「言う事を聞いて」
「断る」
寝殿内は獣の足跡で汚れていた。判子の様にあちらこちら。当の小さな黒狐は悠々と毛繕いをしていたが突然感じた妖力に間合いを取る。相当に御立腹の様子。しかし言う事を聞け?冗談じゃない。
「レイ、相手分かって言ってんだろうな?」
「陰陽道 捕の式・闇ノ間」
「質問に呪術で返すか普通」
辺り一帯が暗闇に包まれるも呪詛返しなんざ朝飯前。すぐ晴れて元通り。と言いたい所だが長丁場になりそうだな…ここは逃げるが勝ちってやつだ。
「その顔も悪くねぇ」
俺はそのままレイの肩に飛び乗ると頬を一舐め、そして飛び降り部屋を飛び出した。
「氷の式・襲氷裂破」
「!チッ」
突如四方八方から飛んでくる氷の矢。
本物の氷ではない為に避ければ跡形も無く消えていくものの、標的にだけは物質として突き刺さる何とも面倒な呪術だ。飛ぶ、走る、身を屈めるを駆使して避ける。それでも尻尾を一振りすれば障壁が全てを弾き返した。一息吐いてからトコトコ歩き出す。妖気は消したから見つかるまい。
「隠れるには困らねぇな」
住んでいる屋敷は広いので久遠全体を逃げ回る気はない。
だったらこの屋敷でかくれんぼ。どうせこのまま俺を見付けられずに向こうが降参。それでお咎め無し。何とも見え透いた未来だが乗ってやるか。
「?もう諦めたのか」
時折辺りを警戒するも主の気配はしない。
部屋に戻っても姿はなかった。それならそれでと無造作に置かれていた布団を口で咥え引き摺り寝心地の良さそうな場所を探す。こんな天気の良い日に昼寝しないのは勿体無い。
これはレイが俺に買ってくれたもので最初に掛けて寝た時の感動は今でも忘れない。このふかふか具合。九尾の狐が爆睡するの初めて見ましたとレイに笑われた。
ズルズル ズルズル
「よし、此処だ」
歩きに歩いてようやく見つけた最高の昼寝場所。全ての条件が整っていた。早速咥えてきた布団をちょんちょんと前足で広げていく。今からこのふかふかに寝れると思うと嬉しさで尻尾がゆらゆら揺れた。
そしてついに来たこの時。
本能のままに布団へ飛び込むとパフッという音と共に少しだけ沈んでいく身体。レイとのかくれんぼは止めだ止め。寝る。
「…こいつは…」
午後のあたたかな太陽。文句一つねぇ。
「至福だ…」
「良かったね」
「!」
「此処でしたか」
どうして分かったと言う前に布団があれよあれよと奪われ身体がコロリと吐き出される。
「布団返せ」
「お断りします」
「妖気は消した筈だ」
「見てください」
指差された方を見ると俺の足跡が点々と。
これを辿ってきたんですよ。だから妖気は関係ないんです、汚れまでは消えませんから。
散歩に行ったと思ったらこんなに汚れて帰って来て。
「リヴァイ」
「断る」
「食べないんですね。分かりました」
「?」
いつの間にレイが持っていた高級な皿の上には大好物の油揚げが。しかも3枚。
「椿屋から頂いたんです」
「寄越せ」
「食べるの断ったでしょう?」
「その断るじゃねぇ」
「綺麗に洗ってあげますから。その後には散々汚した屋敷の掃除を」
いいですね?
視線を追えばちゃっかり水桶が用意されていた。俺は水が大嫌いだ。特に水浴びが。笑っているのにレイの目は笑っていなかった。そろそろ怒り任せに桶の中の水をぶっ掛けてきそうな、そんな目だった。乗り切れば布団と油揚げが手に入る。が、俺は水が大嫌いだ。
「最強といわれた九尾の狐が…水嫌いだなんて」
「あ?」
*
「…」
ヒトガタになり屋敷の掃除をしているリヴァイの髪はまだ少し濡れている。あれから挑発でもない挑発に見事乗ってしまった事を大いに後悔していたのだ。案の定水をぶっ掛けられ酷い目にあった。
やっと掃除が終わり2人で部屋に戻る。レイが点てた茶を飲んでいると油揚げが差し出された。
「お疲れ様です」
「…」
「自業自得だと思いますよ」
「うるせぇよ」
「ふふっ」
腹癒せにレイの膝の上に寝転がる。
まだ夕刻にもなっていないのに妙に疲れた。すっと細い指に髪の毛を撫でられる。
「油揚げ食べないの?」
「後で食う」
「リヴァイ?」
そっと頬に手を伸ばすと柔らかいのに手が止まることなくなめらかに滑った。
俺にとって一番大切な存在。
「何かしようとしてる顔」
「そりゃ目の前にお前がいたらな」
「今日は罰としておあずけ」
「そうか」
なら好きなだけ言ってろ。
言う事を聞くなんて冗談じゃない。
仕掛ける準備は出来てる。
形勢逆転まで、あと数秒。