「珍しい」

刻々と時間が過ぎていく団長室の中。調査兵団団長エルヴィン・スミスは今日何回目か分からない言葉を零した。約束の時間からまだ10分程しか経ってないが。そんなに連呼することねぇだろ、だが確かに珍しい。ソファにどっかりと座っていつもの様に足を組み両腕を背もたれに投げ出していたリヴァイは、エルヴィンの独り言に賛同の思いを浮かべるも視線は送らなかった。向かいに寝転がるようにして何処で手に入れたのやら小さな焼き菓子をバリバリと噛みつつ、配られた書類を読んでいるハンジを眉間に深い皺を寄せながら睨む。何かを食いつつ(つまり食べカスが落ちる)寝転がりながら何かをする。調査兵団きっての奇行種の行動を調査兵団きっての潔癖が許せるはずがない。カッ!と三白眼を見開いて睨んでみるも奇行種には全くといっていいほど何の効果もないようで。

「食い散らかすなクソメガネ」
「えー?いいじゃない別に」
「削ぐぞクソが」
「体調が悪いのかもしれないな」
「案外そうかもしれねぇぞ」
「リヴァイ、悪いが呼んできてくれるか?」
「よろしくねー」
「チッ」

先程から珍しいやら体調が悪いのかもといわれているのは調査兵団分隊長ミケ・ザカリアスのことだった。人の匂いをスンスンと嗅いでは時に鼻で笑う、そんな変わった癖と196cmというラムシュタ●ン張りの体格を持っている。エルヴィンのようにハキハキでもなく、ハンジのようにベラベラでもなく、リヴァイのようにグサグサでもなく、のんびりポソポソといったコイツ単語しか話せないのかと思わせるような話し方をするミケだが、その見た目と言動とは逆に時間にとても几帳面な人間だった。会議、壁外調査、訓練や壁内に行く時など5分前どころか10分、30分前以上に来ていることは当たり前。はたまた4人で時たま美味しい酒を巡ってポーカーをする時などもそう、仕事も遊びも関係なく5分前行動をする。それがミケという男だった。そのミケがかれこれ15分近くも此処に姿を現さないのだから、いつも余裕綽々で遅れてくるハンジじゃあるまいしどうしたものか、まさかのまさかクソでも漏らしやがったのかとは自然に思う。

エルヴィンの頼みに舌打ちで答えたリヴァイはソファから立ち上がり、ソファとソファの間のテーブルに置いておいた自分の書類でハンジの頭を目一杯ひっぱたきながら団長室の扉の前へ歩を進める。後ろでいっでぇぇぇ!!!とゴロゴロ転げ回る騒音と共に小さなノックの音が聞こえた。やっと来たか遅ぇぞデカヒゲ無駄なことさせんじゃねぇ、頭の隅で悪態の1つ2つを並べつつ思いつつドアを開けるとリヴァイの顔は直ぐ様不審な物を見る目に変わる。目の前にいたのはデカヒゲではなくそれよりも遥かに小柄な少女だった。

「……」
「誰だテメェ」
「……」

無言でリヴァイの顔をぱちぱちと瞬きしながらぼんやりと見つめている少女は、裸にシーツを手繰り寄せるように巻いているという人によっては何とも刺激的な姿だった。今この時間なら兵服以外の人間はいないはず、それ故この姿には一瞬3人は驚いたが今更それに素っ頓狂に驚く程子供じゃない。その前に質問にすら答えられねぇのかこの女。言葉も話せねぇのにこの歳で娼婦やってやがんのか?連れてきたヤツ探し出して顔面蹴り飛ばしてやる。それでも無言なままの少女に段々勝手に腹が立ってきたリヴァイは、後ろからつかつか近付いてきたエルヴィンと興味を惹かれたのであろうハンジに任せるといった視線を投げ掛けソファへと戻った。戻る際にこの姿のまま団長室の前で突っ立たれてたら、あらぬ趣味があるのではないかと噂されかねない。困るのはこっちだからと細い手首をつかんで無理矢理室内には入れといた。

リヴァイよりも数cm身長が低い少女。150cm後半といったところか。最初に飛び込んできた朝陽を連想させる明るい金の髪は肩の位置で少し乱雑に切り揃えられ、若干隠すような前髪からはオリーブともエメラルドともスカイブルーともつかない美しい蒼色をした大きめの瞳が見える。スッとした鼻筋に一文字に閉められた唇。シーツで覆われていてもそれを抑える手や隙間から伸びる足は筋肉質でありながらもスラリと長く、形の良い大きい胸に至ってはくっきりとシーツ越しから形が浮き出ているから誰が見なくとも分かる。こんな解析を素早く無表情に出来るのはまぁ歳は歳でもエルヴィンは野郎だからであって。
だがそんな女性に対して大層失礼なことを終えても何となく目が離せなかったのは少女から発せられる雰囲気からであろう。やや気だるそうな瞳と身体の特徴が見事に合わさって何処かエキゾチックでミステリアスなベールを身体に纏った少女は美しかった。改めて遠巻きからでもよく見てみればなかなかに上等、悪くない。リヴァイも立派な野郎である。

「こんにちは。君はどこから来たのかな?」
「……」
「うはぁ可愛い!あれ?お?んー……あ!ねぇこの子ミケになんとなく似てない?」
「そうか?」
「俺だ」
「へ?」
「だから俺がミケだ」

