でも、これでいい。わたしはレイで、レイはわたし。やっと会えたのだから死ぬまでずっと一緒。これからは、新しいわたしが残りの未来を生きる。大丈夫だよ。だから、
「さよなら、レイ・ローゼンハイム」