立体機動の音が響く。
響くが操っている者の人影は見えない。
気付けば削ぐ音。刃の形がくっきりと浮かび上がる。立って見守っているだけで右から左、左から右へと姿ない音だけが耳を通り過ぎていった。やがてアンカーを収めすぐ側に着地した音の主。女であっても兵士長である彼女は、身体に傷を負おうと何も欠けていなかった。ブレードをしまうと訓練所を見渡すその背中は一息吐いている。

「何も問題ないな」
「あれだけが」

あれだけ。
細い指が差した1つの傷。
他のに比べて深く削げなかった事を言っているんだろう。

「お前はまだ病み上がりと同じだ、気にする事はない」
「…」
「一度戻るぞ」
「ミケ」
「どうした」
「ありがとう」

意識が戻った数日後の今日。
レイの瞳はいつもの人形で。そこだけは何が起きても微塵も変わらない。訓練所を言葉がないまま後にし兵舎へと歩を進める。エレンはレイの口利きと頼みもあってか、地下牢で頭を冷やすという名の数日過ごすという異例の処遇で事無きを得た。リヴァイは終始不満げにしていたが。

「夕方も此処へ来る気か?」
「足を引っ張るもの」
「その言葉を新兵が聞いたら泣くだろうな、まずは休め」
「…」
「俺も心配した、リヴァイが言っていたように気が気じゃなかった」

死んだら、レイがもし死んだら。
だからエルヴィンに意識が戻ったと話した時の反応は話さないでおく。初めて見た、とでも言えば通じると思うから。

「?いつもと様子が違うな」

兵舎の廊下を歩けば所々で敬礼をされる。
何事も無かったかのように。
調査兵団団長から通達されたのだ。
思うことがある兵士もいるだろう。だがレイ・ローゼンハイムの今回の件については以降全兵士の詮索を禁ずると。
そんな事を思い出していたら団長室の前にエルヴィン、リヴァイ、ハンジと…見覚えがある人物が1人。

「お邪魔しています、ミケ分隊長」

定期的に開かれる貴族のパーティー主催者の息子だった。挨拶してる割に既に視線は俺から外れている。

「レイ兵士長」


*


その貴族の男の第一声に『順序も何もなしにそれか?今すぐ削ぐぞ』目の前のテーブルを怒り任せに強く叩いたのはリヴァイだった。エルヴィンは分からない顔の色合いをしている。ハンジは怪訝そうに男を見ていた。俺はどうだろう、分からない。レイはただ感情のない瞳で真正面を見つめていた。

「ふざけてんのか」
「大真面目ですよ、こちらから調査兵団に出向くくらいですから」

兵士長との婚約を取り付けに来ました。
団長室の中へと案内され、座ったと男の口から同時に放たれた言葉。

「別に掻っ攫うつもりは毛頭ありません」

その代わり兵団への援助は一生。
簡単なことです。
重大な戦力であることは重々承知していますが些か危険が伴い過ぎる。あなた方も彼女が危険な目に合うよりも、安全な場所で幸せに暮らしている姿を見たくはないですか?

「レイ、聞くんじゃねぇぞ」
「長々話しても意味がありませんでした」

男が悪戯に笑う。
断ってもいいですが…お分かりですよね?

「どの貴族が1番あなた方に援助金を出しているか」

現実はそうだった。
だとしても金と引換にレイを差し出す?冗談じゃない。今日はすこぶる沸点の低いリヴァイが殴り掛かろうとしていたので肩を掴んだ。それを尻目に何かを考えていたエルヴィンがやっと口を開こうとした時、彼の膝にそっと手を置いたのはレイだった。

「分かりました」

わかり、ま、した?

今…お前は…何を言った?
分かり、ました?
何が。何を分かった?
全員の視線が突き刺さっても彼女は何も動揺することなく真正面を見ている。

「レイ…?」
「おい…!何言ってやがる、正気か」
「言う通りだから」
「そうじゃねぇ、お前の意思はど「私がそうする事で兵団が存続出来るなら構わない」
「こんなにお早い返事が頂けるとは思ってもいませんでしたよ」
「えぇ。お話しはまた改めて、本日はお引き取りください」

淡々と述べた彼女の指示に男は逆らうことなく1人上機嫌で颯爽と帰っていった。重苦しさだけを残した団長室に5人。
何も知らされる事無く、戦うことも抗うこともなく未来が今決まってしまった。

「ねぇレイ、考え直そう?こんな事はあっちゃならないよ」
「いいの」
「レイ!」

断れば恐らく援助は断たれる。
それこそあってはならない事。
形も意味も違ってもそれでみんなが助かるならそうしたい。一兵士として。
形が、意味が違ったとしても。

「過去に部下を仲間を…ウィユを殺した私が出来る償いはこれしかない」

俺達の思いは全てその色のない瞳に反射されて戻ってくる。
だから許して。
だから悲しまないで。
だから受け入れて。

「レイ」

青いペンダントだけが世界が違うかのように、首元で揺れながら光っていた。

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