少女はミケに似ている。言われてみればなんとなく見た目というか雰囲気が似てる。つまりこの少女は年齢的に考えてミケの親族、いやもしかして娘だろうか?つまりミケは知らず知らずのうちに結婚していたということか?娘なら親族よりも此処にいる理由が分かるような。澄ました顔してやる事はちゃっかりやってたのか。なんというちゃっかり具合。そんな素振り欠片もなかったから。なんだ付き合いが長いのだから教えてくれても良かったのに。命が明日尽きることがあっても何らおかしくない調査兵団の生活サイクルに身を置いた者で結婚している兵士は数名といっていい。そんな中でもやはり親しい者に新しい生命が生まれれば嬉しくないはずがない。そうか、この子がミケと愛妻の愛の結晶なのか。はじめまして、私はお父さんの友人エルヴィン何とかと言おうとしたところで今まで黙っていた少女の口から発せられたのはとんでもない言葉だった。

「え?」
「ミケ?」
「あぁ」
「…ミケ?」
「そうだ」
「あなたがミ、どぇぇえぇえぇえぇ!!?」
「これはまた…」
「どうして女になってる」
「知らない。起きたらこうなってた」

女性の平均からすれば低い部類には入るものの凛とした声色は何処か心地いい。だが発せられた内容が内容だ。朝起きたら女になっていて、いやいやそれで目の前の少女があのミケ・ザカリアスだって?いつまでも立っているのが疲れてきたのかスルリと呆然と見つめる2人を素通りすると、シーツを胸の前で抑えながらソファにぽすんと腰掛けいつもの癖で鼻をすんと鳴らした。そのまま肘掛けの匂いをすんすんと嗅ぎ始める。

「「「……」」」
『本当にミケだ』

呆然状態から何とか元に戻り隣に座ったハンジ、リヴァイの隣に座ったエルヴィン。この時3人は確信した。あんな癖彼以外にする人間いないもの。ミケは満足したのか『今まで感じることは無かったがこのソファはとても大きくて座り心地がふかふかしている』と感想を思い浮かべ、両足にも堪能させてあげようと自然と所謂体育座りのような座り方になっていた。しかしその座り方をされてはどうだろう、向かいにいる野郎2人の位置からは秘部が見えそうになる一歩手前。痴女かテメェは、ラッキースケベどころじゃねぇ犯されんぞクソが。

「おい、足を閉じろ」
「?」
「理解出来ねぇ程馬鹿なのか?足を閉じろと言ったんだ」
「なんで」
「見えるからだクソ野郎」

立て続けの言葉に瞬時にカチンときたミケは歯を口内でギリッと鳴らし勢い良く立ち上がった。会って早々馬鹿だのクソ野郎だの何故ここまで言われなきゃならない。俺よりも小さいクセに。チビ。けれどそれを言えたのは昨日までの自分だった。誰よりも大きかった自分が今では誰よりも小さくなってしまったのだから。その事実に気付き何も言えなかったミケは、拗ねたらしく片頬をぷくっと膨らましながらリヴァイへの反発もあるのだろう、ソファに綺麗な足を無駄に揃えてボスッと座り直した。その姿、可愛い。

「それでいい」
「うるさいチビ」
「あ?今はテメェの方が小せぇだろうがよチビ」
「リヴァイ、やめなさい」
「ミケは今女の子なんだからそんな言い方したらダメでしょー?」
「テメェ等はコイツの親か」

まさか体格のことでリヴァイに馬鹿にされる日が来ようとは。分かる、この目はアレだ、ざまぁみやがれってんだクソといった彼なりの喜びをした目だ。悔しさと腹立ちさにますます頬を膨らましふんっとそっぽを向くミケ。可愛い。

「…しかしどうしたものか」
「それにしても本当に可愛い女の子になっちゃったんだね〜」
「本当に原因は分からないのか?」
「わからない」

そうだ。夢でないのならば現実なわけで、現実ならばその対処法を考えなければなるまい。20代後半と30代が集まれば大抵の世の理のことは理解しているし、冷静にどうにか出来ると思っていたがここまで奇想天外なケースを持ってこられてはさすがの4人でも分からなかった。だがいつまでも悶々と考えていたところで時が止まってくれるわけじゃないしミケが男に戻ってくれるわけでもない。ならば今出来る事を一つ一つやっていくしかない。よしっ!ハンジは両手で膝を叩くと腰を上げ軽やかに扉へと向かった。

「とりあえず朝食とミケ用に女性用の兵服持ってくるよ、それから色々考えよう」
「あぁ、よろしく頼む」
「ハンジ」
「ん?」

団長室を出ていく直前のハンジをふいに呼び止めたのはいいが…なんだ?何と言うんだっけ?ミケは考えていた。前に言われたことがある。面倒をかけた。いいんだよ別に、付き合い長いんだから気にしない。すまないな。ミケ、そういう時はすまないじゃなくて。

「ありがとう」
「付き合い長いんだから気にしない、どういたしまして」

礼を述べた彼女は小さく笑い、つられてハンジも笑顔になり廊下へと姿を消した。扉から視線を戻すとうっすら驚いたリヴァイがいた。あの笑顔は反則だ。そう思った。その時大きな鐘の音が鳴る。1日の始まりを知らせる合図だ。これからやることは山程にあるが考え出したらキリがないのでとにかく今は朝食を食べよう。

「そんな風に笑えたのか」
「…うるさいチビ」
「うるせぇドチビ」
「やめなさい」

いつもと変わらない表情のエルヴィンとリヴァイだったが、思っていたことは少女に対してやはり可愛い、ということだった。

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